ep61.「人が欲しい言葉を察する力をお持ちのようだ」

 いつもなら無人の図書準備室で昼食をつまみながら、優雅にPCやスマホを触っていた玖珠だったが、その日ばかりは食が進まなかった。

 空き教室へ一人で向かった、妙にハイになっていた石橋のことを思い出し、半分ほど減った弁当箱を見てうなる。


 彼を本当に一人で行かせて良かったのか。

 そもそも河合を暴力で打ちのめしたところで、何か解決するのか。

 もっと別の方法で河合を封じる必要があったのではないのか――。


 明らかに冷静ではなかった友人を思い、


「やっぱ、デバガメるか――」


 弁当箱に蓋をした瞬間、激しい足音が近づいてきて勢いよく扉が開けられた。


「玖珠さんッ――よかった無事だった!」


 飛び込んできたのは喜屋武だった。

 昨日の今日で、今朝はずっとよそよそしい態度だった喜屋武がいきなり現れたことは驚きだった。

 しかし彼女の青ざめた顔と、乱れたブラウスの胸元を見て、何か自体が起きたのだと玖珠は確信した。


「何なに、どうしたの喜屋武さん……」

「玖珠さん今一人? 石橋君は? ていうか河合君は来なかった!?」

「河合君……?」


 取り乱した様子の喜屋武をひとまずソファに座らせる。今日はやたらと震える奴がここに来るな、と玖珠は思った。

 いつから自分はカウンセラーになってしまったのか。

 さっさと石橋の様子を見に行きたい気持ちを抑えて、玖珠は大人しく喜屋武の話を聞くことにした。喜屋武の口調はおぼつかなく、怯えたようだった。


「さっ、さっき河合君が私のところに来て……玖珠さん昨日、言ってたよね、あなたが石橋君に告白をしたのは誤解だって。それってもしかして、石橋君が手紙を持って待ちぼうけてて、そこに玖珠さんが話しかけた光景を、私が告白だって勝手に誤解したってことなの?」

「ん? ああ――その通りだね。もしかして喜屋武さんは、その差出人が河合君だっていう話をしに来たのかな?」

「し、知ってる、の……なんだ、そっか良かった……。河合君すごく怒ってて、玖珠さんが邪魔ばかりするって言って。きっと彼は私を応援なんかしてくれたんじゃなかった。私を焚きつけて玖珠さんとくっつけて、石橋君を孤立させようとしただけたったんだ……」

「焚きつける? どういうこと? 喜屋武さんは河合君と仲が良かったの……?」


 玖珠はそこでようやっと、喜屋武が河合と交流があったことを聞かされた。


 喜屋武が女子を好きだという秘密を河合に知られ、同様に河合は自分が男子を好きなことを喜屋武に打ち明けたらしい。そして河合のその相手が石橋らしいことと、石橋に暴力を振るった喜屋武に暴力を振るったということ。


 玖珠が石橋を好きなのだと誤解して落ち込んでいたところに、河合からの激励を受け、石橋への暴挙に至ったのだという経緯を、玖珠はこのとき初めて知った。


「なるほどねぇ。“喜屋武は間違ってなんかいない”、か――。河合君はよっぽど、人が欲しい言葉を察する力をお持ちのようだ。だがこれでようやく合点がいったよ、喜屋武さんが思いつめて暴走した理由についてね……」


 喜屋武の話を咀嚼して、玖珠は少し迷った後に、石橋と河合にまつわる中学時代の確執を喜屋武に語ることにした。

 ――ただし、ほんの少しの脚色を加えて。


「石橋君、ちょっと人と変わったとこあるでしょ? ほら、喜屋武さんもよく知ってるやつだ。それが原因で中学時代、ある人物から相当に目を付けられたらしくってね。まあ、かいつまんで話すと、だ。河合君が中学時代には別の苗字と名前で、石橋君とオナチューだったっつー話で……」


 男子のくせに少女趣味を持つ石橋をターゲットにいじめの主犯となった河合が、次第に石橋本人に酷く固執するようになり、果ては高校まで追いかけてきた――。

 そんな話を玖珠が聞かせると、喜屋武は面白いくらいに青ざめていった。


「……そんな……そんなことがあったのか、石橋君には……。それは……」


 言いながら、心底痛ましいというように、泣きそうな顔をして喜屋武は呟いた。


「かわいそうに。きっとつらい思いをたくさんしたんだろうな……」


 喜屋武は心から石橋に同情しているようだった。

 中学時代から喜屋武を見てきた玖珠には、彼女が愚直なほど素直で情に熱く、弱者の味方をしたがる正義感の塊のような人物であることはよく理解できていた。

 だから河合は、そこに付け込むことにしたのだろう。

 喜屋武の信じる正義を煽り、玖珠璃瑠葉を力づくでも手に入れろと囁いてみせたのだ。

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