第16話 我慢も限界

 あの団体闘技試合のあと、何やら訳が分からないうちに時間が過ぎて、今はもう夜になっている。

 そして、僕は今、またセスリーン殿下の前で跪き、頭を下げていた。




 あの試合が終わった後、皇后陛下の命を受けたという人たちが僕のところにやって来て、ついてくるように告げた。

 僕は素直にそれに従った。

 連れて行かれたのは、皇宮だった。そして、いろいろと身支度を整えさせられる。


 この間に、セスリーン殿下と顔を合わせる事はなかった。僕は安堵していた。どんな顔で殿下にお会いすればいいかわからなかったからだ。

 そして最後に、皇宮内のある部屋に案内された。

 その部屋に入るなり、僕は跪いて頭を下げた。室内にセスリーン殿下がいらっしゃったからだ。

 そうして、今に至っているというわけである。


 部屋に入った時に垣間見てしまった殿下は、とても簡素な、そして、目のやり場に困る衣服を身に付けていた。露出が多いわけではない。足元までを緩やかに覆うワンピース状の服だった。

 ただ、その服にはほとんど装飾がなく、布がとても薄かった。少し見ただけでも、その下にはもう下着しか身に付けていない事が察せられるほどだ。

 いや、高貴な方にとっては、この服装そのものが、既に下着姿も同然なのではないだろうか。


 その上この部屋には、随分と豪奢な寝台が置かれている。

 僕をこの部屋に案内した人たちはすぐさま退出して、扉を閉めてしまった。

 今この部屋には、殿下と僕の二人しかいない。寝台が置かれているこの部屋に、だ。

 これは、この状況は……。

 もし仮に、闘技場で皇后陛下が言った事が本気だったとしても、いくら何でもこれは……。


 僕はとりあえず、セスリーン殿下の姿を見ないようにひたすら床に顔を向けた。

 あんな姿の殿下を見てしまったら、いろいろと我慢が出来なくなってしまいそうだったからだ。

 そして、何もしゃべる事が出来ずにいる。一体どんなことを語ればいいのかまるで分からない。

 

 沈黙する僕に向かって、セスリーン殿下が口を開いた。

「何を畏まっているの、アーディル。

 お母様の言葉を聞いていたでしょう。私はあなたへの褒美の品よ。

 あなたは、もう私に気を使う必要はない。私の事をどうとでも好きなようにしていいのだから。私は、もう、あなたに逆らうことは出来ない。

 あなたも、私の日頃の行いに思うところがあったでしょう? 思い切りやり返していいのよ」


 この言葉には腹が立った。

 僕の殿下への気持ちを甘く見ないで欲しい。

「畏れながら申し上げます。私は、皇后陛下の如何なるお言葉があったとしても、殿下の意に沿わない事は決して行いません」

 僕はそう告げた。

 この僕が、殿下を傷つけるようなことをするはずがない。そんな事をすると思われていたなら、とても悲しい事だ。


 殿下から、小さな声で返答があった。

「……意に沿わないわけではありません」

(え!? 今なんて言ったんだ?)

「何と言われましたか?」

 

 しまった。思った事が、ほとんどそのまま口から出ている。

「こんな事を、何度も言わさないで……」

 セスリーン殿下はそう返す。

 何度も言いたくないってことは、恥ずかしいことだから、だよな。それって、それは、ひょっとして、今の言葉の意味は……。

 やばい、変な事を想像してしまって、我慢が効かなくなりそうだ。我慢、我慢をしないと。でも、我慢って、何の為にするんだったっけ?


 混乱する僕の近くに殿下が歩いてくる。

 そして、僕の目の前で両膝をついた。

 否応もなく、殿下の太腿が僕の視界に入った。

 何というか、布が、本当に薄い。


「こちらを見て、アーディル」

 僕は殿下の声に従って、顔を上げた。相変わらず最高に美しい顔が目に入る。

「アーディル、私の事をどう思ってくれているか、もう一度教えて」

「愛しています」

 自然にそう答えた。


「嬉しく思います」

 殿下はそう返してくれる。そして、言葉を続けた。

「今、お母様の言葉があっても、私が嫌がる事はしないと言ってくれたけれど。

 私を愛しているなら、あなた自身は、私をどうしたいと思っているの?

 私とどうなりたいのか、それを、教えて」

 その言葉には、何かを訴えているような、真剣な響きがある。

 僕も本当の気持ちを、その望みを返さない訳にはいかない。


 そう思ったが、僕には上手く言葉を紡ぐことが出来なかった。

「わ、私は……、その、殿下と……」

「もう、殿下ではないわ」

 そう告げる静かな声を聞いて、僕は少しだけ落ち着く事ができた。そして、改めて口を開いた。


「セ、セスリーン様。

 私の望みを申し上げます。叶うことならば、この私と、結婚してください。

 愛するあなたと共に生きる事、それが私の望みです」

「あなたの気持ちを受け入れます。私を、あなたの妻にしてください」

 セスリーン様はそう言って、目を閉じた。


 僕も、その意味が分からないほど鈍くはないつもりだ。

「よろしいのですか?」

 それでも、僕はそう確認した。

 セスリーン様は目を閉じたまま小さく頷く。

 僕はセスリーン様の顔に自分の顔を近づけ、その唇に口づけをした。


 セスリーン様の手が僕の背中にまわる。そして、身を寄せてきてくれる。服ごしに、その身の柔らかさが感じられる。

 僕もセスリーン様の背中に両手を回し、強く抱きしめた。

「ん!」

 セスリーン様の口から、そんなかすかな声が漏れた。 

 僕はもう、これ以上我慢する事が出来なかった。

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