くろゆり童話
缶津メメ
悪魔と女
わたしのお話をお聞きください。
わたしはいわゆる天涯孤独というもので、家族と呼べるものはおりません。孤児院を出てからはひとり、村はずれの小さなお家に住んでおります。
村の人たちは良くしてくれております。お陰様で小娘ひとりでも、そこそこの生活を送ることが出来ているのですが―――――一点だけ、どうしようもない問題がありました。
単純に、人肌恋しいと言うことです。
月だけがじっと見つめている心細い夜や、優しい日差しが降り注ぐさみしい朝。そういった静寂を好むタイプであればこうも苦しまなかったと思うのですが、そういったものを好む人であったとしてもまた、隣に人がいない寂しさというものを感じてしまうと思うのです。それは私の勝手な思い込みでしか無いのですが。
ある日の事です。森で私は、小さな仔山羊に出会いました。
仔山羊の後ろ足はずたずたに引き裂かれていて、罠から無理やり逃げ出したのだろうという事はすぐにわかりました。わたしはなんだか不憫に思いまして、その仔山羊を家に連れ帰り、手当をしてあげたのです。ずたずたの後ろ足の血を拭いて、お薬を塗ってやり、包帯を巻き、寝かせてやり。起きたら皿にミルクを出してあげました。山羊のミルクじゃなくてごめんなさいね、と呟きながら目の前に置いてやれば、仔山羊は一生懸命小さな舌を往復させて、がんばってミルクを飲みました。その様子がいじらしくて頭を撫でてやれば、少し顔をあげてわたしを見るのです。金色の瞳にわたしが映ります。ああ、今この仔の目の前にいるのはわたしなのだ、わたしがいなければこの仔は死んでしまうところだったのだ。そう考えたらもうどうしようもなくなりました。わたしはすっかり仔山羊から目を離せなくなってしまって、気づけば毎日お世話をしておりました。
或る晩の事です。その日は月の姿が無く、真っ暗で、いっとう心細い夜でした。
布団を被って寒さに耐えていたその時、部屋の中でがたんと音がしました。心臓が嫌な跳ね方をしました。
なにかいる。
私はおそるおそる起き上がり、灯を付けて音の方向を見ました。
すると――――――そこには。仔山羊のために用意した籠の前には。ひとりの女の子が座っていました。黒い毛並み、そして人間の女の子にはけして生えていないであろう角と横に伸びたふわふわの耳。金色の瞳の中には横に真っすぐに伸びた瞳孔があるのです。
女の子はよたよたと立ち上がり、ぺこりと頭を下げて言いました。
『助けてくれてありがとう。お礼に、きみの願いをかなえてあげる』
その言い様はまるで絵本に出てきた天使様のようでした。けれど私は、今までと同じく彼女は小さく、ふわふわとした、可愛らしい仔山羊そのものだったので―――――
大丈夫よ。その気持ちだけで充分。それより、足の具合はどう?
そう言えば仔山羊はきょとんとしてからくすくすと、鈴を転がすように笑いました。そうして私のお腹の辺りに、ふいに抱き着いてきたのです。
『きみは優しいね。でも、ほんとうにかなえてあげるからね』
仔山羊の名前は「ふるぅ・れてぃ」と言いました。
それからあたしの、いや、わたしの「れてぃ」との生活が始まりました。生活は相変わらず貧しかったけれど、それはそれは楽しい生活でした。夜に一緒にお散歩したり、パンを分け合ったり。特に小さなフォークでカップラーメンを啜る、あれ、間違えました。パスタを啜る様子など、可愛らしいものでした。
「れてぃ」は足こそなかなか回復しませんでしたが、上半身は元気そのもの。なんといっても働き者で、私の寝ている間に内職や針仕事などを終わらせてくれるのです。昼間にいっしょにやればいいのに、と聞けば「昼間はきみとおしゃべりしていたい」「あそんでいたい」なんて言うじゃありませんか。そんなことを言われたらわたしは飛び上がるくらい嬉しくなってしまって、ぎゅっと「れてぃ」を抱きしめてしまうのです。
まるで妹ができたみたい。私は彼女の存在に、少なからず救われていました。
さて、ある日のことです。あたしに優しくしてくれた村人のひとりが、優しくなくなりました。
ああ、優しくなくなったっていうのはその、ジャマになったっていうか。所帯を持つから、もう会わないでくれないかと言うのです。
ありえないですよね?今までわたしのこと、沢山食べ散らかしておいて。それで自分だけは救われたいだなんて、幸せになりたいだなんて。あんまりだと思ったんです。
それでも私が食い下がるものですから、村人はある行動に出ました。いわく、私が病気を持っている、と。そう他の村人に言いふらしたのです。
ひどいですよね。わたし、ぴんぴんしているのに。
だから今まで食事をくれたあの人も、ミルクをくれたあの人も、散々わたしを食べ散らかした人たちは全員わたしに石を投げてきました。男も女もみんな石を投げてきました。こどもでさえ、大人の真似をしてあたしを侮蔑するんです。ひどいはなしですよね。村に、わたしの居場所は無くなりました。
家に帰ってぼんやりしていると、「れてぃ」が声を掛けてきました。
『■■■、くるしいの?』
どうだろう。あんまりわからない。
『ねえ、きみの願いはなに?』
願い事、願いごと。ねがいごと。
『かなえてあげるよ。なんだっていいよ』
ああ、それならわたしは―――――――
「じゃあ、あいつら全員食べ散らかして」
「れてぃ」はにこりと笑うと、家を出て行きました。
夜明けごろ。「れてぃ」が戻ってきました。
けれどあの小さな仔山羊の姿はもうありません。随分身長も大きくなって、大人びていて。わたしよりもよっぽどお姉さんといった顔つきになっていました。
『願いごと、かなえてきたよ。ああ、おいしかった!』
わたしは「れてぃ」に抱き着き、それからしばらく泣きました。やがて泣きつかれたわたしをベッドまで運んでくれた「れてぃ」はわたしが眠りにつくまで傍にいてくれました。
『ねえ、どうして■■■はみんなと体の関係を持っていたの?』
―――――――みんな優しくしてくれるから。
『施しが目的?…………ちがうでしょう。まだ、あるでしょう?』
――――――うん。わたし、寂しかったんだ。
『さびしいから、全部に手を出した?』
――――――うん。ぜんぶに、手を出した。
妻子持ちも、善人も悪人も、全部全部。わたしが馬鹿なふりして誘えばすぐに乗って来て、それがおもしろくて。誰かがわたしに夢中になっている間は、わたし満たされた気になるの。気分がいいの。
『でも、いやだったんだ』
――――――いやだった。満たされているのに、空っぽな感じがして。何人に手を出しても一向に満たされない。
だから、食い散らかしてくれてありがとう。
『■■■は、わるい仔だねえ』
そうだよ。わたし、わるい仔でしょう。
『でも、そんな■■■のこと、好きだよ』
「れてぃ」はそう言って、わたしの額にキスを落としました。わたしはその時ようやく、温かくて、満たされた気持ちになったのです――――――
「うーん」
「先生、何を唸って………それ、あの子のカルテですか?ええと、園崎……」
「毬乃ちゃん。いや、毬乃さん、か。今少しお話を聞いていたんだけど、どうもね」
「どうも、とは?」
「彼女は――――――どうも、生きている世界が違うみたいだ。話を聞く限り、中世のヨーロッパ……かな?そんな世界観の村はずれで暮らしている、らしい」
「………新宿のマンションでしたよね、保護されたの」
「そう。日本。現代、東京。彼女はここ数日に起きた、連続殺傷事件の犯人であると自白している」
「まさか」
「いや……でもね。関係筋に聞くと、『どう考えても女の子ひとりでどうこうできる死体じゃない』って。なにしろ頭部粉砕、手足はバラバラ、内臓はめちゃくちゃ。まるで汚く食い散らかされたような死体だったって話だ」
「おえ。私これからお昼休憩なんですけど」
「それは失敬。被害者たちは全員園崎さんと面識があったみたいだ。彼女の話の中に出てきた『施しをしてくれた男たち』がそれに当たるのだと思う。たださ」
「無理、ですね。協力者がいなければ」
「無理、なんだよ。」
「……………………」
「…………………」
「そういえば先生、『フルーレティ』って名前はどこから来たんでしょうか。それこそ、ヨーロッパですかね」
「……………きっと本か何かを読んで、それの影響が出ただけだよ」
園崎鞠乃は夜になると、ずっと窓に向かって喋り続けていた。隣室の患者からの苦情があったため程なくして眠剤が投与されたが、それでも―――――眠るまでの間ずっと、言葉を紡いでいたという。
「いや。ねむりたくない。レティともうちょっとおしゃべりしてたいの」
「ねえ―――――――おひさまはイヤよ。明るいのはイヤ…………」
「…………………レティ……………」
毎夜彼女は眠りに最後まで抗って、やがて泣きながら眠りにつく。
同じころ、夜勤のナースの間にこんな噂話が持ち上がっていた。
「窓の外に大きな山羊の姿が見えた」。
――――――――その噂話は、彼女が入院している間中ずっと囁かれていたという。
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