29.The Saint Light -前編-
9月。
それまでは少し静かだった
それは春のG1戦線を戦ってきた馬たちが夏の放牧・休養期間を終え、秋のG1戦線とそれを見据えた秋緒戦に向けて帰厩し、次の戦いに備えて調教を開始し始める時期だからだ。
そんな中で一足先に休養期間を終え、重賞への出走権獲得のために夏の一戦を終えたリブライトの次走が9月半ばに行われる朝日杯セントライト記念に決まった。
セントライト記念は日本競馬史上初となる三冠馬・セントライトの名を冠した重賞で、10月に行われるクラシック3冠の最後の門・菊花賞への挑戦に繋がる大切なステップレースの1つだ。3着までに菊花賞への優先出走権が与えられるこのレース、これまで重賞を勝っておらず獲得賞金では菊花賞に出られるか厳しい状況のリブライトにとっては絶対に落とせない闘いとなる。
ただやはり、G1に向けた前哨戦ともなると立ちはだかるメンバーも一筋縄ではいかない相手ばかり。中でもやはり注目を集めるのは春の皐月賞・ダービーを無敗で制し、菊花賞・3冠制覇に向けてココをステップに使う世代最強馬・クリアディザスターだろう。
それから、オレの因縁の相手である
「お前らのコンビを初めて見てから半年やったっけ?あん時の未勝利馬と誰やコイツって乗り手がようここまで来たわ」
たまたまお互いの騎乗予定が無かったメインレースの2つ前の9レース、騎手控え室で
「……うん、いやよくホントにここまで成長したわ。この前の新潟記念でのお前の乗り方、俺やったらこう乗るなってのと完全に同じ動きだった。それに馬も春よりも随分良くなっとるし、うかうかしてられんな」
「はい。ここで間違いなく3着以内は取って『次』に連れていかないといけない馬ですから」
川原さんから素直に褒められる事に照れくさくなりながらもそう答える。川原さんやクリアディザスターで2冠を勝った東のレジェンド・横浜騎手に勝てるほどのレベルに通用するかどうかはまだ分からないけれど、現段階でその2人を除いては誰よりも上手く、早くなければ挑戦権は得られない。
「まあそう思ってる奴はお前だけじゃないからな。アイツもそうやろ?」
川原さんが視線を送った方を見ると、今の9レースを2着で終えて引き揚げてきた優馬と目が合う。だがすぐに目を逸らされてしまった。彼は6月末のラジオNIKKEI賞を勝ちあがってきたシャドウオブザデイと共に参戦する事になっている。
それ以外にもリブライトと同じようにダービー出走には間に合わなかったものの、夏に力を付けて勝ち上がってきた馬たちも居る。その全てが『勝ちたいという明確な意志』を持って3枚しかない片道切符を取るために争うのだ。果たして、オレとリブライトはその切符を手にする3組になれるのだろうか?
《菊花賞トライアル・朝日杯セントライト記念の本馬場入場です。1枠1番は今年のダービー、皐月の2冠を制した圧倒的一番人気・クリアディザスター! 今日も他の全ての思惑や企みを押し流して圧倒的な勝利を掴み取るのか!? 鞍上は東のレジェンド騎手・
いよいよレース前、地下馬道を抜けて本場場に入るとほとんどG1と変わらないぐらいの歓声と熱気に包まれる。特に1番人気の2冠馬・クリアディザスターが走り出した時には凄い歓声が響いていた。
クラシック3冠の最後となる菊花賞の舞台は関西・京都競馬場。ともなればその前に関東でこのスターホースを観られる機会はこのレースしかないのだ。今日足を運んでいる観衆の目当てはほとんどがそれに違いない。
「大丈夫、オレ達はオレ達らしくいこう、リブ」
そう声を掛け本場場に出て、ゆっくりとしたペースでスタートゲートのある方向へ向かう。
しかし、客席スタンドのある直線を抜けてコーナーを曲がると凄い勢いで一頭の馬がこちらに近付いてくるのが分かった。振り返るとそこにいたのは因縁の相手、レーヴァテインと
「おうコラ、止まれや」
衝突されてはかなわないと思い、リブライトを内ラチ沿いで脚を止めさせるとピッタリ真横に付けて幅寄せするように迫って来る。
「てめェ、ウチの息子が今どんな状況になっとるか分かっとんのかコラァ! それなのに自分はアレか?女記者たぶらかして擁護する記事書かせてのうのうと馬乗ってやがって! 降りろやコラ! 」
勢いと圧迫感に嫌がるようにリブライトが数歩あとずさるが、構わず幅を詰めながら掴み掛からんばかりに近付いてくる。こっちからしたら完全な言いがかりもいい所。だけど話が通じるような相手ではない。
「自分から降りんのやったら引き摺り降ろしたろか?こっちはなぁ、テメ―みたいな若造の一人二人ぶっ殺したところで『騎乗中の事故』って事にすりゃ痛くもかゆくもないんじゃボケェ! 」
確かにこの男の強引な騎乗で落馬させられて大怪我を負い、再起不能にされたり復帰後も思うように乗れなくなった騎手も居るというのは聞いたことがあった。その中の一人は亡くなっているというのも。
だがここで怯んで言う通りにするようだったら馬に乗り続ける限り、この男の影におびえ続ける事になるのだろう。でも……こんな状況でどうすれば?
「そこで何している!?」
誰かの大声と共に一頭の人馬が近付いてくる足音が聞こえると、岩野は唾を吐き捨てながら走り去っていった。振り返ると駆け付けて来てくれたのはオレや岩野よりも返し馬の順番が遅かった優馬だ。
「ありがとな。おかげでホントに助かった」
「別に、騎手として当然の事をしたまでだ。それより早くゲートに向かうぞ」
全く表情を変える様子もなく踵を返す優馬だが、見て見ぬフリをしないでくれた事に心の中で礼を告げる。岩野の息子の事だって、若手たちの事だけを考えるなら黙っている事だってできたはずだ。
しかし人目に触れない所であんな事を仕掛けてくるなんて……これからのレースで何も無ければいいがと不安になりながらオレ達は発走ゲートへと向かった。
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作品内で書くのも微妙な所ですが……作者のひとりごと。
ここに出てくる強引な競馬で落馬させる、それにより再起不能で死者も出ている、にも関わらず若手に馬で幅寄せして恫喝するっていう騎手が実際存在して未だに騎手として活動している事が作者は競馬というものの中で唯一嫌な所です><
そういう騎手が居ない時代になって、スポーツマンシップに則ったフェアな競技として楽しめるものにいつか競馬がなってくれたらいいなと心から思います。
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