(2)

 この世界に女性はほとんどいない。――らしい。


 ミオリはその事実を呑み込むのに少し時間がかかった。男性ばかりの世界。自分が迷い込んだのは、そういう「異世界」だという現実を果たして正しく受け止められたのかどうか、ミオリ自身定かではなかった。


 なにせ「異世界」とは言っても、ミオリと同じような形をした人間がいて、たしかにどの人種とも断定できないような顔立ちの男性ばかりだったが、日本語も普通に通じるのだ。


 常識にも、テクノロジーにもあまりミオリがいた世界との差異は感じられなかった。世間知らずな小学生のミオリからしても、彼らの態度は一貫して礼儀正しく感じられた。そしてラップトップパソコンや、スマートフォンといった機器も目にした。


 しかし、ここは「異世界」なのだ。ミオリは、この世界にほとんど存在しない女性で、異世界人で――言ってしまえば、異物であった。


 ミオリは、今にも倒れてしまいそうなよぼよぼの「おじいちゃん先生」といった風体の医者に、「女性である」という確認をされてから、マンションの一室にほとんど軟禁状態で置かれた。これは、ミオリを逃がさないためというより、守るためらしかった。しかしミオリにはその言葉が真実かどうか判断するすべがない。


 ミオリが留め置かれているマンションの部屋には、あのとき湖からミオリを引き上げた壮年の男性――ラーセがもっともよく訪れた。垂れ目で、なんだか生気が感じられない瞳をしていて、短いあごひげを生やしていたが、それがそういった役柄の俳優のようによく似合っていた。


 ラーセは、ミオリには一見そっけない態度だったが、気にかけてくれているとは感じられた。ミオリが久しく食べられてはいなかった菓子に、うっかり夢中になってしまったところを見られてから、ラーセはよく甘い菓子を持ってやってくるようになった。


 けれどもそこに、ミオリの気を引きたいだとか、懐柔したという意思はほとんど感じられない。ミオリに菓子を渡せばそれきりで、ミオリがそれを口にしようがしまいがどうでもいい、というような態度を取る。けれどもそれが本心ならば、わざわざ菓子を買ってきてやらないだろうとミオリは思い、ラーセの感情を量りかねていた。


「この世界の男どもは、女神様の怒りを買ったんだ。――だから、女を取り上げられた」


 ミオリは一度、沈黙に耐えかねてラーセに問うた。


 ――どうして、この世界に女性がほとんどいないのか?


 ……それはミオリからすれば当然抱く疑問だったが、これまで問いかける余地がなかった謎だ。そうやって投げかけられた疑問に、ラーセはやはりどこか無気力な様子で答える。


「どうして『女神様』? は怒ったんですか……?」

「さあな……」


 そこで会話は途切れて、それきりだった。


 謎は解消されるどころか深まってしまったが、一応説明はついた。ミオリにはよく理解できなかったが、一応、この異世界に女性がほとんどいないことにはきちんと理由があるらしい。……しかし、その情報がミオリにとってなんらかの役に立つものだったかというと、そういうこともなく。


 ラーセがミオリと会う目的は、「聞き取り調査」だと言う。どういう世界からやってきて、もとはどういう生活を送っていたのか――。さすがにミオリの負担を考えたのか、それは連日とは続かなかったものの、ラーセからの質問に答えるという日々を送って、気がつけば一ヶ月ほど、矢のように過ぎ去っていた。


 その間、ミオリは温かくバランスが考えられているだろう食事を三食口にすることができて、柔らかいベッドで眠ることができた。服は、少し大きめのメンズ服を与えられた。ミオリは、この世界には女性用の既成服がないのだということに気づいて、「異世界」に来たという感慨みたいなものを抱いた。


 娯楽も与えられて、ミオリは好きなときに漫画を読めたし、ラップトップパソコンで映画やドラマを観ることができた。ほとんど軟禁同然の身の上ではあったものの、「気を遣われている」とミオリは感じた。


 そしてそんな生活でダメ人間になりそうな心配を抱くより先に、ミオリは年頃の少女らしく自身の体重が気にかかった。


「……お前は馬鹿みたいに細いんだから、もっと食え」


 ラーセにそんなことを訥々と語れば、投げやりな口調で返ってきた。けれどもその言葉の内容は、ミオリを心配するものだった。ミオリはその言葉に奇妙なくすぐったさを覚えると同時に、自分が痩せているらしいという自覚を持った。


 たしかに、両親からはしばしば食事を抜かれていて、学校で確実にありつける給食を待ち遠しく思う時間が、一日のうちで長く占めることも多かった。ラーセが、ミオリへ律儀に菓子類を買って持ってくるのも、痩せているからだろうかと考える。……ラーセにそれを真っ向から問うても、素直な返答は期待できなさそうだということは、短い付き合いながらもミオリは理解していて、結局聞いたりはしなかった。


「女神様は慈悲深く残酷なんだよ」


 ラーセと時間を共にすることにも慣れてきたころ、ラーセが珍しくひとりの青年を連れてミオリのもとへとやってきた。清潔感のある好青年といった風体で、その見た目通りの柔和な声と話し方をする男性だった。背はラーセよりも少し高いが、彼よりはひと回りは若そうだ。


 シュヴァーと名乗った青年をラーセが連れてきた理由は、ミオリには察せられなかった。顔合わせの意味があることはさすがにわかったものの、それ以上の意図はミオリにはわからなかった。


 ただ、ラーセがわざわざ連れてきて、ミオリに紹介したのだ。きっと悪い人間ではないだろうとミオリは思った。


 ラーセとシュヴァーは同じ部署に勤める同僚同士で、ラーセがしばらく忙しい身になるために、代わりにシュヴァーをミオリに合わせに来たのだと知れたのは、わりとすぐだった。


 ラーセは本当に時間が惜しいのか、ミオリが特にシュヴァーに対して拒絶の感情がないと見るや、ふたりを置いてマンションの一室を去ってしまった。シュヴァーとふたりきりにされたミオリは、唐突に不安になる。そしてその不安をまぎらわせるかのように口にしたのが、「この世界のひとの言う『女神様』はどんな神様なのか」という問いかけだった。


 けれども返ってきたのは「慈悲深く残酷」だという、ミオリからすればとんちんかんな答えだった。シュヴァーは、そんな風に困惑するミオリの表情を見取ってか、困ったように笑う。


「慈悲深く残酷だから、女神様はこの世界から女性を奪った――と、言い伝えられているんだよ。……わけがわからないよね?」

「は、はい。まあ……」


 シュヴァーは微笑んでいたが、その話はそれきりで終わってしまった。ラーセのときといい、この世界のひとたち――男性たちにとっては、「女性という存在を取り上げた」という「女神様」の話題はあまり口にしないほうが無難なのかもしれない、とミオリは思った。

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