第二話 第三王子の死去

 翌朝、状況を一転させる報せが舞い込む。

 第三王子、死去。


 訃報を耳にした瞬間、私の中で三つの推論が立ち上がった。

 ひとつ、この情報自体が虚偽フェイクであること。

 辺境伯の動きを制御しようとする情報である可能性だ。


 ふたつ、王子が殺された可能性。

 この場合筆頭に立つのは、実家が証拠隠滅のため殺害したというものだが……いくらなんでもそれは悪手が過ぎる。

 生き証人であり口裏合わせの相手という、エドガーさまを追及するための手段を手放すに等しいからだ。

 そしてみっつ、自殺。

 厳密には、自死ではない。王家が責任を取らせるという形で動いたのではないかと考えたのだ。

 その場合、第三王子はパロミデス王に徒為すものとして処理されたことになる。


 どれが正解かは、手持ちの情報からは判断がつかない。

 しかし硬直しきっていた、エドガーさまに対して極めて不利だった状況は、いままさに大きく回転をはじめた。

 混沌とし、引っかき回されている。

 ダブルバインドが撓み、緩む。


「…………」


 私は隠し持っていた筆記用具で短く文を書いて、机の上に置き、目を閉じた。

 馥郁ふくいくとした薫りが鼻先をくすぐる。

 手紙は消え、代わりにそこには、湯気を立てた紅茶が置かれていて。


「……信じていますよ、親友」


 私は、焦る胸中をなだめながら、カップを手にするのだった。



§§



 冷徹にして無慈悲なるハイネマン辺境伯。

 その行動は、極めて迅速だった。

 第三王子の訃報に際して、即座に哀悼の言葉を発表。

 王家に対する恭順の意思を示すため、多くの財を追悼の品に変えて差し出した。


 出遅れたのはクレエア家だ。

 本来なら、エドガーさまの動きを封殺し、一切の弁明がない状況へと追い込みたかったのだろうが、結果として先手を打たれてしまう。


 これによって王家は、極々僅かではあるが、辺境伯家に対する不信を解く。

 こちらの言い分を聞いてもらえる土台が出来たのだ。

 つまり……第三王子はお父様の手で殺されたわけではないという仮説が浮上する。


 私が思考を巡らせている間にも、めまぐるしく情勢は変化していく。

 第三王子の死因が毒殺によるものだったと判明。

 そしてこの毒物は、〝結社〟が洗脳のために用いる薬剤であるとエドガーさまは独力で突き止められた。

 他ならない、剣聖閣下の弟子であるセレナさんを尋問して得られた情報であった。


 そう、実家が辺境伯領から採取された毒物と強弁していた代物の出所が、ここに来て揺らいだのだ。

 同時に、とっくの昔に第三王子が薬漬けであったという事実が明らかになる。

 彼は傀儡に成り果てていた。

 これが、パロミデス王の心証を大きく揺るがした。


 もとより、エドガーさまは王様より、〝結社〟を討伐する役割を与えられていた。

 実子の命を奪ったのが〝結社〟であると判明した以上、王様は判断を反転させる。

 ここに、ハイネマン家の自由裁量が復活したのだ。


 もちろん、パロミデス王は賢君だ。

 辺境伯家が〝結社〟と内通して国家転覆を謀っているのではないか? という当初の疑念を捨ててはいない。

 だが、これが全て謀略、嘘偽りなら?

 エドガーさまの奮闘により、論調はイーブンまで引き戻される。


 ……が、事態はもう少しだけ変転する。

 今日までエドガーさまが裁き、潰してきた犯罪者たち。

 彼らが口裏を合わせたように、エドガーさまへ不利な証言をはじめたのだ。

 もちろん、そんな都合のよいことが偶発的に起きるわけがない。


「おかげでハッキリしました。彼らの背後には、なんらかの組織があります」


 私は部屋で一人、両手を顔の前で合わせて推理に没頭していた。

 先ほどまで朝だったはずだが、とっくに外は真っ暗だ。

 けれどそれすら気にならないほど、頭脳は謎を解くために回転を続ける。


 曖昧模糊とした謎が、ようやく尻尾を出したのだ。

 絶対に逃すわけには行かない。


「エドガーさまを陥れようとする悪意がそこにあるのなら、解くべき謎は自ずと限定されます」


 状況の変化によって、推理の余地が生まれる。

 許された間隙を縫うようにして思考。

 私が解決すべき謎は、大きく分けて三つだ。


 ひとつ、辺境伯領で見つかった〝証拠〟は本物か? であれば、どうやって運び込まれたか?

 ふたつ、転移術師たるカレンはこれに関与しているか?

 みっつ、全ての黒幕は一体誰か?


「カレンについては……一旦思考を保留しましょう」


 いまはまだ、彼女について語るべき時ではない。

 これが極めて個人的な感情だとしても、カードには切るべき瞬間というのがある。


 謎は解く、完膚なきまでに。

 だから、もう少しだけ堪えて欲しい、私の欲望よ。


「よって、考えるべきはひとつめとみっつめ」


 いわゆる、証拠と犯人だ。

 毒の原料は辺境伯領で調達出来る。だがその調合、抽出には人員や設備が必要となるだろう。

 私が嫁いできた日から、ずっと閣下が追いかけてきた事件の数々は、おそらくすべてここに集束する。

 何者かが、秘密裏に辺境伯領で工場を作り、毒物を精製した。

 それが閣下なのか、別の誰かなのかは解らない。


 仮に、黒幕が閣下だったとしよう。

 王家に対する貢献や、数多の事件解決は何のためにあったのか?

 もっともらしいところで言えば、マッチポンプだ。


 剣聖閣下とその門弟が王族の守護をしたことと。

 弟子から下手人が出たこと。

 これを外から見たときに想起されるのは、剣聖閣下が自作自演で王家の危機を演出し、これを救い、自らの権力を高めようとしたとする図面だ。


 ハイネマン家にも、同じような疑いを持つことは出来る。

 しかし、ならば〝結社〟とは内通しているはず。わざわざその末端とは言え、犯罪を暴く理由がない。

 敢えて仲間を売ることで疑いの目を背けようとしたのかもしれないが、実際に起きたのは王家鏖殺おうさつ謀反人むほんにんとして裁かれそうになったという危機。

 おまけに第三王子の死去が、ここに〝結社〟とエドガーさまの不和を裏打ちする。


 では、ついで実家ことクレエア家が糸を引いていた場合だが……。

 正直に言えば、こちらの方が私は想像し難い。

 おじいさまはとっくに隠居してしまったし、お父様に策謀の才はない。

 妹のリーゼだって享楽は好きでも、謀略に興味があるとは思えない。

 いや、その全能をはかりごとに傾けるなら、可能性はゼロではないが、動機が見えない。


 国の暗部を司るクレエア家など、とっくの昔に出涸らしだ。

 だからおじいさまは私を活用して、防諜戦に特化した名家というイメージを王様へ植え付けてきたのだ。


 ……消去法で行けば、王家の内乱や〝結社〟の抵抗勢力なんてのも思い浮かばないでもないけれど、それはこれまで盤面に影も形もなかったものだ。

 どうにも考慮に値するようには思えない。


 無理矢理に考えるならば、王族の中に派閥があり――それは当然あるだろうけれど――その派閥が、ハイネマン家とクレエア家を使って代理戦争をしている、というラインだろうか?

 このときに有力な容疑者は、やはり〝結社〟だ。

 なにせ、反権力とは、いまの王への叛旗に他ならないのだから。


「〝結社〟の暗躍。それはもちろんあるのでしょうが」


 あったとして、彼らの狙いは何か。

 王家の威信を落とすこと? 国の転覆? それはそうだろう。これまでずっとそのように動いてきた。

 では、これを実行するための現実的なラインは?

 ――待て。待て待て待て。

 違う、そんな大それたものではない。巨視的な視点で考えること自体が、黒幕の思うつぼだとすれば?

 もっと小さな、ささやかな〝悪意〟こそが事件の基点なのだとすれば?


「まさか――」


 電撃的な閃きが脳裏に浮かびかけたとき。


「あっ!?」


 強い衝撃が、頭蓋を揺らした。

 物理的な一撃が私を昏倒させる。

 殴打されたのだと理解するのは、目が覚めたあとで。

 意識を失う寸前、視界に映ったのは――


「……カレン?」


 顔を覚えられない誰かと争う、オレンジのメイドだった。

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