第6話 ふたりの男③

 彫りの深い眼窩から覗く大きな瞳は太陽のように眩しい。はっきりと形の良い眉も相まって、いかにも雄々しく強そうな印象だった。だが、焚き火の明かりが作る睫毛の陰影は濃く、輪郭は体格にしてはすっきりとしている。

 どちらかと言えば女性的な印象も与える、華やかな面立ちだった。しかし顔だけではない、圧倒的な存在感が女性らしさを打ち消していた。

 彼は相方の亜人のような竜人の目ではなく、エデルにも馴染みあるふつうの目の形をしている。焚き火の明かりにちらつく虹彩は、暖色の反射を差し引いても黄金に見えた。

 うなじでひとつに結った髪は、最初に見た通りの紫紺。もしかしたら黒か紺かもしれないが、相方のほうが闇のような漆黒をしている。違いを見れば、黒髪でないのは明らかだ。

 その目も髪も、緑層でそれなりに見かける色だ。だというのに、この男の持つ覇気のようなものがそうさせるのか、唯一無二のように思えてならない。

 形の良い唇が手にした串焼きをかじる。その口が思ったより大きく開くので、エデルはちょっと目を瞠って、食事をする男を見つめてしまった。

「それで? お嬢さんはどこから来たんだ。ずいぶん長い間エスローから降りられなくなってたようだが」

「降りられなかったんじゃなくて、逃げ……」

 てきた、などと素直に口にして良いものじゃない。

 つい今しがた、彼らの勘違いに乗っかって〝家族の所有するエスローから降りられなくなった良家の子女〟を演じようとしたばかりではなかったか。

 ぱっと口を押さえ、苦し紛れに言い直した。

「急いで……あ、いや、降りられなくなって……」

「なるほど、逃げて来たんだな」

「降りられ……」

「何から逃げて来たんだ?」

「…………」

「ん?」

 この人、やっぱり目力が強い。

 エデルは眩しさに目をしぱしぱさせた。

 焚き火の明かりしかない夜の森の中だというのに、太陽がふたつ並んでいるようだ。こちらの心の内まで見透かすような目に、もう誤魔化せないと悟った。ならば逃げるしかない。

 そう思って腰を浮かそうとしたが、その前に手首を掴まれた。

「おっと、落ち着け落ち着け。逃げなくて良い。少なくとも、俺たちはおまえを追っかけてる連中は知らないし、追っかける理由もない」

 あっさり捕まった。当然だ。こんな無計画な逃亡。 

 ばくばくと心臓が鳴っている。どうしよう。本当にこの人たちの言葉を信じて大丈夫なんだろうか。

 じっとりと視線だけを向けると、そんな疑いの目線など痛くも痒くもないと言わんばかりに紫紺の男は肩をすくめた。

「ま、とりあえず食べな」

 こんな状況では何も喉を通らない――わけではなく、お肉はおいしかったのでしっかりいただいた。緊張のあまり一本目の串より若干味がふわふわとしていたが、腹は満たせたので問題ない。

 食べきると、見計らったように水の入った筒を差し出される。受け取って飲み干してから、また油断して世話になりっぱなしであったことに気づいた。

 腹がくちくなってひと心地つくと、夜通しドゥーベに揺られて疲弊した身体にも力が戻ってくる。それを見計らって、金眼の男がドゥーベに目を向けた。

「あのエスローはおまえのか。名前はなんて言ったか」

「あの子はドゥーベ」

「そうか。良い名だ。俺はルーシャス。こっちはナイジャー。旅の人間だ。おまえの名前は?」

 なるほど、ルーシャスがナイジャーを呼んでいた「ナイ」というのは愛称か、と納得する。そのナイジャーに目を向けると、竜の目を細めて大きな手をひらりと振ってくれた。

 彼は今、ドゥーベに食べさせる分の肉を追加で焼いてくれている。エスローは馬と違って雑食なのだ。

「わたしはエデル」

 ルーシャスが金の目を軽く瞠った。

「エデル?」

「うん。――おかしかった?」

 なんだか面食らったような顔をしたので、ちょっと不安になった。名前におかしなところがあっただろうか。少なくとも、エデルの育った地域ではそう珍しい名前ではなかったはずだ。

「ルーシャス?」

「あ、ああ。何でもない」

「おまえなぁ。響きがかわいらしいからって固まるなよ、ルース。惚れるのは良いが、そこで素直にかわいいだとかきれいな響きだとか口説けないようじゃあ色男にはなれないぜ」

 急に黙りこくってしまったルーシャスに、ナイジャーがおかしそうに茶化す。そんなことをしなくとも、ルーシャスの面立ちなら黙っているだけで向こうから寄ってきそうなものだが、エデルに求められても困るだけなので口をつぐんだ。

 彼は確かに人を惹きつける見目をしているが、今はそんなことに現を抜かしている暇はないのだ。

 ルーシャスも心底面倒くさそうに手を降った。

「そういうんじゃない。茶化すな」

 ナイジャーはルーシャスに凄まれてもどこ吹く風で、にこりときれいに笑う。

 こちらはこちらで、つくづく息を呑むほど美麗な人だ。しかし見惚れるといっても、その感情は絶景を前にして感動を得た気持ちに近い。

 ここまでの短いやり取りで、どうやらナイジャーのほうがだいぶ軟派らしいとエデルは認識し始めていた。

 その彼が黒い目をエデルに向ける。

「エデルの愛称はエディ?」

「うん」

「エディは男にも使うだろ」

 ルーシャスの言う通りで、〝エディ〟という愛称は似たような名前を持つ男性に使われやすい。男っぽいイメージがあるからと愛称で呼ばれることを嫌う女性も中にはいるが、エデルは気にしなかった。

「でもかわいいじゃん、エディって。そう呼んでも良い?」

「良いよ。おとうさんもそう呼んでたから」

「うんうん、素直でかわいいね。それじゃ、エディ。何があって誰から逃げてた?」

 話がもとに戻った。

 助けてもらい、食事も分け与えてもらって、名前も知った。しかし、もう知らない仲ではないからといって、おいそれと事情を打ち明けても良いものか。

 ふたたび目を泳がせて悩み始めたエデルだったが、それを見透かしたようにルーシャスが重ねた。

「言っておくがなぁ、エデル。俺たちが悪者で、追っかけられてるおまえに不利益なことをしようと企むならもうやってるさ。俺もナイも女ひとり拘束するくらいは簡単だからな。おまえは警戒心がまったく足りない」

 ぐっと詰まるしかない。ルーシャスの言うことは正しかった。エデルは警戒しなければと思いながら、何にどう注意を払えば良いのかもわかっていないし、何ひとつうまくできていない。

 そもそも、今ここでルーシャスたちに助けられたは良いが、この先どうして良いかもわからないのだ。今夜限りで別れたとして、結局どこかで誰かに助けを求めなければ、解決はしないだろう。

「ここで知らないふりをしても、俺たちには何の不都合もない。だがな、着の身着のまま追われてる女だって知ってて放り出せるほど冷酷なつもりもないんだ。首を突っ込んだのは俺だしな。おまえがすべきことは、頼れそうなやつには全力で縋って事情を話して同情でも引いて、とにかく味方を増やすことだと思うぞ」

 もっともである。

 そこまで言ってから、ルーシャスがしみじみといったふうに続けた。

「おまえは出会う人間に恵まれたな」

「え?」

「俺たちは旅人だが、ただ興味本位で世界を巡ってるわけじゃない。追われてるヤツを護衛したり、悪いヤツを追っかけたり、そういう荒っぽい依頼を受けて物理的に解決する傭兵――自由戦士だからな」

 今のおまえに一番必要な人材だろ、と言って、ルーシャスは笑った。

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