第25話 危篤の知らせ


 さて、その年の夏――。


 時島が、険しい顔をしながら、珍しく携帯電話を手にしていた。俺は蕎麦を食べながら、これまでに時島が、電話をしている所を見た事があっただろうかと考えていた。紫野とはよくメールをしているらしいから、携帯電話を使っていないという事は無いだろうが、その場面もほとんど見た事が無い。


 電話を切った時島は、俺の真横に座った。

 時島の方が背が高い。じっと時島は、俺を見据えた。


「――父が危篤になった」

「え」


 響いた声に、俺は驚いて声を上げた。以前少し実家の話を聞いてから、家族の話はこれまで一切出なかった。それがいきなり……――危篤だ。大変ではないか。


「俺は、どうすれば良いと思う?」

「どうって……すぐに帰れよ!! 死に目に会えなかったら、その……」

「俺は怖い」

「そりゃそうだろうけどな、今、出来る事を精一杯――」

「お前についてきて欲しいんだ、左鳥。そんな自分に吐き気がする」


 時島はそう言うと、ギュッと俺を抱きしめた。家族が亡くなろうとしているのだから、誰だって不安になると思う。時島がついてきて欲しいと願う事もさほど不思議には感じなかった。何せ、今そばにいるのは、俺だけだ。


「俺で良ければ、すぐに行くよ!」

「……何も聞かないで、ついてきてくれるか?」


 確かに詳しい病状などは、俺が聞くべき事では無いだろうし、聞いても理解出来ないと思う。だから大きく頷いた。





 時島の実家には、まずは新幹線に乗り、それから鈍行で四時間ほど移動し――さらに駅からは、時島家の人が迎えに来てくれた車で向かう事になった。黒塗りの車だった。ありがちな感想だが……相当裕福なのだろうなと、その車に乗っただけで俺は感じた。普段の割り勘による貧乏生活からは、想像もつかなかった。


「お帰りなさいませ、昴様」


 到着した邸宅は、昔ながらの日本家屋で、大豪邸だった。ポカンと見上げていると、庭から玄関までに並んだ人々が、腰を九十度に折る。まさに非日常に迷い込んだような気分だ。何よりも驚いたのは……(おそらく)使用人の全員が、皆白い仮面を付けていた事だ。顔の輪郭にぴたりと合う、のっぺりとした白い仮面だ。鼻の所だけが盛り上がり、目と口の所にはポッカリと暗い穴が空いている。それでいて、和服姿なのだ。皆、小豆色の着物を纏っている。出迎えてくれた人々は皆女性であるようだった。


 時島家の中に入る時は緊張した。ラフな格好の俺が、本当にここにいて良いのか。まぁ時島も似たり寄ったりの格好だが――思えば時島は、普段から比較的落ち着いた服を着ている……。


 最初に通されたのは、畳の部屋だった。

 そこに至るまでの襖は全て金色で、白い虎の絵や緑の木などが描いてあった。


「おかえりなさい、昴」


 部屋の中に立っていたのは、真っ赤な着物を着た女の人だった。裾が畳についている。白い足袋が見えた。柄が綺麗で、大きな牡丹と金色の刺繍が方々に散っている。手には金色の扇子を持っていた。口紅が赤い。睫が長いのは自然のものに思えた。目が大きい。そんな事を考えている場合では無いのだが、細身の美人だなと感じた。


「姉さん――父さんの具合は?」

「奥座敷で寝ているわ。無事に峠は越えたの――けれど、当主の代替わりは決定事項よ。分かっているわね」


 その言葉に、俺は正直安堵していた。そうか、峠は越えたのか。無事で何よりである。

 そしてこの人物は、時島のお姉さんなのかと、同時に理解した。


「大学を卒業するまでは、俺は――」

「この際、それとは話が別なのよ。後で話しましょう」

「……ああ」


 二人のやりとりに、もしかして時島が、当主の座とやらを継がなければならないのだろうかと、漸く考えが至った。これまでに、時島とは、兄弟の有無の話をした事が無いので、正確には分からないが。


「こちらでもウミコは集めていたのだけれど……そう、そう、そうねぇ」


 その時不意に、お姉さんが俺を見た。ウミコとは何だろう。海に関係するのだろうか。しかしこの辺には、海など無い。この家は、は山の上に一軒だけ、ポツリと建っているのだ。村八分ですらない。村が無い。時島家は、完全に独立している。


「明日が楽しみね。お名前は?」

「あ、その、霧生左鳥と言います。時島の――昴君の友人です」

「友人、そう……友人なのねぇ」

「姉さん」

「あら、少しくらいお話をしても良いじゃないの。私は、椿と言うのよ。よろしくお願い致します」


 その後椿さんは、微笑してから、奥の座敷へと入っていった。


「左鳥。取り敢えず、部屋に案内するから」

「後で良いよ。それよりお父さんに会ってきた方が――」

「いや、良い。左鳥が心配なんだ。俺がいない間、絶対に部屋から出るな」

「え、トイレは?」

「……まぁ、それは、そうだな」


 時島が脱力したように肩を落とした。しかしながら、見知らぬ場所ではお腹が痛くなる俺には、大問題なのである。それから部屋へと通され、時島は俺に、「なるべく外に出るな」と再度念押ししてから、父親のもとへ顔を出しに行った。


 俺が通された部屋は、豪奢な和室で、旅館の部屋のようだった。独特の古めかしい匂いがする。

 夜になって時島が戻ってくると、夕食が運ばれてきた。


「精進料理みたいだな」

「悪いな。我慢してくれ」

「お父さんの具合はどうだった?」

「寝たきりだ、もう長い間だな。寧ろ……俺を呼び戻すための口実だったんだろうな。前回会った時と変わらない様子だった。危篤というのは、方便だったんだと俺は考えている」

「え?」

「本当に悪い。お前を連れてくるべきじゃなかった。ごめんな、左鳥」


 時島が、視線を落とした。旧家には旧家のしがらみがあるのだろうと、漠然と考える。実際に旧家かは知らないが、いかにも由緒がありそうだ。


「お父さんが無事で良かったな」


 俺はありきたりだが、他にかける言葉も見つからなかったので、そう告げてから笑って見せた。だが、時島は浮かない顔のままだった。



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