第2話 緊急事態、生物災害発生
モーズは裏口から病棟の外に出て、タバコの火を探す。火元は事務室の前から既に移動しているようだが、そう遠くには行っていないはず。そう思い探し回ってみれば、やはり存外近くに火元はあった。
月明かりの下、病棟の陰で紙タバコを吹かしていたその人は、小柄だった。遠目からだと未成年にも見える茶髪の男性。しかし幼さが感じられない顔付きや、骨格の成長具合から成人はしているとわかる。だが外見年齢よりも気になったのは、服装だ。
彼は医師モーズや研修医セレンと同じように、白衣を着ていた。
(白衣? 医者? いやしかし、見たことのない顔だ。この病棟の所属ではないはず)
それによく見たら男性の着る白衣はデザインが特異だった。紙タバコを持つ手の先、折られた白衣の袖から見える裏地――
そこは、蛇の鱗に似た柄で埋め尽くされていた。
「き、君っ! そこの君!」
妙なデザインの白衣に動揺しながらも、モーズは当初の目的を果たす為に茶髪の男性に声をかける。すると男性は視線だけ、モーズの方へ動かした。
その瞳は、まるで真紅の薔薇の如き鮮やかな赤色をしていて。それでいて、
早い話、三白眼だ。
「あ゛ぁ゛?」
しかもドスの効いた声をしている。不良だ。不良にしか見えない。顔立ちは美形の部類なのだが、目付きと声音が美しさよりも恐怖心を掻き立ててくる。
なぜ病棟の敷地内に白衣姿の不良がいるのか、皆目検討もつかない。しかし招かざる客人は退出して貰わねば。
「君、この病棟の敷地内は全て禁煙だ。即刻、火を消すか敷地外に出てくれ」
「チッ」
舌打ちをして睨んでくる男性に、モーズはびくりと肩を揺らしてしまう。
だがここの医療従事者として引く訳にはいかない。
「その、注意を聞かないのならば警備員を……。というかどこの誰なんだ、君は。患者でも患者の身内でも、まして病棟の関係者でもないだろう? しかも受付時間はとうに過ぎている。となれば、不法侵入では?」
「違ぇよ。俺は病棟の奴に用があってわざわざ駆り出されたんだ。とやかく言われる筋合いはねぇ」
「用、とは? こんな時間に?」
「答える義理はない」
「しかしだな……。ええと、ではせめて、用がある者を教えてくれ。患者か? それとも職員か?」
「両方、だな」
そう言って、男性は口から白煙を吐いた後。右手に持っていた紙タバコを躊躇いなく口内に放り込んだ。
男性の喉が動いたのを見て、モーズは慌てて男性の背中を叩いて嘔吐を促す。
「はぁ!? 何をしている! 今すぐ吐き出さないか!」
「お前ぇが火ぃ消せつったんだろが」
「灰皿を使いたまえ、灰皿を! 死ぬぞ!? 紙タバコの火は最高で900度に達する高温で火傷は必須! 更には猛毒で、飲み込めば痙攣に錯乱に呼吸困難になる!!」
「“俺”にゃ関係ねぇ。傷も、毒もな」
「何を言って……!」
ドゴォッ!
突然の轟音が、モーズの声を掻き消した。
「な、何だ。今の音は……?」
仰ぎ見たモーズが目にしたのは、病棟の壁に開いた大穴だった。
高さは三階。穴の奥には消灯済みの病室が覗いている。
解体用の鉄球を打ち込まれたような惨状だが、一つ大きく異なるのは、その破壊が外からでなく、内からもたらされたことだ。
穴から複数伸びる──真っ赤な突起によって。
「あれ、は、ステージ5感染者、の、菌糸?」
「あぁ? 末期症状じゃねぇか。何でそんな状態の奴がここに居んだよ」
大樹が空に向けて枝を伸ばすかのように、穴から伸びる珊瑚状の菌糸は肥大化してゆく。菌糸はコンクリートを壊す程の力を持つ、凶器。その凶器が宿主である人間よりも巨大化してしまう、ステージ5。
ステージ5の感染者が現れた今、この病棟は災害現場となってしまった。
「あっ、いたいた。モーズ先生〜っ! お怪我ございませんか〜?」
「セレン!? どうしてここに……っ! いやそれよりも、今は自分の身の安全を確保したまえっ!」
菌糸が壁を破壊し、瓦礫が降っているという、誰がどう見ても
「おや。やっぱり『先輩』も来ていたんですね、一週間ぶりです」
そして蛇柄白衣を着た茶髪の男を『先輩』と呼び、軽く会釈をしたのだった。
「知り合い、なのか?」
「はいっ! 先輩は研究所での私の上司でして、とてもお世話になっているんです!」
「お喋りは後にしとけ、セレン。ったく、あの
先輩とやらはガリガリと頭を乱雑に掻き上げ、菌糸の大元に近付く為に瓦礫が落ちた場所へと足を進める。
「始末書はお前ぇが書け。先輩命令だ」
「えぇ〜っ!? 私がですかぁっ!?」
「末期患者の報告を怠ったお前ぇが悪い」
そして彼は白衣の下、腰の辺りに手を入れたかと思えば、そこから真っ白な拳銃を取り出した。どうやら白衣の下にガンベルトを身に付けていたようだ。
唐突に拳銃を取り出してきたのにも驚いたが、モーズはそれ以上に拳銃の形状に目を奪われた。真っ白なその拳銃には、銃口がなかったのだ。いやあるにはあるのだが、銃口に当たる穴はガラス玉に似た何かで塞がれている。
(あの特殊な形状をした拳銃は、まさか……)
その特殊拳銃を扱う組織を、モーズは知っていた。
(彼は《ウミヘビ》、だったのか)
驚異的な暴力性を孕む『珊瑚』がもたらす
オフィウクス・ラボ自体、機密が多く謎に包まれている組織だが、《ウミヘビ》は得られる情報が更に少ない存在で、特殊な武器を用いて『珊瑚』を廃棄処分するのだとしか、モーズは知らなかった。
「その道のプロだというのはわかったが、大丈夫なのか? 先程、彼はタバコを飲み込んでいたんだ。いつ体調を崩してもおかしくない」
「あぁ、へっちゃらですよ。そんなこと」
離れていく先輩を心配するモーズに対して、セレンはのほほんとこう言った。
「だって先輩は、《ニコチン(C10H14N2)》ですから」
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