第16話【ジェダ】豊穣祭

「……いや、悪いが一人で行ってくるよ。お前たちも好きに動きたいだろうし」


「おや、フラれちまった。残念だったな、飛路」


 首を振って航悠の誘いを断ると、急に矛先を向けられた飛路が目を瞬いた。


「え、なんでオレ……? 誘ったのは頭領でしょう」


「一人で、ってことはお前も駄目ってこった。うちの女王様の審美眼は厳しいな」


「別に、そういうつもりで言ったんじゃない。……出かけてくる。適当にふらふらしてるよ」


「はいはい、行ってらっしゃい」


 酒楼に残る二人を適当にあしらい、雪華は財布だけ懐に入れると一人で雑踏へと踏み出した。残った二人は呆れた視線でその後ろ姿を見送る。


「……本当に女一人で行っちまったよ。あいつ、周りの目とか気にしなさすぎだろ」


「そういうとこ、ほんと頭領にそっくりですね」


「俺はあんなに無頓着じゃねぇよ。……さて飛路。フラれたもん同士、寂しく酒でも飲むか?」


「……寂しくないんで、遠慮しときます」


 雪華に袖にされたとて他にも引く手あまただろう色男の提案を、飛路は苦笑いで受け流した。




「さすがに盛況だな……」


 屋台が多く出ている通りまで歩いてくると、赤い提灯が吊るされた市街地は普段と様子が一変していた。

 夜が深まるにつれて、活気も増してきているようだ。通りは人でごった返し、流れに沿って歩くしかない。

 雪華たちが普段生活している花街も不夜の街だが、やはり祭りで飾り付けた市街地とはだいぶ雰囲気が異なる。行きかう人の顔には今年も実りを得られたという安堵と満足感が、笑みとなって浮かんでいた。


(さて、甘味の前に適当に腹ごしらえするか……)


 ざっと見たところ、甘味を扱っている屋台がちらほらと見つかった。中には異国の甘味を売っている店もある。

 興味は引かれるが、甘味ばかりでは腹が膨れないし何より太る。ここは慌てず量より質で攻めるべきだろう――そんなことを考えながら、雪華は屋台を物色した。


 食べ歩きながらふと見上げると、酒楼の露台で談笑する人々の姿が目に入った。そこから視線を転じると、煌々と照らされた城門と陽帝宮の外朝が遠くに見える。


「…………」


 豊穣祭と元日の日にだけ、陽帝宮は夜通し松明たいまつを燃やして明かりを灯し続ける。陽連の人々は夜でも明るい城を見て、その美しさに国の安泰を信じるのだと、昔誰かから聞いた。

 詳しくは知らないが――今宵、城では皇帝による祭祀さいしが執り行われるはずだ。斎の民なら誰でも見ることができるが、代替わりした見目良く若き皇帝を一目見ようと、女性たちがこぞって向かうだろうと藍良が言っていた。


(……私には、関係のないことだ)


 外朝から目を逸らし、城へと向かう人の流れに逆らって雪華は雑踏を歩く。急に一人でいることがなんとなくいたたまれなくなり、溜息をついた。


「……帰るかな」


 来たばかりだが、気分が乗らなくなってしまった。だが宿へと歩き出すと、道端に並んだ露店にふと興味を引かれて足を止める。


 そこは、宝石商の露店のようだった。大きな台の上に所狭しと耳環じかんやら首飾りやらが並べられ、光を放っている。

 身を飾ることにはそう頓着しない性質たちだが、自分も一応は女のはしくれだ。こういう装飾品に興味がないわけではない。すると雪華の視線に気付いた店主がすかさず声をかけてくる。


「お姉さん、何かお探しで?」


「え? ああ……いや、とりあえず見ているだけだが」


「自慢じゃないですが、赤字覚悟の値打ち品が多いですよ。あんた別嬪べっぴんだから、特別にまけてもいい」


「たしかに、物はいいな」


 値段もそう高くないし、一つ買って帰るのもいいかもしれない。店主の説明を聞きながら、並べられた装飾品を物色する。


「じゃあ……この指輪を」


 やがて雪華が選んだのは、翡翠でできた細い指輪だった。とろりとした深緑の石は森のような色にも見え、見ていると気持ちが安らぐ。


「かしこまりました。お包みしますか?」


「いや、着けて帰るよ」


 代金と引き換えに品物を受け取ると、雑踏へと戻る。様々な商品を扱う他の露店を横目に眺めながら、指輪をはめようと手を持ち上げた。


「……雪華殿?」


「え?」


 突然名を呼ばれ、ふと振り向く。すると雑踏の中、祭りの華やかさにも決して埋もれない銀の光が見えた。


「ジェダ殿……」


「奇遇ですね。あなたも祭り見物ですか」


「まあ……そうだな」


 人ごみをすり抜けてこちらへと寄ってきたその人は、一人だった。また供もなしに歩き回っていたらしい。


「あなたは本当に神出鬼没だな。高官なのだろう? 危なくはないのか」


「大丈夫ですよ。私に何かしようとするやからがいても、すぐに見つかりますから」


「ああ……目立つものな」


 どこにいても人目を引く容姿であることを指摘するも、ジェダイトは先日同様に否定はしなかった。

 今もちらちらと好奇な視線がこちらに向けられているのを感じるが、彼は意にも介さないようだ。周囲の民衆など見えていないように、雪華へと笑いかける。


「それは? 翡翠……ですか」


「ああ。安物だが、質は悪くなさそうだったんで」


「翡翠、お好きなのですか?」


「まあ嫌いではないな」


 ジェダイトの目は、雪華の手に乗った緑の指輪に向いている。それを持ち上げ中指に通そうとすると、横から伸びた褐色の指が指輪をさらっていった。


「……なるほど。たしかにかなり質はいいようだ。シルキアでもここまでのものはなかなか採れないな」


「そうか。シルキアは鉱物に恵まれているものな。あなたもずいぶんと目が利くんじゃないか?」


「そうでもないですよ。宝石など、数えられるほどしか持っておりませんし。――はい、手を出して下さい」


「え? ……ああ」


 ジェダイトは指輪を指で挟むと、雪華の左手を指し示した。返されるのかと思い手のひらを上に向けると、ふいとそれをひっくり返される。そのままうやうやしく手を取られ、雪華は目を瞬いた。


「いや……いいよ、自分ではめるから」


「そうおっしゃらずに。私にさせて下さい」


 うっとりするような声音には、有無を言わせぬ響きがあった。まあ、別に大したことではない。なすがままになった雪華の薬指に、ジェダイトが指輪をはめ込んだ。


「あれ。中指にと思ったが、薬指の大きさだったか」


「……まさか、試着もしないで買ったのですか?」


「まあ大体これぐらいかと思って。薬指にははめたことがないな」


「これはまた、豪快な方だ」


 雪華の手を持ったまま瞠目どうもくし、ジェダイトが呆れたように笑う。緑の指輪がはまった指を見つめ、彼は雪華の顔を見上げた。


「左手の薬指に指輪をする意味を、ご存知ですか」


「薬指に? ……さあ。あなたの国では、何か意味のあることなのか」


「まあ……そうですね」


 再び瞠目したジェダイトが苦笑を浮かべる。斎ではどの指に指輪をはめようとそれは装飾品としての意図しか持たないが、シルキアでは違うのだろうか。ジェダイトは笑みをどこか色めいたものに変えると、低く歌うようにつぶやいた。


「……秘密です。その方が、面白いでしょう?」


「はあ……まぁ、なんでもいいが」


「つれないお方だ」


 大して気になることでもなかったためそう告げると、ジェダイトは小さく肩を落として笑った。つられて笑みを浮かべかけ、ふと振り返る。


「あ……」


 たくさんの目、目、目――多くの民衆が、好奇の眼差しで雪華を……いや、ジェダイトを見つめていた。その視線の波に雪華は大きく溜息をつく。


「ふぅ……あなたは本当に、目立つと見える」


「違いますよ。私ではなく、あなたのことを見ているのでしょう」


「戯言はそのあたりで結構だ」


「本気なのですがね。……しかし、この視線は少々やっかいですね。雪華殿は祭りをまだ見て回られますか?」


「いや……人混みにも飽いたし、そろそろ帰ろうかと思っていたが」


「そうですか。もしお時間が許すのなら――と思いましたが……ああ、もう遅いですね。静かな場所にお誘いしようと思ったのですが」


「あ……」


 別れを示す言葉に、少しだけ残念な気持ちになった。そうそう会える人ではないから、せっかくならもう少し話したかった。

 それが顔にも出ていたのだろうか。ジェダイトは小さく苦笑すると、雪華に手を差し伸べる。


「もしよろしければ――明日、またお会いしませんか。先日お別れした場所で待ち合わせるのはどうでしょう。静かな場所にご招待しますよ」


「え。……いいのか」


「ええ。では、了解と受け取ってよろしいのですね。それでは、また明日――」


 美しい所作で礼をして、ジェダイトが雑踏を去っていく。雪華も少し弾んだ気分で宿へと急ぐと、湯浴みや髪の手入れもそこそこに早々に眠りについた。




 その夜――陽連郊外の貴族宅にて、第二の爆発事件が発生した。


 今回もまた威嚇目的だったようで、死者こそ出なかったものの、怪我人が何人も出たとあとから伝え聞いた。

 やはり下手人は分からず、ただその被害者……貴族が皇帝擁護派だったことが、前回の事件との共通点だった。


 これ以降、陽連では「皇帝と親しい貴族が狙われる」という噂がまことしやかに流れ、貴族は表立って皇帝を庇うことを避けるようになる。


 そんな未来を予測することができるはずもなく、その夜雪華は深夜まで続く街の喧騒をものともせずに、深い眠りについていた。



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