ep37.「……アタシ……ほんとは女なの……」
耳たぶを引っ張られて叫ばれ、涙目の喜屋武が唖然と玖珠を見つめていた。多くの男子を魅了してきたはずの黒曜の瞳から、ぽろりと涙をこぼして言う。
「あれは……だって……そんなのほんとは……」
「ほんとは何だ!? 男はみんな悪か!? 女だけが正義か!? そりゃああんたみたいに美人でスタイルの良い傾国のマドンナなら、男なんてみんなクソだって思っちゃうのも分かる。だが! だからってそれを先入観にして良い理由にはならないッ!」
「分かってるよ! そんなの分かってるけど! そんな風にでも考えなきゃ、油断しないようにしなきゃ! カモにされそうで嫌なの……っ! 男にとって、都合のいい存在みたいに思われて、消費されるばかりなのが嫌なの……っ! だから男の人とは上手く話せなくって、ずっと、怖くて緊張するばっかりで……っ……でも怯えたらナメられるからっ…………だから……っ……」
いよいよ本格的に泣き出した喜屋武に、お手上げと言わんばかりに手を離して玖珠が息を吐いた。
「そんな泣くなよ、あたしが悪いみたいじゃないの……。とにかく喜屋武さん、石橋君は……」
「玖珠さん、こわいぃ……どうして怒鳴るのぉ……っ」
殴られた顔を抑えて、ぐすぐすと喜屋武はしゃくり上げる。普段の研ぎ澄まされた大和撫子然とした彼女からは想像もできない姿だ。小さな子どものように泣くことに一生懸命で、玖珠の声は全く届いていない。
肩をすくめて玖珠が視線を寄こす。石橋はそれを受け、任せろと言ったように玖珠の肩を叩いた。
居住まいを正して、石橋はそっと喜屋武に声をかけた。
「ねえ、喜屋武さん」
「ひぃッ――!」
おそらく彼女にとっては何よりの外敵である男声を聞き、喜屋武は肩をすくめてぶるぶる震える。
本当に任せて大丈夫なのかと疑うような玖珠の視線に対し、石橋は力強く頷いた。
石橋にはこの場でたった一つ、心当たる悪知恵が浮かんでいたのだ。
「僕はさ……ううん…………アタシ、は……」
いきなりの裏声に玖珠がぎょっとして目を剥く。喜屋武が恐る恐るといった風にこちらを見上げる。
石橋は股関節を酷使して内股になって座り、できるだけ高い声で語り始めた。
「……アタシ……ほんとは女なの……」
「……? 何、言ってるの……」喜屋武はぽかんとしていた。
「ああ……ごめんなさい、そうよね。いきなりこんなこと……。でも喜屋武さんに怖い思いをさせちゃったのはアタシの責任だわ。だからちゃんと話す。――アタシね、ずっと女に、女の子になりたかったの。もちろん体は男だってわかってるわ。でも可愛い物が好きだし、男子とゲーセン行くより、女の子とカフェ巡りしてる方が楽しい。口調も気を抜くとこんなんなって、だから中学の時はそれでトラブって、ちょっとその……高校では、人間不信になっちゃってたの。自分のこと話さないからって、いろいろ人から誤解されることも多くって。喜屋武さんが知ってる通り、己斐西さんともそうなっちゃったし……」
「……本当に? 本当に石橋君、女の子なの……?」
喜屋武が玖珠に訊ねた。
石橋が青ざめる玖珠に必死で目くばせすると、彼の頼れる友人はうめくように返事をした。
「ええ、あああ、そう……。そうだよ。石橋君とは、そういうお友だち、だ……。お互いちょっとした秘密を打ち明け合ってね……」
「そうなの。だからその、一年の時にあなたが玖珠さんのこと好きだって知って――あなたが玖珠さんのジャージ見て、その……だいぶ嬉しそうにしてたことを偶然見ちゃって――変な話だけど、ちょっと嬉しくなっちゃったの。だってあなたは女の子が好きで、アタシは女の子になりたい。どちらもなかなか理解の得られないことよ。だからもしかしたら、その……勝手だけど、お友だちになってくれるかもって、思ってたの……」
「お、お友だちに……? 私のこと、脅迫しようとかって考えてたんじゃなくて?」
「冗談言わないでよっ! アタシ自身、この問題で相当苦労してきたのよ? あなたの苦労も何となくだけど想像ならできるわ。絶対に脅迫なんてしないし、人に言いふらしたりなんかしないわ」
こういう芝居は髪の毛先ほどでも照れたらおしまいだ、ぼろが出る。だから石橋は全力で役に徹して言い放った。
喜屋武は目尻に残っていた涙を一筋こぼし、暫し口を開けたままぼんやりしていた。
さすがに無理のある茶番だったかもしれない――。
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