ep27.「プレゼント・タイム!」

 登校して靴を履き替えてすぐ、石橋はチャットツールで呼び出しがあった場所へと向かった。

 言わずと知れた図書準備室、石橋の敬愛する作家のアトリエとも呼べる魔窟だ。

 前回はノックの返事も待たずに無断でズカズカと押し入ったため、今回は入室時の作法についてチャットで指南されていた。


 ――なんとも、本当になんとも恥ずかしい儀式だが――石橋は指南の通りに扉を五回ノックし、周りに誰もいないのを確認して、小声で扉に語り掛けた。


「プレゼント・デイ?」

「プレゼント・タイム!」


 ははは、という笑い声と共に、間を置かず玖珠の声が返って来た。

 つまりは合言葉だ。変わり者の玖珠がいかにも好みそうな儀式である。付き合わされるこちらとしては、恥ずかしくてたまらないが――。


「石橋君おはようッッ!!」

「こわいッ!」


 扉が開いたと思った瞬間、はしゃぎ倒す声と共に腕を掴まれ引きずり込まれた。

 そこで初めて石橋は玖珠と向き合った。興奮に顔を青くして、鼻息荒く玖珠はまくし立てる。


「ニュースは見たかい、見たよね、見たはずだッ! あたしらのご近所で猟奇事件ッッ!! それも昨日一戦交えた人が主人公ッ! 最ッ高のスリルじゃねえのよ!?」

「玖珠さんも不謹慎さで言えば最高だよ……。にしても、猟奇事件ね……」

「何か引っかかるのかね!? ぜひ聞かせてくれよ君の意見をよォッ!!」

「いや特に意見なんてないけど……」


 深呼吸しろ、と呟いてソファへ促す。

 玖珠は自分が猟奇事件の関係者と少しでも交わったという事実に、大興奮を隠しきれていなかった。今に趣味として現場検証に繰り出しかねない。良識ある同級生としては、友人の危険な好奇心に水を差すべきだろう。


「僕は名探偵じゃないし捜査関係者でもないから、これはあくまでただの感想。――あれって本当にあの人が犯罪者なの? 別にくだらないニュースサイトのコメントの受け売りじゃないけど、にしたってありゃ……不自然が多すぎるだろ。百歩譲って彼が舌コレクションの殺人鬼だとしても、なんでまた自殺なんか……」

「っていうと石橋君はまさか、真犯人が野放しになっていてまだまだこの町で事件が起きるかもしれないって、そういうことを言ってんのかい!?」

「身を乗り出すな、顔が近い。……僕が言いたいのは、今後どんな続報が来るか分からないから、校門や昇降口に貼りだしてあったようにしばらくは用心して、暗くなる前にお家に帰った方が良いだろうってこと。――特にどっかの愉快な文芸部員は、しょうもない妄想ではしゃがない方が良いだろうね」

「愉快だなんて照れるなぁ! ドキドキしちゃうぜ文芸部!」

 

 今日、校門をくぐってから靴を履き替えるまでの道中、校内にはしつこいほどに張り紙で告知されていた。


 学校近辺での不穏な事件を受け、今日は部活生も含めて全員が同時刻に一斉下校するらしい。


 この不謹慎なスリルジャンキーに、今朝の己斐西との会話について話すべきか否か――考えるまでもなく後者が答えだ。余計な餌を与えるべきではないだろう。

 目の前でああでもないこうでもない、とニュースに勝手な考察を立てまくる玖珠の声を聞き流していると、そこに割って入る音があった。


 ごんっごんっ、と二回。まるで殴るようなノック音だ。


「……どうぞ?」


 玖珠が即席の余所行きの声で言う。だが顔の方の興奮はあまり隠しきれていなかった。


「――失礼、ここに石橋君が来てるかと思って」


 無遠慮に扉を開けて入って来たのは喜屋武照沙だった。石橋はもちろん、玖珠もあまり意外がらなかった。やはりこの部屋は喜屋武からマークされているらしい。この前の投石の犯人は彼女でほぼ間違いないだろう。


 玖珠が先ほどよりもいくらか落ち着いた声で訊ねた。


「こんにちは喜屋武さん。なにか用事?」

「うん、ちょっと石橋君と二人きりで話がしたいと思って」そこで一度切って、意味深な長し目をこちらに向ける。「この前のことを――ね。今日の放課後に時間はある? 武道場まで来てほしいんだ」

「……良いけど、今日は五限で一斉下校のはずじゃなかった? ほら、近所であった事件のせいでさ、物騒だからって……」

「だから都合が良いんだよ。誰にも聞かれたくない話だから、みんなが帰った後に石橋君と私の二人きりで話をしよう。私は放課後遅くまで部活の練習で残ってることが多いから、部長から鍵を預けてもらってる」


 そう言ってポケットから鍵を出して見せられてしまえば、なんだか断りにくい。


「そういう、ことなら……」


 曖昧に頷く石橋の正面、ソファに座ったままの玖珠に喜屋武が視線を投げた。玖珠がそれを受け、取り繕うようにして両手を振りながら言う。


「えっ、あっ、ああ! 大丈夫だよ喜屋武さん石橋君、あたしなら全然今の話聞いてなかったし、もちろんデバガメなんて野暮なことはしないから」

「そりゃあ、もちろん!」


 急に大声を出して喜屋武は大げさに頷いた。どこかうっとりと夢見心地の顔を浮かべている。


「玖珠さんはそんな下品なことをする人じゃない。私は信じてる。だから大切な話でも、安心して話をしに来られたんだよ……」


 喜屋武の声と顔は、まるで全能の神にありったけの信仰をささげる盲目気味な信者のそれだった。喜屋武が玖珠に夢中だということはすでに分かりきっていたが、あらためて目の当たりにするとなかなかに恐ろしいものがあった。

 玖珠に向けていた視線を石橋に戻した途端、いつも教室で見る冷ややかな美女の風貌を取り戻して喜屋武は突き放すように告げた。


「それじゃあ、放課後にまたね。石橋君」

「ああ、うん……じゃあね喜屋武さん……」


 一方的な挨拶と共に喜屋武が去っていく。自分が割った窓ガラスにはついぞ一度も目をくれなかった。

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