ep52.「殺害というプロセスによってのみ、唯一コントロールできちゃうんです」
桜庭がゆっくり口を開いて、息を吸い込み、腹に力を入れるのが分かった。
悲鳴を上げる気だ。すかさずペンチで前歯を挟む。
「っ――」
「騒いだらへし折っちゃいます」
かち、とペンチに力を込めると、喉を鳴らして桜庭は黙り込んだ。そして口を開いたままで囁くように早口で問う。
「あんた、るりあでしょ? 白木るりあ。何でこんなこと」
「人の学生証を勝手に盗み見たんですか? 当ててくださいといったのにカンニングだなんて、とっても無礼な人……」
「ひっ」
「別にいいですけどね。あんなの、夏休みの工作で作った学生証ですし」
安斎はにっこり笑って、ペンチを歯から離した。
「……言いたいことはたくさんあるんだけどさ、とりあえずあんた、イカレてんの……?」
「自分に理解できないからって人をそういう風に決めつけるのは良くないですよ。わたしは自分の理解に関係なく、いつだって人には敬意を払っています。あなたにもですよ、桜庭さん。奨学金の返済が滞ってカードローンの返済も追いついてなくて、いつまで経っても昇給の見込みがないあなたに対しても、わたしは人一倍の敬意を払っています」
「え、は――嘘でしょ、なんでそんなこと……」
「知らない人を家に上げるって、そういうことなんですよ。不用心ですね。だからあなたは望んだ暮らしができないし、こんなに早死してしまうんです……」
言いながら、優しく愛情をもってそうするように、桜庭の額に自分の額をコツンとぶつけた。
至近距離でその瞳の奥を覗き込むようにしながら、安斎は囁く。
「どうせ長生きすることに絶望していましたでしょう? 将来的にもらえる年金は、とても暮らしていけるほどじゃない。貯金だってたまらない。奨学金なんか、あと十二年でしたっけ? ふふ、返しても返しても終わらない。残ったのは借金と、くたびれた無気力な自分の身一つ……。ご自分で死ぬ勇気がないようですからわたしが終わらせてあげます。わたしはちょうど人を殺したくってたまらなかったので、win-winってことになりますね。――さ、お互い助け合いましょ?」
歌うように言いながら顔を離すと、安斎はすぐそばに置いてあった注射器を取り出した。
「これはわたしが育てた鈴蘭も混ぜて作ったお薬です。――わたし、園芸部なんです。といっても活動している部員はわたしひとり。今年新入生は入ってこなかったし、先輩方は受検勉強で忙しくって時間がないから、わたしは花壇の手入れを任される代わりに、花壇を好き勝手できる権利を手に入れちゃいました。もともと花が好きな女子であることをアピールしたいだけの人たちでしたから、熱心な後輩がひとりで面倒を全部引き受けるというのは都合が良かったのでしょう。わたしもあんなに広いお庭を独り占めできるので文句はありません、これもwin-winってやつですね。あら、わたし、意外と“助け合いの世の中”に馴染んでいるのかも」
「……なんで、あたしなの? なんであんたは殺したいの?」
「それよく聞かれるんですけど、自分でもあまりよくわからなくって。……でもそうだなぁ、強いて言えば、希少性というものに惹かれているのかもしれません。死という瞬間は、どんな人にも平等に、だけどたった一度きりしか訪れません。つまり世界に一つだけの時間。そのたった一つの瞬間はしかも、いつ訪れるかわからない。病気か事故か突然か……ランダム性の高い希少なそのタイミングは、殺害というプロセスによってのみ、唯一コントロールできちゃうんです。これって冷静に考えると結構すごいことですよね。まるで自分が万能になったみたい」
饒舌に語りながら、桜庭の腕を取り針を刺す。桜庭の視線は迷わず安斎の顔に向いていた。だから彼女は針を刺される痛みにさえ気づかなかっただろう。
採血で看護師が患者の気を紛らわせるように、安斎は語り続けた。
「別に神様気分を味わいたいわけではないんです。ただ、珍しいものを自分のちょっとの頑張りで手にできるならそうしたいと思うだけ。誰だってそういう気持ちはありますでしょう? 福引で一等を当てるとか、ソーシャルゲームでレアキャラを引くとか、道端で小銭を拾うとか……ああ、そうだ。期間限定のスイーツを買うというのも、これに近いかもしれませんね」
ふふ、と安斎が笑うのと同時に、薬剤が全て血管の中へ入り込んだ。
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