(7)

「ごめんなさい」


 シュヴァーに手を引かれ、その後はなにごともなく自宅へと帰ってこれたミオリは、開口一番に謝罪した。その声は、みっともないくらいに震えていた。それはミオリにもわかった。


「……ここで突っ立ってする話でもないだろう」


 シュヴァーとミオリを玄関で出迎えてくれたラーセが、ミオリの足元――スリッパへと視線を送る。シュヴァーは、そこで初めてミオリがスリッパのまま外に出たことを知ったようで、「あ」と短い声を出した。


「気づかなくてごめんね。歩きにくかったでしょう?」

「いえ……」


 今、謝るべきは自分だという意識がミオリにはあったから、シュヴァーから逆に謝罪されると身の置き場がない気持ちが強くなった。外には、ミオリの意思で出たわけではない。それでもシュヴァーとラーセとの約束を破ってしまったのは、ミオリなのだ。これからどうなるのか、どういった会話がなされるのか、申し訳なさでいっぱいのミオリにはまったく予測できなかった。


 「早く上がれ」。ラーセが再度ふたりを促す。背を向けたラーセに視線を移し、ミオリはあわてて裏が汚れてしまったスリッパを玄関で脱ぐ。すると、すぐに代わりのスリッパをシュヴァーが上がり口へ、ミオリに差し出すようにして置いた。シュヴァーを見れば、帰り道での固い横顔はどこかへ消えていて、いつも通りの柔和な笑みを浮かべていた。ミオリは早口で礼を言い、スリッパを履き替える。


「そのスリッパはあとで片づけておくから、今は玄関に置いたままでいいよ」

「はい……すいません……」

「高いスリッパでもないし、スリッパなんて消耗品なんだから、気にしないで」


 ミオリは重ねて謝罪するのも気を遣わせてしまうかと思い、シュヴァーの言葉にあいまいなうなずきをすることしかできなかった。


 ラーセが向かった先――リビングルームへと、シュヴァーと共に足を踏み入れたミオリは、なんとなく家の中によそよそしさ、みたいなものを感じてしまった。言い換えれば、それは居心地の悪さだ。ミオリがシュヴァーとラーセ、ふたりに対し罪悪感を抱いているからこそ、その感情が家の空気に投影されてしまっているのだ。


 ミオリはシュヴァーに促されて、リビングルームに置かれたソファへと腰を下ろす。ローテーブルの前に湯気が立ちのぼるマグカップが置かれた。それを持ってきたのは、ラーセだった。


「ココアでも飲んで少しは落ち着け。……死にそうな顔してるぞ」


 ミオリは、自分が今ひどい顔をしていることはわかった。そうだろうなという納得感と共に、わずかに羞恥心が芽生える。しかし、今自分が気にすべきことはそんなことではないと、ミオリは思い直した。


 ローテーブルに置かれたマグカップには手を伸ばさず、ミオリは再度謝罪の言葉を口にする。「勝手に外へ出てしまってごめんなさい」――その声は、やっぱりみじめに震えていた。


「あの……逃げたかったとか、そういうわけじゃないんです。あの、信じられないかもしれませんが」

「ミオリちゃん、落ち着いて。私たちは別に怒ったりはしていないよ。ただ、ミオリちゃんが急に家からいなくなって、すごく心配していたんだ」

「ごめんなさい……」


 ミオリは、あの謎の人物について話すべきかどうか、悩んだ。どう話したって荒唐無稽な言い訳にしか聞こえないだろう。見苦しい申し開きをして、シュヴァーとラーセに呆れられることをミオリは恐れた。


 けれどもそうすると、ミオリがなぜ勝手に外へ出たのかという話になってしまう。しかし真実を話せば、前述のように、いるかもわからない謎の人物へ責任転嫁していると取られても仕方がないだろう。ミオリはそう考えて、ふたりにどう説明すればいいのか悩んだ。ありのままの真実を話すべきなのか、それともただ謝罪を続けるだけにとどめるべきか――。


「……玄関には鍵がかかっていた。出て行きっぱなしなら、鍵はかかっていないはずだ。お前はこの家の鍵を持っていないだろう。……お前、どうやって外から鍵をかけたんだ?」


 ラーセの指摘に、ミオリは目を白黒させることしかできなかった。ミオリは、謎の人物の不可思議な力でこの家から連れ出されたらしい。つまり、玄関扉を開けて、通ったわけではないのだ。ミオリは今さらながらにそのことに気づき、ついには言い訳のひとつも思い浮かばなくなった。


「窓もしっかり施錠している。……どうやって外に出た?」

「ラーセ、そんな責めるような言葉選びは良くない。……ミオリちゃん。ミオリちゃんは本当に、自分の意思で外に出たの?」


 ミオリは言葉に詰まった。


「ごめんなさい」

「……その場しのぎの謝罪は、今は必要ない」


 ミオリが苦し紛れに謝罪の言葉を口にすれば、ラーセにぴしゃりと言われてしまう。「ラーセ」。再び、シュヴァーが批難の色を込めた声でラーセを呼んだ。しかしラーセは意に介した様子もなく、ミオリから視線を外さない。


「俺たちには、本当のことは言えないか」


 「本当のこと」を今ミオリが口にしたとして、ふたりは信じてくれるのだろうか。ラーセが望むような真実を、今ミオリが持っているという保証はない。それでも、ミオリが謝罪を続けることに意味がないのも、事実だった。


「ミオリちゃん。ラーセはミオリちゃんが心配なんだよ。また今日みたいにいなくなったら怖いから。もちろん私も、ミオリちゃんがいなくなったとわかったときは、心臓が止まるかと思ったよ」


 じくじくと、ラーセとシュヴァーの言葉が、態度が、ミオリの罪悪感を刺激する。このまま終わりのない綱引きを続けることも、ミオリにはできた。けれどもそうやってふたりの時間を浪費することにもまた、ミオリは罪悪感を覚えた。


 ラーセとシュヴァーが、真実ミオリを心配しているのかは、わからない。口先だけの言葉かもしれない。


 ミオリは、ふたりの言葉を信じたから本当のことを話そうと思ったのではなく、重い空気に耐えかねて、その場から逃れたいがために真実を話す気になった。

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