第36話

 翌日の午前六時半、祝日にもかかわらず、健は朝早くからキッチンで調理に励んでいた。その隣には明莉の姿もあり、手際よく食材を切り分けてくれている。


 遊びに行く場所は、近場の公園となった。公園と言っても、動物園やボート場、カフェ等が公園内にあり、複合施設のようなものだ。

 適当に遊ぼうと言う雑な計画で、予定はほとんど決まっていないが、唯一昼食だけは決まっていて、健と明莉で弁当を作ることになっていた。


 健はフライパンを振りながら明莉に問いかける。


「なんで、わざわざお弁当を作っていくことにしたの? 外食の方が楽じゃない?」

「なんでって、ケンは誰かに料理作ってる時の方が一番か……いい顔してるからね。 こっちの方が気分転換になるでしょ?」


 否定はできない。現に、明莉と一緒にキッチンに立っている今、誰かと料理をすることが楽しいと感じてしまっている。


 健はフライパンの上で焼きあがった鶏もも肉に、あらかじめ合わせておいた照り焼きのたれを絡めていく。ジューっと音を立てて一煮立ちしたところで、フライパンを傾け、スプーンにタレを少しだけすくって、明莉の口元に近づける。


「明莉、こんなんでどう?」


 明莉は、スプーンと健を交互に見て、一瞬躊躇する様子を見せるが、すぐにぱくっと口に入れる。


「う~ん、ちょっち甘いかなぁ~。お醤油とお酒を少し足した方がいいかも」

「はいよー」


 健は明莉の言う通り、酒と醤油を足した後、ふと違和感に気付いて彼女を二度見する。


「あれ? 明莉、味付けなんて分かるの?」


 てっきり、甘い! しょっぱい! うまい! のどれかで返ってくるかと思っていたが、具体的な返答で面食らってしまった。

 明莉はよくぞ聞いてくれた、とでも言いたげに得意げな表情になる。


「ふふーん! 最近すこーし料理の勉強してんだよね。やっぱ、定食屋の看板娘たるもの、ある程度はそういうスキルもないとね!」


「定食屋の看板娘? バイトでも始めたの?」


 健がそう質問すると、明莉はすごい形相でこちらを睨んできた。


「はぁ⁉ ちがうよ! 前に約束したじゃん! 塩野食堂で雇ってくれるって!」


 彼女の言葉に、前にそんなやり取りをしていたことを思い出す。

 あれ、本気だったのか。確かに面白そうとは思って、好意的な返事をしてしまった気がするが、その場のノリで言っているのかと思っていた。


「……まさかとは思うけど、忘れてたんじゃないよね?」


 明莉はじとーっと湿度の高い視線を健に送ってくる。

 素直に忘れてた、などと言ったら今日一日の彼女の機嫌に関わるだろう。なんて答えようかと考えを巡らせていると、丁度良く明莉のスマホが短い着信音が鳴る。


「ほら、スマホ鳴ってるよ」


 健が促すと、明莉は小さくため息をつき、渋々と健から視線を外してスマホを確認する。


「え⁉⁉」明莉は短い声を上げた後、不安そうな表情で健に視線を戻す。「佐古君と恵ちゃん、急な予定が入って来られなくなったって……」


「え……?」


 その時、健のスマホの着信音が鳴った。急いでスマホを取り出すと、佐古から電話だった。

 健は通話開始を押すと同時に彼に問いかける。


「佐古、今日来れないってどういうこと?」


 すると佐古は、悪びれもせずに答える。


『なぁに言ってんだよ。俺がお膳立てしてやったんじゃねぇか』

「……いや、全然話が見えないんだけど、何の話?」

『佐藤さんを、あのにっくきモテ男から奪還するには、今しかねぇってことだよ!』


 明莉を、にっくきモテ男……八坂から奪還……? なぜ自分がそんなことを……?

 健が何を言われてるのかがさっぱり分からずに困惑していると、佐古は苛立ったように怒鳴る。


『なんだお前⁉ まさかまた怖気づいたんじゃねぇだろうな⁉ こないだ『気になる人に一歩踏み出してみる』って言ってたじゃねぇか‼‼』

「…………あー、そういうことか……」


 健は、彼の言っている意味を理解した。

 こないだ飲みに行った時に、佐古に『気になる人に一歩踏み出してみる』と伝えた際『せっかく俺が手を出さないでやったんだから無駄にするなよ』とよく分からない反応をされた覚えがあった。

 今思えば佐古はあの時、健の気になる相手、というのを明莉だと勘違いしていたのだろう。それで今回、健と明莉を二人きりにするよう立ち回ったというわけか。


 あの時、佐古との会話の違和感を、酔いのせいだと放置していたのが失敗だった。


 健が誤解を解こうと口を開きかけたタイミングで、電話の向こうで、女性の声がした。


『佐古君、やっと見つけた。私のスマホ返してくれる?』


 その声は宮野の声だったが、怒りに声を震わせているような、聞いたことのない恐ろしい声だった。


「宮野さんも一緒なの?」

『あぁ、恵の奴がなぜか俺の策に食い下がってきてよ……仕方なく強硬手段に出た。まぁ、こいつは俺が何とか抑えるからそっちはそっちでがんばれ……ってちょ、ちょっとまて恵。それはダメだろ、角はまずいって、下手したら死――――ぐわ』


 そこで通話が切れた。何度か掛け直すが、完全に電話は繋がらなくなってしまった。

 向こう側で何が起こったのかは分からないが、変な勘違いで無駄に佐古が命を落としかけているようだ。

 佐古と宮野の会話を汲み取る限り、佐古は宮野のスマホを奪って逃走しているようだったため、宮野に連絡を入れても無駄だろう。


 不安そうにこちらの様子を見ていた明莉に、先ほどの通話の結果を、佐古の余計な気遣いについては伏せて伝える。


「やっぱり、佐古も宮野さんもだめ見たい」


 すると明莉は、途端にがっくりと肩を落とす。


「……じゃあ、今日はなし……だよね? お弁当、どうしよっか」


 その声には力がなく、今にも泣きそうになっているようだった。先ほどまでウキウキで準備してくれていただけに、テンションの落差に罪悪感を感じてしまう。

 今日の予定は、明莉が自分を元気づけるために考えてくれたもの。ここまで自分のためにしてもらっておいて、何もせずに解散するのは、あまりにも不義理ではないだろうか。

 そう思った健は苦笑しながら、明莉に声をかける。


「しょーがない。もうお弁当も作っちゃったし、二人で行こうか」

「やた――――!!」


 明莉はまるで準備でもしていたように瞬時に笑顔が戻り、小躍りを始めた。

 きっと、落ち込んだ様子を見せれば、健が受けて入れることまで計算していたのだろう。

 健はワザと呆れたようにため息をつくが、はしゃいでいる明莉を見ると、不思議と悪い気がしなかった。

 そして、浮かれている明莉に、念のため言葉を付け加える。


「ただし、八坂先輩には恨まれたくないから、ちゃんと言っておくこと」


 その言葉に、明莉は何も言わずに、ニコッと笑顔だけを返してきた。

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