第一章 入所紀文

第4話 急募:冤罪の晴らし方

「トーマスさん! トーマスさん、聞こえますか!?」


 モーズは体を痙攣させているトーマスに必死に呼びかける。ステージ5となった珊瑚症患者に呼びかけを行う者などまずいない。まして医者ともなれば、その行為は無駄な行いにしか見えないだろう。


「トーマスさん、気を確かにしてください! 母親が悲しみます!」

「かあ、さ……」

「っ、トーマスさん!」


 トーマスが言葉を発した。意味のある言葉を発してくれた。


「かあさ、ごめ、なさ……」


 寄生菌に母の概念などない。この言葉は確かにトーマス自身のものの筈だ。

 ステージ5になってもなお、宿主には意識がある。死んでいない。その発見はモーズに喜びを与えると共に、絶望を与えた。人としての意識があるまま、体の自由はきかず、最後には人に処分されてきた事実に。


「トーマスさん、トーマスさん……っ!」


 その後は幾ら呼びかけても、トーマスは言葉を発することはなく。口の端から泡を吹きながら、やがて静かに絶命した。呼吸も脈ももう、ない。珊瑚症患者への心臓マッサージ及び人工呼吸は感染対策の観点から禁じられている今、モーズにできることはもう何もなかった。


「――あぁ、クソ。悔しいな、とても」


 目の前で救えなかった命にこの上ない悔しさを覚えながらも、モーズは医者として次の措置に移る。宿主が亡くなっても遺体は『珊瑚』の感染源となる。速やかに隔離所に移動させなくてはならない。


「セレン、ご遺体を安置所に。それから付き添いで病棟にいる夫人を探して呼んでくれ。先輩とやらも一緒に説明の協力を、……ん?」


 モーズが顔をあげ辺りを見回しても、先輩とセレンの姿はどこにも見当たらなくなっていた。

 代わりに生物災害バイオハザードの通報を聞いてやって来たのだろう、警察、消防、そして保健機関の人間が専用車に乗って病棟の敷地に現れ、モーズと亡くなったトーマスを取り囲んでいた。


 ◇


「トーマスの母親を隔離病室に入れたのはお前だな」

「だから違うと言っている!!」


 生物災害バイオハザードが収束してから一時間後。モーズは拘置所の取調室で警察から取り調べを受けていた。


「隔離病室はお前のカードキーで開けたのが最後の記録。母親がお前から受け取ったカードキーで病室に入り、息子可愛さに鎮静剤の点滴を抜いた。防犯カメラの記録からも間違いない」


 生物災害バイオハザードによって出た犠牲者は二人。一人はステージ5になり先輩の手で【処分】されてしまったトーマスと、もう一人は、彼の母親だ。母親はモーズの知らぬ間に隔離病室に入り込み、しかもそこで鎮静剤の点滴を抜き、目覚めたトーマスの、いや『珊瑚』の菌糸によって血を抜き取られ養分にされて絶命していたのだ。

 つまり母親はトーマスより先に亡くなっていた。それをさっき知ったモーズは動揺を隠せなかった。


生物災害バイオハザード誘発は故意でなくとも有罪だ。賄賂か何か受け取って、患者と身内を会わせて起きるのが多いんだよな。そんでそこまでして患者に会うやつは大抵、鎮静剤を抜いちまって災害を引き起こす」

「賄賂なんて受け取っていない! いやそもそも私はカードキーを誰にも渡していないぞ! ずっとネームホルダーと共に入れていたんだ、間違いない!」


 モーズは首掛けストラップで首に下げていたネームホルダーを指差す。カードキーは医師一人につき専用のものが一つ病棟から支給されるのだが、モーズは常に首から下げていて勤務中に手放すことはない。

 記録データを改竄したか不正コピーしたカードキーを使われたのかわからないが、誰かがモーズに罪をなすり付けようとしているのは確実だ。


「賄賂じゃないなら同情か? 病棟の連中の証言だと、今回に限らずお前は重症患者の隔離病室に頻繁に出入りしていたという話だ。患者の身内に感情移入でもしちまったか?」

「あれは患者の意識レベルを調べたくて個人的にしていた試みだ、今回の災害とは関係ない!」

「怪しいなぁ」


 強面の警官はモーズを怪訝な目で見ている。モーズの主張は全く響いていない。


「そうだセレン! 研修医のセレンに話を聞くといい! 私と行動を共にしていたんだ、アリバイになるだろう!」

「セレン?」


 警官は病棟の関係者が纏められているのだろう、手元の書類をパラパラめくってリストに目を通す。次いで彼は重い溜め息を吐いた。


「そんな研修医いねぇぞ。部が悪いからって狂言か? お医者さまよ」

「はぁっ!?」


 警官から思いもよらぬ事を告げられ、モーズは狼狽えた。


「セレンは一週間前から感染病棟に研修に来ている青年だ、院長も把握している! 居ない筈ないだろう!? あとあの災害現場にはニコチンという『珊瑚』を処分してくれた青年も居て、セレンの関係者で!」

「ニコチンだぁ? いきなりタバコの成分の話されても困るぜ」


 幾らモーズが遭遇した出来事と人物を伝えても、警官はまともに取り合ってくれない。


(何が、何がどうなっている!?)


 自分が何者かに罪を押し付けられているのも、病棟の研修医にセレンの名がないのも不可解で、モーズは混乱しっぱなしだ。わかるのはこの場を切り抜けなければ投獄されるという事実。

 生物災害バイオハザード誘発の罪は重く、放火を犯した罪の重さと同等。何かの間違えで計画的犯行と見做されたら、死刑も有り得る。モーズはどう弁明しようかと必死に思考を巡らせた。

 ザザザッ

 だが不意に、ノイズが聞こえて思考が乱された。ノイズは天井に設置してあるスピーカーから聞こえる。あれは被疑者が感染者だった場合などに使う、部屋の外から接触ができるマイクも兼ねたものだ。

 それが何故今起動しているのか、とモーズが疑問に思うのと時同じくして、スピーカーから陽気な声が響き渡った。


『あー、マイクテスマイクテス……。ピンポンパンポーン! お取り込み中失礼しまっす!』

「だ、誰だお前!?」


 声の主は警官も知らないようで大いに困惑している。勝手にハッキングされたのだろうか。


『そちらモーズの身柄は《オフィウクス・ラボ》が預かるんで取り調べは中止! さっさと解放してくださ〜い!』

「いきなり割って入ってきたかと思えば何言ってんだ!? 被疑者を他所の一存で解放なんて出来るか! 舐めてんのか!?」

『そうカッカしない! 平和的に進めましょっ! と言うかぁ。一小国のお巡りさんが、国際連盟がバックにある組織に逆らえるとでも? 国ごと消されてもいいのかなぁ?』


 声は陽気だが話していることは脅迫だ。オフィウクス・ラボの所有する珊瑚生物災害バイオハザード対処用の特殊部隊ウミヘビ(厳密には部隊名ではなく種族名らしいが)、その武力を対人に向けようものなら声の言う通り小国一つ容易く滅ぶ。

 だからこそ特定の国がその武力を独占しないよう、国際連盟で管理しているのだ。その事は警官もよく知っている。なので渋々「わかった」とモーズを解放する事に同意した。


『平和的対応、誠にありがとうございまぁす! じゃ正門の所にいるからさ。待ってるぞ、モーズ!』


 これで助かった、なんて全く思えない。拘束先が拘置所からラボへ変わっただけだ。しかも警官を脅せる力を持つ組織へ。


(果たしてどちらに居た方がマシなのやら)


 とは言え他に選択肢はない。モーズは腹を括って席を立った。

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