⑪小さな科学者と惚れ薬
西暦2023年4月13日(水)晴れ
翌朝、練り飴のように固体化した惚れクスリを専用の紙で濾して、数滴のピンク色の液体を抽出する。そうやって完成したのが惚れクスリだった。鍋いっぱいにあった液体で小瓶一つ分。まちこがストックを作れなかった理由が分かった。
「か、完成しました。前回より澄んだ色をしています。まるで魔法少女の変身シーンの背景色のような美しいピンク色です! 最高傑作です!」
目を輝かせるまちこは喜びを自己完結できず私をバシバシ叩いてくる。下瞼に薄黒いクマがある私は、疲労と寝不足により引きつった笑みを作ることしかできなかった。ツッコミする元気もない。
「気を抜くのはまだ早いよまちこ。問題はこの惚れクスリをどうやって渡すかだ」
「普通に手渡ししようと思っています。この小瓶にリボンを掛けてそのまま」
「惚れ薬ってことは?」
「もちろん説明します。同意なく被検体をさせるわけにもいきませんし」
さすがに頭が回らない私でもわかる。それは確実に失敗する。
「ちょっと待ちたまえ。それじゃあ受け取ってくれないと思うから、もっと工夫を凝らして作戦を練らないと」
「最初はそう思っていました。でもカレンさんが教えてくれたんですよ。素直でいることの大切さを」
「いやそれは、時と場合による……」
「やっぱり素直が一番です!」
「くはぁ、まちこが眩しい!!」
天使のごとく曇りなき眼に、私の腐りきった目には刺激が強すぎた。飲み物に混ぜるとか拘束して無理やり飲ませるなどと考えてしまった私が汚れていたのだ。
「受け取ってくれなければカレンさんが飲んでくださいね」
「何としてもステラハートに飲ませないとな」
科学室で一夜を過ごしたが今日も通常通り授業がある。科学室に散乱した荷物を片付けて、鍵を返し終えた後に教室へ向かう。その道中、偶然にも廊下でステラハートと遭遇したのだった。
「あ、牛乳ぶちまけたヤツ」
第一声がそれだった。和解したと思ったがまだ棺桶に牛乳をぶちまけたことを根に持っているらしい。相変わらずステラハートは目つきが悪くて常に具合が悪そうに見える。彼女の腰まで伸びた白銀色の髪は美しく、近くで見ると顔立ちも悪くはない。男らしい女の子って感じだ。女子からピンク色のハートが飛ぶ理由も頷ける。
そして今日もドデカい棺桶を背負っていた。その棺桶のなかに教科書や筆記用具を入れてスクールバッグの代わりにしているのかと思ったが、ちゃんとスクールバッグは別に持っている。なおのこと棺桶の中身が気になってきた。
「お口が悪くってよステラちゃん」
「ちゃん付けやめろ。そういう見た目していないだろ私は」
「だからちゃん付けで呼びたいんだよ」
「良い性格してるなお前」
口は笑っているが目はしっかりと私を睨んでいた。そもそも目つきが悪いから睨んでいるのか通常運転なのか分からないが、それでも敵意を向けられているのは空気感で伝わってきた。
「それよりナイスタイミングだよステラちゃん。今日は牛乳をぶっかけに来たわけじゃないんだけど、ステラちゃんに渡したいものがあって」
「あれワザとかお前ッ!」
狂犬のようにぐるるっと鳴いている。敵意が殺気へと変貌した。首筋を嚙み千切られそうだ。
「あ、あのステラハートさん……」
「あ”ぁ?」
ステラハートの鋭い眼光はまちこを捉える。不良が善良な生徒に絡んでいる絵ずらにしかみえない。怯えるまちこは一瞬怯むが、惚れクスリを見つめたあとに一歩前進する。
「私が顕微鏡を置いた犯人です!!」
「まちこさん!?」
まさか自白するとは思わなかった。これ、火に油を注いでいないか? ちなみに火は私だ。ステラハートも「はぁ?」と眉間のシワが濃くなる。
「カレンさんが私の顕微鏡につまづいたことでステラハートさんの私物に牛乳をぶちまけたと聞きました。顕微鏡ごときで転ぶカレンさんが全面的に悪いと思いますが、少なからず私にも非はあります。なので謝罪も込めてステラハートさんにプレゼントを持ってきました」
「ほう。お前らを棺桶に入れて葬ってやろうと思ったが、ちっこいくせに筋の通っているやつだな」
私はキョトンとしながら「ら?」と聞き返したが無視されてしまった。ここでまちこが裏切るとは思いもよらなかった。私の中で友達(仮)がぺりぺり剥がれていく音がした。
さっそくまちこは黄色のリボンがついた小瓶を渡す。その未知未知なピンク色の液体を怪訝そうな顔で見つめるステラハート。
「なんだこれ」
「惚れクスリです」
「惚れクスリって、本人を目の前に堂々と打ち明けるものか普通。惚れクスリです言われて「はいそうですか」って飲むバカいないだろ」
「そう言うなって、私も一緒に飲むからさ。とある国では喧嘩したら一緒に酒を飲んで仲直りするそうだ。ほらお猪口もおつまみも買ってきたし乾杯しようぜ」
ビニール袋からお猪口を取りだすも、ステラハートにバシッと手を払われる。
「なんで酒を飲むみたいなノリで乾杯しなくちゃならねーんだよ。そんな怪しいモノ誰が飲むかよ」
「ステラちゃんのためにまちこが一生懸命作ったんだぞ。私だってちょっぴり手伝ったんだ。それなのに飲まないなんて悪魔みたいなやつだな」
「エクソシストに向かって悪魔言うな」
「デビル?」
「意味は同じだよ!!」
頑なに飲もうとしないステラハートに、まちこは肩を落として惚れクスリを鞄にしまった。
「やっぱり飲めませんよね。変なものを渡してしまってごめんなさい」
「当たり前だ。ったくガキのおままごとに付き合ってられるか」
「まあ仕方がないか。残念だけど諦めようまちこ。付き合ってくれてありがとうなステラハート。処分するのは勿体ないから他の人で試してみるか」
「そうですね。クラスメイトの出席番号1番から渡してみましょう」
「平然とした顔でなに犯罪予告してんだよサイコパスどもめ。もはやお前らこそ悪魔だよ」
私もまちこもお互いにこうなることは薄々勘づいていた。だからそこまで傷つくことはなかったが、残念だと思う気持ちは拭えない。せっかくならステラハートのような尖った奴に飲んで変貌する様子を観察したかった。他を当たるとしよう。そう思ってその場を去ろうとする。
「おい牛乳娘」
ステラハートに呼び止められた。きっと私のことだろう。
「ちょっとちょっと、成人雑誌の付録にありそうなタイトルで人を呼ばないで」
「カレンさん、例えが不潔です」
ステラハートは顎で私の顔をさす。態度が悪いったらありゃしない。
「目の下、どうしたんだよ」
「ん、ああ、これはアイシャドーだよ。近所のスーパーの在庫処分コーナーに置いてあって激安価格で買ったんだ。どうどう似合う~?」
「ふん」
髪が乱れることを気にもせず後ろ髪を乱暴に掻き、声が出るくらい深いため息を吐いて、まちこに手を差し伸ばす。
「おいちびっこ。ソレくれるんだろ」
「へ?」
「お前が作った惚れクスリってやつだよ。飲んでやる」
「ほんとですか! でも本当にいいんですか……?」
「だったら飲まないぞ?」
「い、いますぐ注ぎますね!!」
いそいそとお猪口に惚れクスリを注ぐ。まちこが準備している間、私はステラハートの隣に移動し、彼女の肩に腕を乗せる。手を払いのけられると思いきや抵抗されなかった。
「別にお前らに貸しを作ってもいいと思っただけだ。それに惚れクスリなんてフィクションだろ」
「まだ何も言ってないけど?」
「この貸しは忘れるなよ。いつか扱きつかってやる…っ」
恥じらいを感じているのかステラハートは頬を赤く染めている。彼女の意外な一面を知れた。目つきも態度も悪いが、根は優しいやつなんだ。オタクに優しいギャルみたいに。
「でもありがとう。見た目と言葉遣いによらず優しいんだなステラちゃんは。良い友達になれそうだ」
「誰がお前みたいな牛乳娘と」
「残念ながら私は友達募集していないんでね。そこにいる湖畔まちことだよ。良いヤツだからあんまりイジメてやんなよ」
「私に友達は要らない」
「お、ステラちゃんも一匹ブルドックか」
「ぶち殺すぞ」
まちこと違って可愛くない反応だ。丁寧に舌打ちまでしてきやがった。本音ではないのは分かっていても多少なりとも傷つく。言葉のゴムボールだって当たれば痛いのだから。
「ちなみにまちこは、アメリカの限られた者しか入れない有名な研究施設カルフォルニア第一研究所に籍を置いている自称天才科学者なんだってよ。首に掛けてある証明書も本物だ。観測者の私が言うんだから間違いないさ。怪しい薬品と怪しい葉っぱを混ぜてるの見ちゃったし」
肩がぴくっと動いた。表情は静かだが、筋肉は素直のようだ。
「あ、ちょっと警戒したでしょ」
「幼少期から悪魔の瘴気に当てられても支障ないように誘惑、毒、そういう訓練は受けている。たとえコレが本物だろうがそんな陳腐なものに屈する私ではない」
「フラグやん」
お猪口を受け取るとステラハートは液体を見つめていた。生唾が喉を鳴らす。口を近づけるにつれて手が震えだす。
「ほら、なにビビってんの! ぐびーっとイッちゃって」
「やかましいな牛乳娘!!」
煽られて勢いのままひと口飲む。
「どうですか?」
「ん……ん?」
続けて二口目を口に運ぶ。口に含んだあとにゴクリと喉が鳴る。そしてお猪口にある惚れクスリを一気に飲み干した。
「普通に美味いな。イチゴとさくらんぼを混ぜたフルーティーな味にほんのりとミント香る」
「なにその丁寧な食レポ。え、嘘でしょ。ちょっと私にも」
試しに飲んでみたが普通に美味しい。朝食に飲みたいフレッシュなドリンクだった。これは失敗ということだろうか。
「やっぱりまちこは自称科学者だったかぁ」
「だから自称じゃないですって!!」
「用が済んだならもういいだろ」
安堵した顔でステラハートはその場を去っていく。
「ステラハートさん、ありがとうございます! また薬を作ったらぜひ被検体になってください!」
足を止めて振り向きはしなかったが片手を上げて返事をした。その返事だけでもコミュニケーションを取れたことでまちこは満足したようで嬉しそうにしていた。
「素直じゃないねぇ」
「いつの日かステラハートさんともお友達になってみたいです」
「なれるさ。ステラハートだけじゃなくてこの学校のたくさんの人と友達に。まちこならきっとなれるよ」
「α棟のみなさんとも仲良くなれるでしょうか?」
「もちろん。あとはまちこの頑張り次第だなぁ」
「それじゃあカレンさんはずっと私の隣で見届けてくださいね」
いま『ずっと』と言いましたか? 口に出さず横目でまちこの様子を伺うと、彼女もつぶらな瞳を私に向けていた。
「だってカレンさんは”自称”観測者なんでしょう? 私のことちゃんと観察しておいてくださいね」
「お、言い返したなぁ~」
「それに」
軽快な足取りで私を走り抜き、スカートを翻しながら私に見ろと言わんばかりに自らの頬を人差し指で二回叩く。
「私の頬にキスした代償は高いですからね?」
そう告げて彼女は走り去っていた。
私が結った二つ結びのおさげがぴょこぴょこ跳ねている。窓から差し込む光に照らされたホコリがスノーダストのように輝いている。それも相まっていたずらに笑った彼女の笑顔が脳裏から離れない。胸の奥で生まれた熱が身体中を巡っていく。
「あぁ、これはやられたな」
あとで惚れ薬の打ち消し薬でも調合してもらおう。
私は足を踏み出した。優しい香りを追いかけて。
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