解雇通達(長め)

「エリナ。悪いが君にはこの屋敷のメイドをやめてもらう」


 我が主——アダム・マイヤーズ様の部屋にて。

 私が告げられたのは解雇通達でした。


「解雇……ですか?」


「そうだ」


 信じられません。


 私は孤児だった幼少のころ、アダム様のお父上に拾われ、同年代のアダム様をお世話するように命を与えられました。


 以来、愛情をもってお世話させて頂いていたというのに。


「私のご奉仕になにかご不満が?」


「いいや、僕からするとまったく問題ない」


「では、どうして――」


「他のメイドたちからの苦情だ」


 苦情!?


「僕の身の回りの世話については交代制だというのに、君が世話番を譲らないとか」


 うっ……。


「業務中に僕を見つめる時間が長すぎるとか」


 ぐっ……。


「挙句の果ては他のメイドに僕との昔話を自慢げに聞かせて拘束するとか」


 なっ……!?

 確かに今思えば行き過ぎた面はあったかもしれませんが……

 まさか、そんなに嫌がられているとは。

 同僚のメアリーあたりから告げ口があったのかもしれません。


 ですが――ここで簡単に折れるわけにはいかないのです。


「アダム様。アダム様はそれでよいのですか?」


「……というと?」


「仮に私を解雇して、アダム様は生活していけるのでしょうか?」


 私の言葉にアダム様はむすっとされましたが、構わず続けます。


「夜中に一人でトイレに行けますか?」


「は!? いや、また君は昔の話を……」


「私のモーニングコール無しで起きられるのですか??」


「いや、それは……」


「なくしものをした際に、私の勘に頼らずにモノを探し当てることができるのですか!?」


「あ~、言うな、恥ずかしい!」


 アダム様は顔を紅潮させ、頭をかきました。


「まるで僕が君無しでは生きていけないみたいではないか!!」


 事実では……と思いましたが、黙っておきます。


「とはいえ、もうこれは決まったことだ」


「そんな!」


「そもそも。決定的な理由は別にある」


 そう言うと、アダム様は真剣な目つきで私を見つめてきました。


「エリナ。君は……僕に好意を抱いているだろう?」


「……!」


 そんな風に、直接的に言葉にされるとは思ってもみず。

 私は返答に困り、黙り込んでしまいました。


「女性からの好意の目線には慣れている。社交場でこの家の財産や僕の容姿を見て、色目を使ってくる者は多い。だがな――」


 アダム様は淡々と続けます。


「君のそれは、そういった次元ではない。僕という人間そのものに恋焦がれている――そんな目で僕を見ている」


「……」


 ……やっぱり、気付かれちゃってましたか。


「分かってはいるだろうが、この屋敷において、メイドが主人に恋愛感情を抱くのはご法度だ。輪を乱す原因になりかねんからな」


「……はい」


 分かってます。分かっていて隠そうともしましたが……隠し通す器用さは私には無かったようです。


「それが解雇の理由だ。異論はあるか?」


「……ありません」


 けれど、どうせ去るのであれば、いっそのことすべて打ち明けさせてもらいましょう。


「アダム様。私のお話をお聞きいただけますか?」


 彼は組んだ両手の上にあごを乗せ、目線だけで話の続きを促します。


「きっかけは幼少のころでした――」






『きょうから、よろしくおねがいいたします』


 アダム様のお父上、エドワード様に拾われてこの屋敷に連れて来られた私は、目の前にいる活発そうな男の子に頭を下げました。


『うん、よろしくね』


 彼はそう言うと、手を差し伸べてきます。


『……?』


『あはは! 握手だよ。これからよろしくっていう、あいさつさ』


『……しつれいいたしました』


 私がぎこちなく彼の手を取ると、彼は太陽のような笑みを浮かべ、言ったのです。


『僕の名前はアダム・マイヤーズ。君は?』


『わたしは……』


 問われて気付きました。


『……なまえが、ありません』


 物心ついた時には親はおらず、ただただ路地裏で残飯を漁って食いつなぐ。

 人知れずそんな生活を続けていた私には、名前など不要だったのです。


『そーなの!? じゃあ、僕が名前をつけてもいい?』


 拒否権など無いと思っていた私は、こくりとうなずきます。


『よし、君は今日からエリナだ。よろしくね!』


『はい、かしこまりました』


 自らの名前。

 それが、私がアダム様から頂いた初めての贈り物でした。


『いいかいエリナ。僕の家にいっしょに住むからには、ぜったいに幸せになるんだよ! これだけは命令だから』


『……?』


 そんなことを言われた当時の私は、まだ、幸せの意味すら知りませんでした。




 それからしばらく、アダム様のお世話をしながら過ごしていたある日の夜。


『エリナ~……』


 私はアダム様のお部屋に招かれました。

 ……とは言っても、ほぼ日課となっていた恒例行事でしたが。


『今日も眠れないのですか?』


『うん……』


 アダム様はそう言って、毎晩私をそばに置くのでした。


『エリナがいれば、僕は怖くないや!』


『……そうですか』


 そう言って笑うアダム様に、何とも言えない温かい気持ちを覚えます。


『エリナ~』


『なんでしょう?』


『いつものやつお願い!』


『……仕方ありませんね』


 アダム様はそう言って、私に抱擁を求めてきます。


『朝まで離れないでね?』


『……はい』


『ちゃんとベッドで寝ないと怒るから!』


『ふふ……はい』


 そんな会話を交わしながら、私は朝までアダム様と寝床を共にしました。


『エリナ……ぜったいに……しあわせにする……』


 ときおりアダム様が漏らす寝言に顔をほころばせる私の中に、ある感情が芽生えました。


(この人を幸せにしたい)


 私は知っていたのです。

 アダム様が本当は、怖がったり、寂しがったりしないことを。


(ありがとうございます、アダム様)


 私を寝床に誘ったのは、本当の理由は――

 ベッドで眠ろうとしない私に、あたたかな温もりを教えるためでした。






「孤児だった私に、名を与え、温もりを教えてくれたあなたを、私は幸せにしたいと思いました」


 ぽつり、ぽつりと語る私を、変わらずアダム様は見つめています。


「これが恋心だということには、とっくに気づいておりました。けれど――叶わぬ恋だとも、あなたのそばに居て、生涯をささげることができたのであればそれでよかったのに」


 歯を食いしばり、あふれそうになる涙をこらえます。


「けれどもう、仕方がないですね……」


 最後に、これだけは言っておきましょう。


「アダム様。あなたと過ごした十数年、このエリナ、身に余るほどに幸せでした。ずっと、あなたの幸せを祈っております。……さようなら」


 そう言って、涙があふれる前に部屋を去ろうとすると――


「待て」


 アダム様の声が、私を引き留めます。


「話はここからだ」


 きょとんとした表情で振り向いた私に、アダム様が近づいてきます。


「エリナ。僕が他の貴族からの見合い話を断っているのは知っているだろう?」


「はい、もちろん存じております」


 彼には毎日のように、見合い話の類が舞い込んできます。

 好みの相手が現れないからか、なぜかは知りませんが……そのすべてをお断りしているようなのです。


「僕が見合い話を断る理由はただひとつ。他に好きな相手がいるからだ」


「……え?」


 アダム様——?

 なぜ、そのようにまっすぐに、私の目を見つめているのですか……?


「財産や権力などを重要視するのであれば、僕はとっくに、適当な貴族と夫婦になっているだろう。しかしな、」


 彼はそう言うと、私の手を握りました。


「僕が重要視するのは自由だ。僕は、僕が愛する人と結婚し、その人を幸せにすると誓った」


「ア、アダム様!?」


 どういうことでしょう。

 彼は私の手を握ったまま、私の前にひざまずきました。


「エリナ。メイドではなく、一人の女性としての君にお願いしたいことがある」

「は、はい……」


 とくん、とくんという、心臓の音が鳴りやまない中、アダム様はふところから手のひらに収まるほどの小さな箱を取り出しました。


「君に、僕の生涯を捧げさせてほしい」


 開かれた箱の中には、エンゲージリングが輝いています。


「さっき、君無しでは生きていけないみたいだと言ったよね?」


「はい。でも、それは冗談では?」


「いいや。もうね、僕は君のいない日常なんて考えられないんだよ。それに――」


 彼はふっと表情をほころばせて言いました。


「迷惑になるかと思ってずっと隠していたつもりだったが……僕も、小さい頃から君が好きだったんだ」


「えっ……!?」


 たしかにアダム様は私によくしてくれるとは思っていたけれど……


 それはあくまでもメイドだからだとか、孤児だったからだとか、そういう程度にしか思っていませんでした。


「君が好きな相手と結ばれないのも、僕が好きな相手と結婚できないのも、君がメイドであることが理由なら……メイドをやめさせてしまえばいい。そうだろう?」


 だからこんな、突然の解雇通達を……。


「もう、アダム様。そんなことなら、早く言ってくだされば!!」


「いやあ、ごめんな。どうしても君の言葉で聞きたかったんだよ。僕が好きかどうか」


「むぅ……」


 でもっ、こんなやり方……。


「それで、改めて言うけれど。エリナ、僕は君を愛している。僕と……結婚してくれないか?」


 私にメイドをやめさせたのは、どうしたいかを選ばせるためでもあるのでしょう。

 命令ではなく、あくまでも自分の意思でどうしたいか決めて欲しい。


 けれど、そんなの――


「そんなの、決まっています!!」


 私はエンゲージリングを支えるアダム様の手をとり、大声で言います。


「私……アダム様とずっと一緒に居たいです!!」


「エリナ……ありがとう」


 そう言って私たちが抱き合い、口づけを交わそうとした、その時——


「エリナーーー!!!」


 すごい勢いで部屋の扉が開き、同僚のメアリーが抱き着いてきました。


「おめでとう、エリナ!!」


「メアリー……?? って、みなさんまで!?」


 開かれた扉の方を見ると、同僚のメイドたちが勢ぞろいしていました。


「き、君たち……まさか、聞いていたのか……!?」


「あったりまえじゃないですか、ご主人様」


 目を見開くアダム様に、さも当然といった様子でメアリーが腕を組み、ふんぞり返ります。


「発案した私には、ちゃんと見届ける義務がありますからね~」


「発案……?」


「そ。見ててもどかしいから、私からアダム様に伝えたのよ。『いっそのことエリナにメイドをやめさせてご結婚されては?』ってね」


 な、なるほど。つまり仲人のようなことをしてくれたのですね……。


「エリナはかたくなにアダム様のそばを離れないし、アダム様もまんざらでもなさそうだし。私たち、ず~~~っと『はよくっつけ!』って思ってたわ」


「メ、メアリー……恥ずかしいからやめてくれ」


 アダム様がそう言うと、周囲のメイドたちから笑いが漏れます。


 そんな和やかな空気に包まれる中、威厳のある雰囲気をまとった男性が現れます。


「もう披露宴か?」


 彼はやさし気な笑みを携え、私とアダム様の前に立ちました。


「エドワード様」「父上」


 彼こそはアダム様のお父上、エドワード・マイヤーズ様です。


「アダムよ、ようやく結婚しおったな。ワシはお前の選んだことならば文句は言わん。エリナを大切にするんじゃぞ?」


「はい、言われずとも」


「エリナ、おめでとう。言うておくが、メイドをやめたからには一切の遠慮などいらん。アダムを尻にしくなりなんなり好きにするがよい!」


「エ、エドワード様……ありがとうございます」


 私は顔が熱くなるのを感じながらに言うと、みなさんから笑いが漏れました。


「さて、二人とも。結ばれたからにはまずやることがある」


 そう言ってエドワード様は、促すようにして窓の外を見ます。

 私たちも促されるようにして窓の外を見ると――


「あれは……馬車ですか?」


「さよう」


 エドワード様はコホンとひとつ咳ばらいをしました。


「お主ら二人がやるべきこと。それは――新婚旅行じゃ」




 屋敷前にて。


「段取りが良すぎやしませんか、父上……」


「ほっほっほっほ! これくらい手際よく無ければ当主は務まらん」


 屋敷の皆さんに見守られながら、私とアダム様は出発の準備をしています。


「うぅ……エリナ、良かったね……!」


「メアリー……ありがとうございます」


 私もメアリーや他の同僚とあいさつを交わし、しばしの別れに備えます。


 準備が整うと、アダム様が皆さんを前に口を開きました。


「父上、みんな。この度は僕とエリナの門出を祝ってくれてありがとう」


 アダム様がお辞儀するのに合わせ、私も頭を下げます。


「メアリーにそそのかされてのプロポーズだったが、まさかその先まで計画されていたとは驚いた」


 アダム様の言葉に、周囲からクスクスと笑いが漏れます。


「これからしばらく、エリナと二人っきりの時間を楽しませてもらう。その間、屋敷のことをよろしく頼む」


 そう言ってまた、アダム様と私は頭を下げ、馬車に乗り込みました。

 私たちが乗車すると、馬車はさっそく動き出します。


「二人とも、楽しんでくるんじゃぞー!」


「エレナ! 屋敷のことは私たちに任せて、たくさんいちゃいちゃしてくるのよ?」


「い、いちゃいちゃとはなんですか!」


「なによ今更。帰ったらた~っくさん、のろけ話を聞かせてもらうんだからね?」


「もう、メアリー……」


 私は馬車の窓から顔を出し、皆さんが見えなくなるまで手を振りました。




「エレナ」


「はい」


「なんだか、慌ただしかったが……これからしばらくは二人っきりだ」


「ふふ……はい」


 アダム様にそう言われ、私はなんだかこそばゆい気持ちになります。


「そういえば、ひとつ忘れていることがある」


「……!」


 私はなんとなく察しがついて、アダム様と見つめあい、ゆっくりと目を閉じたのでした。



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