幸せの舞台で踊れ

道端の稲穂

Ⅰ.無個性が塗り替えられる日

 あまりにも普通なのがコンプレックスだった。例えば頭脳で言うのなら、頭が良いやつは純粋に仕事が出来るから求められる。一方頭が悪いやつは面白みや可愛げがあるやつが多いから逆に求められたりする。じゃあ平均値はといえば「ちゃんとしてるね、うん。」で、終わり。個性がなければ大多数のうちの一人になってしまうという事実は、案外幼い頃から思い知らされたりする。


「長所……は、えーと、いつでも笑顔?」


俺はこの質問が一番苦手だ。もっとも、問題はこの解答を俺が苦い顔して言っていることだけど。もう少し笑顔で言っていたらまだ救いがあったのかもしれない。そんなわけで、まだぎりぎり学生の扱いなので無職とまではいかないが今のところ就活全敗である。昔の同級生を思えば、オペラ歌手になったやつ、スポーツ選手になったやつ、有名な職場に就いたやつ等いるわけだが、そんな中で俺は一体何をやっているのか。大きな理由の一つにはこの頭もあるんだろうな、なんてガラスの前を歩く度に思うんだ、この蕾の頭が反射するのを見て。


 俺のように頭の形が花である種族は、ある程度の自我、アイデンティティが芽生えた頃に頭が開花する。それまでは蕾なわけだが、俺はこの年になってなお蕾のままなのだからそりゃあ自立していない男が来たと思われて仕方ない。理由?わかったら苦労しない。あり得るならば、この無個性さではなかろうかと思っている。が、今更何か始めるにも遅い気がして何も始めるに至っていないのだからもうどうしようもない。このままだと無職になってしまうから、社会人として少しでも胸を張れる職に就かなくては。


 と、思っているうちに掲示板を見つけてそこに貼られたチラシを見つけたところまでは覚えている。今は頭がマカロンの形をした少女に右手を引かれているところだ。一方で左手には掲示板で見た記憶のあるチラシが握られている。まぁ、握った記憶はないが。歩きながら改めて開いてみると、そのチラシには”Wistaria”という見出しと共にサーカス団らしき宣伝、そして下の方には団員募集の要項が書かれていた。本当の本当に握った記憶はないが。そのチラシに載る写真の中には今俺の手を掴んでいる彼女もいて…と、いうことはここはおそらくサーカスの建物なんだろう。確か俺は気づいたら大きな建物の前にいたのだが、ちらりと一瞬見上げたその建物はレンガ造りの、かなり洒落た館のようだったはずだ。よし、だんだん記憶が鮮明になってきたぞ。それで俺が混乱してたら建物から彼女が出てきてそれで、確か…


「あれ、入団希望?」


そうだ。なんであそこで否定しなかった?俺。混乱しているまま、手を引かれるままに建物の中に入ってしまったんだった。けれど状況だけ見るなら彼女は悪くなく、完全に俺の落ち度。この先どこに連れてかれるんだ?サーカスと聞けば純粋に面白いものと、本なんかでよく見る残虐なものの二つが思い浮かんでしまう。もし後者だったらどうやって逃げようか。そんな風にぐだぐだと考えているうちに、いつの間にか一つの扉の前まで連れて行かれていた。俺の手を離した彼女は、ふぅ、と深呼吸を一つしてからその扉を叩いて声をかけた。


「団長、ノエルです。入って良いですか?」


 その直後、低く優しい声が響く。


「どうぞ。」


ぱ、と表情を明るくしたノエルと名乗った彼女は、がちゃりとその扉を開けて、また俺の手を取って部屋の中へと進む。なんとなくその先が怖くて俯いていれば、彼女が元気に俺を紹介し始めた。


「えーと、建物の前に……チラシ!掴んで立ってて、入団希望の人だと思って…」


いろいろ突っ込みどころはあるが、事実だからしょうがない。いつも通りの面接をしていれば不合格になるだろうし、ここで否定しても面倒だからと黙っていれば目の前から、先程返事として返ってきた柔らかな声がこちらに向かう。


「そうか、ありがとう。……いらっしゃいませ、団長のエドワードと申します。お名前をお伺いしても?」


あ、これは面接の流れだ、と落ちる気でいるのになぜか緊張する。


「アレンと、言います。」


さて、この次に続く質問はなんだろうと姿勢を正し身構えていれば、帰ってきたのはまさかの言葉だった。


「……わかりました。それでは合格になりますので手続きしましょう。さ、ノエル。一旦席を外してもらえるかい?」

「は!?え、こんなんで良いんすか!?」

「ああ、良いんだよ。恥ずかしながらうちは人員不足でね。喋れて動けるのなら問題はない。」


さっきの彼女は言われた通りに部屋を出ていってしまったし、団長だと名乗ったエドワードさんもいそいそと部屋の大きな棚を漁っている。あんなに悩んであんなに困った就活が嘘のようにあっけなく成功してしまったのだ。実感が湧かなすぎてしばらくぼーっとしていたが、静寂を破ったのは彼の声。


「さあ、おいで。君は今日からうちの愛し子の一人だ。衣装は自由だから、自分で買っても良いし……言ってくれれば、一緒に仕立てに行こう。その前にまずはこれ。この中からどれか一つは必ず身に付けてもらう。」


呼ばれたままに机のそばへ。これ、と示されたものはリボンやスカーフで、どれも藤色をしていた。団の証だというそれは、思い返して見れば華やかな衣装姿だった彼女も腕に着けていたように思える。ともかくそれを受け取ると、肌触りが良く、おそらくシルク地だろうことがわかった。ずいぶん金を持っているのだなと頭の端に浮かんだ少し汚い考えはなんとか葬り去り、話の続きを聞くべく耳を澄ます。


「それで、君の教育係だけれど。ギルバートという子にお願いすることにするからね。頭が水槽の見た目をしていて、その中に綺麗な魚を飼っている子。会えばすぐわかるさ。とはいえまずはここを案内しなくてはね。おいで。」


なんだかとんとん拍子にどんどん話が進んでいる気がする。もらったリボンやスカーフを辛うじて肩にかけていた小さな鞄に折り畳み入れて、迷ってしまわないように団長の後ろへとぴったりとついて歩いていると、この建物が案外広いことを改めて実感した。人員不足と言うだけあって人の気配が少ないのもそう思う理由なのかもしれない。団長の部屋は一番上の階の一番奥。その扉の前に続く廊下を挟むように十個ほどの扉が並んでいた。団長はいくつかの扉を素通りし、ある扉の前で立ち止まってノックする。


「ルカ、いるかい?今日は君は練習がないと聞いている、少し頼まれてくれないか。」


しぶしぶとしか表現できないようなのろさで扉が開いたかと思えば、中から現れたのは…なんともふもふの猫。猫ちゃん。猫ちゃん?


「なに、団長またおつかい行かせる気なノ?もう俺……」

「猫!?」

「っえ、なにこいツ!?……あ、わかった案内?絶対嫌ですかラ!」


正直なことを言うと俺はかなり猫が好き。もちろん、先程出てきたような猫の頭をした種族じゃあなく本当に猫ちゃんの方。とはいえ猫頭の彼ですらあんなにときめいたのだから、俺が重度の猫好きだろうことが証明されてしまった。さて、たった今勢い良く扉を閉めてしまった彼だが、どうするのだろうとちらりと団長の方を振り返れば、彼は少し考えるような素振りを見せてから


「……ルカ、今日の晩御飯の希望は君からとろうか?この前希望権抜かされたって言ってただろう?」


と扉に向かって声をかけていた。


「………やらせていただきまス。」


本当に出てきた。そんなに重要なのか?晩飯。まぁともかくご飯を食べる猫ちゃんは可愛いので置いておいて、案内係をバトンタッチしたらしい団長は役目を終えたとばかりにさっさと自室へ戻っていった。可愛らしい猫ちゃんの頭をした彼との気まずい空気が流れ始めいたたまれなくなってきて、俺から口を開いた。


「あの、ごめんなさい。」


とりあえず嫌そうにしていたので謝罪をすると、俺より少し身長の低い彼の大きな青い目が驚いたように見開かれこちらを見上げる。


「は?なんで謝ってんだヨ。純粋に面倒なだけで新入団員は歓迎だから気にすんナ。」


優しい、とは思ったものの、そこで頷いただけのコミュニケーション力の低い俺のせいで会話は途切れてしまった。正直俺を殴りたい。ここはこんな部屋、と細かく教えてくれているその言葉にすら相づちしか返せないのだ。こちらに歩く速度を合わせてくれているらしい優しい彼とは猫の頭だということもあり仲良くなりたかったが、どうにも話題が思い付かない。どうしたもんか、と考えていれば、どうやら表情に出ていたようでこちらを見た彼は心配そうな顔をして言った。


「大丈夫?具合悪いノ?」

「あ、あぁ、いや……」

「……そっカ。そういや名前ハ?」

「アレン、です。」

「ん、俺はルカっていう名前だかラ。」


会話、出来てる。俺は最早、ああ、という相槌と質問の答えの二つしか言えていないものの、とにかく場を取り持てているのなら良い。あまり盛り上がりすぎないのもまた彼の優しさに思えた。部屋から出てこようとしなかったところからは伺えないその性格の良さになんとなく感動しつつ、彼の後に着いていくうちに着いた部屋の戸を眺める。その戸には"東口"と書いてあったが、彼に着いていくだけだった俺には何の東口か良くわからなかった。わかったのはとりあえず外へ出て歩いたこと、森のようなところに入ったこと、その割に森を抜けたのは早かったこと。ここに来てからこう、なんだかぼんやりしてしまっていることが多い気がした。


「ここ、えート……何て言ったら良いんだロ。ステージ?だヨ。練習も大抵ここでやル。まぁ場合によるけどネ。」


そこでやっと納得した俺はこくこくととりあえず頷き、その重そうな扉をぐ、と力強く押す彼を手伝おうと一瞬出して届かなかった行き場のない手を彷徨わせながらも疑問を投げかける。


「さっきのがサーカスの建物じゃないんすか?」


すると彼は、あからさまに呆れたような顔をして返した。


「会場と団員寮一緒にするわけないだロ。」


これには俺も返す言葉はなかった。普通に俺が馬鹿なだけだ。ついてこいという視線をこちらにちらりと向けて会場へ入っていく彼の後ろにつき、会場へと入る。先程の建物より数倍天井が高く、中央のステージを囲うように並べられた椅子は数えきれないほど。そのステージ脇に座っている男がいた。頭が、水槽。


「ギルバート先輩、新入団員だヨ。団長からもう連絡とか来てタ?」


団長の言っていた教育係とはこの人かとすぐに気づく。見ればわかると言っていたのはもっともだ、なんというか、オーラが違うような気がする。


「ああ、そうか君が!こんにちは、ギルバートです。よろしく。これお近づきの印にね!美味しいよ。」


つかつかとこちらに歩み寄ってきた彼は俺の目の前で自身の手にハンカチをかけて、自己紹介と共にそのハンカチを取り払った。その手に握られていたのは、さっきまでは持っていなかったはずのロリポップキャンデーだ。なんだか幼女か何かと間違われている気がしたが、とりあえずはそのキャンデーを受け取ってその透き通る頭を見つめる。


「アレンです、よろしくお願いします……」


彼の頭の中で、黄色の魚がゆらりと泳いだ。あれ、さっきこの魚黄色だったか?まぁいいか。とはいえサーカスというと何をすることになるんだろうか。綱渡りとか?流石に無理がある気がする。目の前の彼といえば俺の手を取り、俺の頭から爪先までを隅々まで眺めている。次に何を言われるのかと緊張していたところに、語りかけられる言葉。


「団長から話は聞いているよ。君は猛獣使いとして働くらしいね。」


いつの間にか一番命の保証がなさそうなものをやることになってしまっている。俺、来月生きてるかな。

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