第39話



 

「ごめんねー、結局全部食べ切れなかったよー。ケンのお弁当を残すなんて、佐藤明莉、一生の不覚です……!」


「いやいや、明莉一人で二人分以上食べてたけどね? お陰でびっくりするくらいカバンも軽くなったよ」


 結局お弁当は残ってしまったものの、明莉はその体のどこにそんなに入るのかと聞きたいくらいの量を食べ切った。

 明莉は申し訳なさそうに手を合わせる。


「疲れたら言ってね? 私が荷物持つから」


 そう言ってニコッと口角を上げた明莉の口の端に、照り焼きのソースらしき色がついているのが見えた。


「あ、待って明莉」

「うん?」


 健はウェットティッシュを取り出し、明莉の口元を拭いてあげる。


 すると明莉は、一瞬ビクッと驚いたような反応を見せるが、すぐに顔を突き出して身を任せてくる。

 妹が小さかった頃を思い出すなと考えながら、拭き終えると、明莉は後頭部を掻きながらおどけるように笑う。


「いやーこれは失敬失敬。お見苦しいところを」

「いえいえ、お年を召しますとお口元が緩くなるものですので、お気になさらず」


 健も明莉に合わせてふざけて返すと、彼女は照れ隠しのようにオーバーなリアクションを取る。


「まだそんな年じゃないから! こんなにプルンプルンなおばあちゃんがいて堪りますか!」

「プ、プルンプルンって……。もっと『かわいい』とか、他の言葉なかったの?」


 明莉はそんなつもりはないのだろうが、ぴょんぴょんと飛び跳ねながらプルンプルンなどと言うものだから、上着越しにもわかる程存在感のある胸の方に、思わず視線が引き寄せられてしまう。


「え⁉⁉」


 その明莉の驚いたような声に、健は慌てて視線を顔の方に戻す。

 明莉は呆気にとられた表情で問いかけてくる。


「……ケンから見て、私ってか……かわいいに、入るの?」

「へ? まぁ、そりゃあ……かわいいでしょ、明莉は」


 健から見て、と言うよりかは、おそらく街中で十人に聞けば十人ともかわいいと言うだろう。

 健の回答に、明莉は口をもごもごとさせた後、プイと反対方向を向いてしまった。


 何だ。この妙な空気は。


 しばらく沈黙が続き、明莉が「ああーーーー‼‼ もう‼‼」と叫んだ後、こちらに背を向けたまま話を続ける。


「何か、さっきからごめんね? 私が一番楽しんでたり、飲み物用意してくれたり、口元拭いてくれたり……何か私の方が世話をされてるみたいじゃんね。あーあ。今日はこんなつもりじゃなかったんだけどなぁ。私って駄目だなぁ」


 明莉は己の行いを悔いるようにそう呟く。


 先ほどは食べ物で上手く誤魔化せたつもりになっていたが、明莉は健を労われていないと気にしてくれていたようだ。

この場を設けてくれただけで、こちらとしては十分だと言うのに。


「ははは、今更何言ってるの。俺達っていつもこうでしょ? いつも通りにしてくれるのが、俺は一番うれしいんだよ」


「……それならよかったんだけど……」明莉はそう言った後、静かに首を横に振り、妙に真剣な声色で言葉を続ける。「ううん、よくない。いつも通りじゃ、ダメなの」


「どういうこと?」


 健は聞き返すが、明莉はそれ以上は何も答えてくれずに、何かを考え込むように黙り込んでしまう。


 正直、健には彼女が何をそこまで気にしているのかが分からなかった。いつも通り遊んでいるだけで元気が出る、と健本人が言ってるのだから、それでいいじゃないかと考えてしまう。


 でも、明莉は今のままでは何かが足りないと考えてしまっているのだろう。

 こんなにも自分のことを考えて行動してくれているのだ。明莉にとってもこの場を設けて良かったと思ってほしいところだが、いつも通りにしてくれるのが一番うれしい、と口だけ言うのでは説得力に欠けるのだろうか。


 そう思った健は、そもそも何で明莉の笑顔見ていると、元気が出てくるのかを考えてみる。

 すると一つ、心当たりがあったため、明莉に語り掛ける。


「俺さ、料理が嫌いだったんだ」

「……へ?」


 突拍子のない言葉に、明莉がやっと健の方を向いてくれたため、ニコッと笑い返して「小さい頃の話ね」と補足して説明を続ける。


「ばぁちゃんって明莉には優しかったけど、俺には厳しかったでしょ?」

「……うん、そういうところはあったね」

「料理になると特にそうだったんだ。少しでも工程を間違うと『何やってんだい!』って怒鳴り声が飛んできたよ。そして二言目にはいつも『明莉ちゃんならできたのにね』って比較されてさ。そう考えると、明莉のせいで料理が嫌いになってた、まであるかも」


 すると明莉は、「うへぇ、とばっちりだぁ」と言って苦い顔をしたため、二人で顔を見合わせてくすくすと笑いあう。


「でも、料理の楽しさを教えてくれたのも明莉だったんだ。まだ一緒にばぁちゃんから教わってた時、俺の失敗作を二人で食べてたの覚えてる? あの時明莉は、俺の作った失敗作のことを『味だけじゃなくて、心も美味しい』って言って笑顔で食べてくれたんだよ?」


 明莉は明後日の方を向いて、「あ~~。あったような……?」と微妙な反応をしている。

 これは間違いなく忘れてるな。

 でも、忘れていたところで関係ない。あの時明莉に救われたのは事実なのだから。


「明莉のその言葉と、その笑顔があったから、俺は技術を伸ばすんじゃなくて、明莉のために……いや、誰かのために料理を作ろうって思えたんだ」


 食べてる時の顔を見ながら、この人はどんな味が好みだろうかと考え始めたのもそれが最初だった。


「明莉の笑顔が、俺の料理の原点みたいなものなんだよ。だからさっきも、いつも通りお弁当美味しそうに食べてくれて、すごく嬉しかった」


「…………」


 明莉は顔を真っ赤にして俯き、相槌も何も返さなくなってしまった。

 そのせいで健自身も、ちょっと臭かっただろうかと恥ずかしくなってきた。


「ま、だから明莉は変に気を遣ったりしなくてよくて、いつも通り笑っててくれればいいってだけの話! 俺はそれだけで勝手に元気になるんだから!」


 そう言って無理やり話を切り上げ、恥ずかしさを誤魔化すために歩き出したところで、明莉が大声で呼び止めてくる。


「ケン!」


 健が振り返ると、明莉は困ったような笑みを浮かべながら口を開く。


「今日はケンを元気づける日だから、こんなこと言うつもりなかったんだけど……もう、我慢できそうにないから、言うね……?」


 明莉はそこで一呼吸を多くと、覚悟を決めた様にキッと眉根を寄せて、思い切り叫んだ。


「私、ずっとケンのことが好きだったの! 私と、結婚して‼‼‼‼」

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