第16話【飛路】豊穣祭

「飛路、一緒に行かないか」


「え。オレ…!?」


 航悠とはこれまで一緒に行動してきたのだし、今さらわざわざ祭りに行くこともないだろう。雪華が声をかけると、飛路は大仰に驚いた。


「あらら、フラれちまった」


「どうせお前は他にもアテがあるだろ。……どうだ? 飛路」


「い…、いいけど……」


 うなずくも、飛路はどこか赤い顔で戸惑い気味だ。その反応に雪華はあっさりと誘いを取り下げる。


「いや別に無理にとは言わないが。嫌だったら一人で行くし」


「誰も嫌だなんて言ってないだろ。もちろん行くよ、オレで良かったら」


 少しムキになったように飛路が早口で告げる。最後は笑顔で了解が得られ、雪華は満足げに頷いた。


「よし。じゃあな、航悠」


「おう。せいぜい貢いでもらえ」


「部下にせびるような真似はしないよ……」


 そうして雪華は、年下の青年と祭りに繰り出すことにしたのだった。




「さすがに盛況だな……」


 飛路と連れ立って屋台が多く出ている通りまで歩いてくると、赤い提灯が吊るされた市街地は普段と様子が一変していた。

 夜が深まるにつれて、活気も増してきているようだ。通りは人でごった返し、流れに沿って歩くしかない。

 雪華たちが普段生活している花街も不夜の街だが、やはり祭りで飾り付けた市街地とはだいぶ雰囲気が異なる。行きかう人の顔には今年も実りを得られたという安堵と満足感が、笑みとなって浮かんでいた。


「お前は前にも来たことがあるんだろう?」


「豊穣祭? ……うん、まあ。だいぶガキの頃だけど」


(……今だってガキだろ)


 そう声に出しかけて、慌てて口をつぐんだ。一緒に来てくれた相手に対し、それはあまりに失礼というものだろう。

 懐かしむようにつぶやいた飛路に、いつかの話を思い出す。子供の頃というと、飛路の父親がまだ存命だった時分のことだろうか。


「お父上と来られたのか」


「……うん、母親も一緒に。やっぱり今日みたいに混み合ってたから、オレは親父の肩に乗っかってた。……親父、背が高かったから視線がぐんと上がってさ、人の頭ばっかり見えて興奮したよ。遠くの城の方までよく見えたな」


「そうか……」


 目を細めて頭上を見上げる飛路につられ、雪華も上を見上げる。酒楼の露台ろだいで談笑する人々の姿が目に入り、笑顔で飛路を振り返った。


「とりあえず、何か食べるか」




「あれと、それと……ああ、あれも美味そうだ」


「え。ちょっと、雪華さん……? まだ買うのかよ」


「あっちも買っていくか。飛路、ちょっと待ってろ」


「ええっ!? あんた、そんなに買って食えんのかよ」


 数軒の屋台を行ったり来たりしながら、二人は食料を買い込んだ。木の下に設けられた椅子にかけ、包みを開く。様々な方法で調理された料理が並び、かぐわしい匂いが辺りにただよった。


「あんた、こんな食いきれんのかよ……。しかも甘味はほとんど買ってないし」


「これは、私の分じゃない。お前の分だよ」


「え?」


「せっかく色々な料理があるんだ。食べてみればいい。それにお前、甘味は苦手だろ? 付き合わせるのも悪いしな」


「そんな……オレ、おごってもらうつもりなんて……」


「気にするな。上役が部下におごるのは当たり前だろ。……いいから食べろ。育ち盛りだろ」


「オレ、さすがにそろそろ育ち盛りは終わるけど……」


 飛路はうなずいたが、手に持った箸が迷うように揺れている。……律儀な青年だ。これぐらいで遠慮することなどないのに。

 雪華は皿から落ちそうな芋をひょいとつまむと、無造作に口に放り込む。


「ま、お前に全部やるとは言ってないけどな。……ほら、箸をつけろ。さもなくば私が全部食べるぞ」


「さもなくばって……こういう時に使うっけ?」


「じゃあ『料理が惜しくば』だ。ほらその回鍋肉ホイコーロー、美味いぞ。お前、手をつけないで私を太らせたいのか?」


「……ぷ。それは……もったいないな。あんたには、いつまでも綺麗でいてほしいよ」


「ふん」


 ようやく笑った飛路が箸を握り直し、今度は遠慮なく料理に手をつける。十代らしい勢いで料理を平らげはじめた姿に雪華も小さく笑った。

 やがて、大半は飛路が消費したがそれでもかなりの量の料理が胃に収まり、別腹の甘味をつまみながらまた歩きはじめる。隣に並んだ飛路がぽつりとつぶやいた。


「……部下、か」


「ん? ……部下だろ」


「そうだな、ただの部下だ。……今はね」


 独り言のようなつぶやきに答えると、飛路が小さく苦笑する。彼は笑みを消すと、静かに続けた。


「あんたは、家族は」


「……もう、誰もいない」


 唐突な質問のように感じたが、これは先ほどの話題を自分に返されただけだ。正直に答えると、飛路は気まずく眉を下げる。


「あ……。ごめん」


「何を謝る。別に今さら気にしていない」


「家族を知らない……わけじゃないよな? 兄弟とか、いたのか」


「……兄が一人いた。あとは両親と。どうということはない、普通の家だ」


「じゃあなんであんただけ、十歳で頭領のところに来て――」


「…………」


 飛路の問いかけに雪華は冷えた視線で答える。祭りでいくぶんか浮き足立った気持ちが、すっと冷めていく気がした。


「それをお前に話す必要があるのか?」


「……っ。……ごめん」


「いや……いい。家族のことは、あまり話したくないんだ。悪いな」


 冷ややかな口調で返すと飛路がはっとしたように口をつぐむ。雪華は首を振ると、固くなった空気を和らげるように苦笑した。だが飛路は、なおもしゅんと項垂れる。


「いや、オレこそ。調子に乗った。あんたのこと聞いてみたくて……」


「私の過去を知っても何にもならないよ。たいした出来事があるわけでもないし、同情されるのもまっぴらだ。大事なのは、今何をしてるかだろ? ……お前は、今の私だけ見てればいい」


「……っ」


「……? どうした」


 飛路が雪華を凝視し、ぱっと耳まで赤くなった。……酒が回るにしては急すぎやしないか。雪華が首を傾げると、彼は口を押さえて顔を背ける。


「……絶対、気付いてないだろ。今あんた、すごい殺し文句言ったんだけど」


「は……?」


 何を言っているのかわけが分からない。雪華から顔を逸らし続けていた飛路は、通りに目をやると「あ」と声を上げて目を見開く。


「……雪華さん。ちょっと待っててくれる? これ食ってていいから」


「は? ……ああ……」


「ごめん、ちょっと見たい店があって。すぐ戻るから!」


 持っていた焼菓子の包みを雪華に押しつけると、飛路は突如として雑踏の中へ消えていった。……何か見つけたのだろうか。

 満杯な腹にそれ以上何か入れる気分にはさすがにならず、雪華は手持ち無沙汰に飛路を待った。そして数分後、息を切らして飛路が戻ってくる。


「お待たせ」


「遅い」


「あ……ごめん。結構待たせちゃったな」


「……冗談だ。そうすぐに謝るな」


「あんたな……」


 別に混んでいる中を慌てて来ることもないのに、つくづく律儀な青年だ。雪華がからかうと、飛路はじとっと渋い視線を向ける。


「これ。……あんたに」


「……? なんだ」


 息を整えた飛路が、小さな紙包みを差し出した。手のひらに収まるそれはわずかに硬い感触がする。

 逆さにすると、手のひらに何か輪のようなものが転がり落ちた。……青い石の腕輪だ。


「……瑠璃…か?」


「うん、そう言ってた。……ごめんな。あまり高い物じゃないけど、あんたに似合うかと思って」


「いや……」


 つやのある青い石の中に、金と白の小さな石が星を散りばめたように輝いている。それは真冬の夜空のようで、目が自然と惹きつけられた。

 飛路は高いものではないと言うが――おそらく、安いものでもないはずだ。無言で腕輪を見つめる雪華に飛路が不安そうな目を向ける。


「……気に入らなかったか?」


「え。……いや、そんなことはない。すごく綺麗だ。でも……いいのか?」


「うん。色々おごってもらったし」


 おごったと言っても、たかだか屋台の料理だ。この腕輪に比べれば大した金額ではない。

 『本当にいいのか』と再度尋ねようとしたが思いとどまり、雪華はそれを腕にはめる。冷たく滑らかな感触が手首にちょうど良くおさまった。


「ぴったりだ。……ありがとうな」


「どういたしまして」


 ホッとはにかむように飛路が笑う。……瑠璃は美しく、綺麗だ。けれどそれ以上に彼の表情の方が、雪華にはまぶしいもののように思えた。


「私もお前に何か――」


「あ――」


「……? 誰かいたのか?」


「…………。えっ……、あ……ああ」


 ――何か、礼をしたい。雪華がそう言いかけると、飛路が遠くを見たまま固まった。声をかけるとはっとしたようにぎこちなく頷く。


「ごめん雪華さん。オレ、友達見つけたからちょっと外してもいいかな? 宿まで送れなくて悪いけど」


「大丈夫だ。私のことは気にしないでいい」


 もう十分に楽しませてもらった。快く頷くと、飛路は申し訳なさそうに雪華から離れる。


「ほんとごめんな。じゃあ」


 手を上げて、飛路が雑踏へと慌ただしく消えていく。買い込んだ珍しい甘味と青い石の腕輪を胸に、雪華は祭りの中を浮かれた気分で宿まで帰った。




 その夜――陽連郊外の貴族宅にて、第二の爆発事件が発生した。


 今回もまた威嚇目的だったようで、死者こそ出なかったものの、怪我人が何人も出たとあとから伝え聞いた。

 やはり下手人は分からず、ただその被害者の貴族が皇帝擁護派だったことが、前回の事件との共通点だった。


 これ以降、陽連では「皇帝と親しい貴族が狙われる」という噂がまことしやかに流れ、貴族は表立って皇帝をかばうことを避けるようになる。


 そんな未来を予測することができるはずもなく、その夜雪華は深夜まで続く街の喧騒をものともせずに、深い眠りについていた。



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