会社の狐、学生狐と相まみえる

 伯服の、要は金毛九尾の子孫たる趙君――フルネームは趙雲嵐だった――がやって来たのは、十二時四十五分ごろの事だった。

 面談そのものが始まるのが午後一時の予定であったから、所謂十五分前集合、というやつである。学校に通っていた時に叩き込まれた五分前行動を源吾郎は密かに思い出していた。それから、趙君がきちんとそれを遵守している趙君に少し感動してもいた。

 だがすぐに、そんな考えを源吾郎は一人少し恥じ入ってもいた。相手が大学生だから、もしかしたら時間にルーズなのかもしれない。そんな偏見を抱いてしまった事に気付いたためだった。


 源吾郎の思惑や密かな反省はさておき、趙君と対面する事となった。

 源吾郎自身は紅藤や双睛鳥と共に小会議室――勢揃いした幹部たちが打ち合わせを行う大会議室や、峰白に二度ほど通された事のある応接室とはまた別の会議室だ――に既に入っており、向こうが社員に案内されてこの部屋に通される形となったのだ。

 峰白の部下らしい鳥妖怪の青年に案内され、一人の青年がおずおずと入室してきた。すらりとした体躯とさっぱりとした面立ちが特徴的な青年だった。そう言う意味では、キツネのステロタイプが人の形を取った姿とも言えるかもしれない。

 白いシャツに灰色のカーディガン、そして濃紺のズボンは明らかに私服だったが、いずれも落ち着いたものだったので違和感はなかった。

 さも緊張した様子で紅藤と双睛鳥の顔を見つめていた趙君であるが、源吾郎の姿に気付くと、にわかに安堵したような表情になった。それから源吾郎は、彼が二尾である事に気付いた。ずっと隠していて、先程尻尾を露わにしたのかもしれない。

 ああ、やはりこの青年も、俺と同族なのだ――黄金色に輝く穂先のような尻尾を見た源吾郎は、心の中でそう思っていた。


「ニ、您好こんにちは。僕は趙雲嵐と申します。皆様、今回はお忙しい中お声がけいただいて感謝しています」


 最初の挨拶こそ中国語であったが、その後に続く言葉は日本語であった。若干たどたどしいのは、単に緊張しているからであろう。

 源吾郎たちも您好こんにちはと挨拶を交わし、そのまますっと立ち上がった。名刺交換を行うためである。もっとも、学生の趙君は名刺を持っていなかったから、紅藤たちが自身の名刺を彼に渡す作業となったのだが。


「名刺まで頂くなんて、若輩者の僕に対して、本当にありがとうございます」


 三枚の名刺をまじまじと眺めていた趙君は、感極まった様子で頭を下げた。眺めるときはトランプのババ抜きでもやるかのように持っていた名刺は、今はきちんと机の上に並べられている。もちろん、名刺の並び順は実際に紅藤たちが座っている位置と対応する形だ。

 恭しい様子の趙君の言葉に、紅藤が静かに笑みを漏らした。


「あらあら、趙さん。別に自分の事を若輩者だとへりくだらなくても大丈夫ですよ。金毛九尾の末裔ながらも、あなたと同い年の島崎も、この場には同席しているのですから」

「そうそう。島崎は普段研究センターに勤務している妖なんだけど、今回は同族が来てくれたって事で、同席してもらったんだ」


 若輩者という単語を起点として、流れるように源吾郎の紹介へと話題は移ろった。紅藤様はフワフワなさった方だけど、こういう時の話の持って行き方はお上手なのだな。源吾郎は純粋に、紅藤の話術の巧みさに感動していた。

 その間に、趙君の視線は紅藤から源吾郎に向けられていた。そこはかとない無邪気さと純粋さの孕んだ眼差しに一瞬気圧される。だが、明るい褐色の虹彩の真ん中にある瞳が、縦長に避けているのを目の当たりにすると、不思議と落ち着いた気持ちを取り戻す事が出来た。


「島崎源吾郎さん、でしたよね。あなたも、僕と同じく金毛九尾の末裔なんですよね。その尻尾は、確かに狐狸精の特徴ですもんね!」

「ええ、はい……」


 趙君のはきはきとした物言いに、源吾郎は若干気圧されてしまっていた。奇妙な事に、伯服たちに出会った時よりも緊張しているように感じられた。

 緊張しているのは気のせいだ。おのれに言い聞かせ、源吾郎は趙君を見やった。自分の瞳もまた、彼と同じく縦長に裂けているのだと考えながら。


「そうですね趙さん。僕は確かに金毛九尾の末裔です。厳密に言えば、金毛九尾の曾孫に当たるのです」


 源吾郎はそこまで言うと、より良い説明内容がある事に気付いた。


「趙さんのご先祖様は伯服様との事ですが、伯服様は僕にとって大伯父に当たるのです」

「そうだったんですね!」


 やはり付け加えた言葉は、趙君にとっても解りやすいものだったのだろう。彼は明るく弾んだ調子で声を上げていた。大人しそうな風貌とは裏腹に、意外とテンションの高い青年だ。このころになると、源吾郎はそんな事を思い始めていた。

 あるいはもしかしたら、紅藤や双睛鳥と言った大妖怪の妖気にあてられて、妖怪としての精神が昂っているだけなのかもしれないが。


「伯服様は確かに、僕の遠い先祖だと言われています。その姪孫てっそんである島崎さんの事は、どのようにお呼びしたら宜しいでしょうか? 大叔父様とかになるんでしょうか?」

「め、滅相もない!」


 趙君の言葉を受け、源吾郎も思わず声を上げた。


「仰る通り、僕はあなたの何十代も先の、ご先祖様の姪孫にあたるでしょう。ですが、紅藤の言う通り、僕とあなたとは同世代なのですよ。だからその……難しい事はお気になさらず、僕の事は気軽に島崎さんとか源吾郎さんと呼んでいただいて大丈夫です」


――とはいえ、源吾郎さんは流石にフランクすぎるかもしれませんね。

 紅藤からの、いつになく鋭い視線に気づいた源吾郎は、慌てて言い足した。

 とはいえ、趙君が悩むのも無理からぬことだ。人間と異なり、妖怪の場合では十世代以上離れた親族と対面する事もありうるためだ。さらに今回のように、傍系の場合だと世代と年齢の食い違いが生じる事もある。

 特に伯服の血族は、呪いの影響もあって半妖の中でも人間の血が濃いという。世代交代が早くとも何らおかしくはない。むしろ、白銀御前の血統の世代交代が、異様に遅いとも言えるほどだ。白銀御前の子孫は、まだ孫の代しかいないのだから。

 ともあれ源吾郎は、趙君に必要以上に畏まれても困ると思っていたのだ。


「それじゃあ、島崎さんで」


 趙君も、そんな源吾郎の気持ちを汲み取ってくれたのだろう。島崎さんと呼びかける彼の声は明るく、それでいて源吾郎への敬意の念も籠っていた。

 九尾の末裔で同年代。しかも半妖である事まで共通している。縁あって対面した自分たちは、一体どのような事を話し合うのだろうか。

 源吾郎の心は、期待といくばくかの緊張のために早くもざわつき始めていた。

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