1-3
放課後に教室で過ごし始めて二日が経った。いつも帰宅後にだらだらとしていたから、嘘みたいに集中できるのが自分でも驚きだった。合格祝いで貰ったステッドラーも喜んでいることだろう。
私はその日、砂時計を三度使い切ったあと、休憩に手洗いに立った。そうして帰ってきたときのことだ。扉を開けると、冬木の前の席に女生徒が後ろ向きに座っていた。
綺麗な女性だった。髪を肩まで下ろし、窓のサッシを背もたれにするようにして座っている。椅子に掛けられた脚はスカートの裾からすらりと伸びて華奢だ。白い手に収められた文庫本に目を落とした顔は清らかで、しかし一度こちらを見た視線はどこか力強く、近寄りがたい雰囲気だった。
と、これだけ記せば美しい姿であるのだが、彼女の座る姿勢が、その美麗な体躯から醸し出されるべきであろう雰囲気を台無しにしていた。足を組んで、頬杖をして、飴でも含んでいるのか口がいちいち動いている。容姿端麗な分、なんだか残念な気分になった。
私を認めた女生徒は本に栞を挟み、鞄の横に置いた。
「あなたが白本さんかしら?」
微笑がまた綺麗だった。貼り付けたような笑顔ではなく、ただ、素朴な美しさがあった。墨華は私の肩の上で首を引っ込めてじっとしている。
私は戸惑いながら、はいと頷きを返し、冬木に疑問符を投げかけた。
「昨日言ってた、七夜先輩」
「あぁ」
初めましてと挨拶を交わしたが、それ以上大したやりとりをすることはなかった。ただ、一つ彼女の印象を加えて述べるとすれば、やけに丁寧な口調だなと思った。佳人に相応しいはずなのだが、いかんせん振る舞いが粗雑らしいので混乱してしまったくらいである。端的に言えば、脳がバグった。ただそれだけ。
私たちは各々静かにノートや文庫に向かった。代わりに種々の音が耳に届く。私がペンを走らせる。七夜先輩が本を繰る。秒針が時を刻む。それから冬木は、時々砂時計をコトリと返す。窓の外からはラッパが軽快にマーチを奏でていた。
何とも腑に落ちないため、気にならないのかと尋ねてみれば、冬木はそうでもないと答えた。静かに過ごしている分には邪魔にはならないし、時々勉強を教えてくれることもあるからむしろありがたいくらいだと言う。
そんなものだろうかとやはり納得がいかなかったが、今日小一時間過ごして、確かに案外気にならないかもしれないと思い直した。見ず知らずの人物の前で少し緊張感もあり、却って集中して過ごしていたようにも思う。
しかし、それはさておき、やはり彼女の意図が気になる所ではある。昨日、冬木は言った。
「昔、会ったことがあるはずなんだ」
「そうなの?」
「たぶん」
「たぶんって……」
「七夜先輩は、はっきりそう言うんだよ。でも病院で会ったって言われても、雰囲気だって違うだろうし、そもそもそれどころじゃなかったし」
その時冬木は言いながら、指先で自分の右肩に何度か触れた。火傷の跡が思い起こされた。
そんな会話を回顧しながら時折七夜先輩の方を横目で見ると、涼やかに膝の上で本を読んでいる。手足は細く、首筋は絹糸で編んだように繊細だ。それは一見すれば硝子細工のように端麗だが、その分ふとした衝撃で壊れてしまうのではないかと思われる程に病的にも見えた。
気づけば斜陽が入り込んできて、教室が淡い橙色に浸りつつあった。
「これが落ちきったら切り上げましょうか」
七夜先輩が冬木の砂時計に指を当てて、くるりと円を描きながら言った。時計は十六時二十三分を指していた。
程なくして砂が落ちきると七夜先輩は席を立ち、また来週と言って教室を去った。私と冬木は帰り支度を始める。
「結局、あの人は何なわけ?」
「分からない」
「本当に思い出せないの?」
冬木はうーんと数秒呻って思案顔を浮かべたが、やがて首をかしげながら鞄のジッパーを閉じた。
「
独り言のように冬木は小さく呟いた。
「つゆか?」
「あぁいや、こっちの話」
話は終わりだと言外に突き放されたような気がした。きっと、考えなしに踏み込んではいけない。不用意に足を突っ込むべきではない。本人がわざわざ口をつぐんでいるのだから、それくらいの配慮をできなくてどうする。
しかし、席を立った冬木の頭に墨華が飛び乗って、彼の額を上からつついていた。そんな光景をみせられれば、気になって仕方がないではないか。好奇心と老婆心が私の口を動かそうとする。
とっさに私は水筒を取り出してお茶を口に流し込んだ。そうして、もう喉まで出かかった追及を、なんとかして一緒に飲み込んだ。
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