アイドル戦記
あわき尊継
第1話 初公演
大きな外套に身を包んだ少女が踏み出す一歩を、月灯かりが照らしていた。
飛び上がっていく飛竜へ目を向ける者は居ない。
篝火によって照らされている元老院議場、先ほどまで乗っ取った壇上にて長広舌を振るっていた青年も、今は役割を終えたとばかりに一歩下がり、その歩みを見送っている。
運び込まれる大筒のような何か。
鉄の鈍色は無粋とばかりに剣を収めた者達が、意気揚々と飛び付いて魔術具を起動させる。
夜を貫く強力な光が壇上を照らし出し、中心に立つ少女が杖を取り出す。
そう、それは確かに杖にしか思えなかった。
少なくとも、今日この議場へ集まったお髭達にとっては、昨今若者の間で主流になりつつある小型の、珍妙な形をした杖にしか。
けれど少女が先端部の球体を口元へ近付けた時、やや緊張を帯びた吐息が付近の箱から漏れ出した。
「聞いて下さい」
何を、と問える者は居なかった。
困惑する全てを差し置いて、少女は今こそ外套を脱ぎ捨てる。
現れたのは肩を、臍を、膝を大いに露出した、見るも煌びやかな衣装に身を包んだ十二かそこらの少女である。
彼女は再度息を吸い、手にした杖へ向けて想いを放つ。
「私っ、歌います!!」
※ ※ ※
アイドル。
それは戦後日本のテレビ普及に伴って急激に発達した文化である。
血で血を洗う戦争を乗り越え、荒廃し切った大地で生きる人々へ向けて、年若い少女達が歌い踊り、笑顔を振りまいて愛を語る……!
そう、アイドルとは今日の日本が立ち上がる原動力になったと言っても過言ではない!!
長きにわたる戦いの日々!
人々は芸能を忘れ、欲しがりません勝つまではと謳って餓え続ける!
最早なぜ戦っていたのかすら分からず、命を燃やして敵を葬れとっ、狂乱のままに突き進んで来た!!
それを癒しっ、支えっ、導いて来たのがアイドルなのだ!!
ならばこの戦乱続く異世界にも、アイドルの光が必要だ!!
かつて夢見た希望の果て、推しアイドル(十六歳)の妊娠スキャンダルという悪夢に堕ちて世を儚み、有り金全てを戦争孤児支援団体へ寄付して空を舞った一人の青年がッッ、今再びこの世界に光を齎すのだ!!
世界はっ!
アイドルを求めている!!
※ ※ ※
「――――ィいかがですか議長殿!?」
分厚い瓶底のような眼鏡の奥から、血走った目をして語り掛ける青年に対し、老齢の議長は髭をさすりながら息を落とす。
「さっぱり分からん」
「可愛いでしょう……!?」
「あぁ、可愛かった」
「癒されませんか。愛くるしさに胸がときめき、己の全てを懸けてでも推したいと思いませんか!?」
「君のその情熱は素晴らしいと思う。そうだな、儂にも孫が居るからな、気持ちは良く分かる。あんな風に笑い掛けてくれた子も、最近じゃあ異大陸語で良く分からんことを喋り、金をせびりに来る。懐かしぃなあ、儂の可愛い孫。早くひ孫が欲しい」
「何を仰っているのですかっ。今そこに、アナタの愛を受け止めてくれる『アイドル』が居るのですよ……!?」
「そもそも彼女はなんだ」
「私の妹です。およそ十年間、私の知る限りのアイドルについての技能を全て叩き込みました。無論彼女も望んでくれています。そうでなければ今のステージは成立しなかったことでしょうっ」
「すてーじ……また若者はそうやって異大陸語で……。だがしかし、あぁ、すてーじは素晴らしかったが、それと君の言う未来がどう繋がる?」
老人の問い掛けに青年はしかたないなと首を振った。
老兵は去り行く者。
最新の世界からは置いて行かれてしまうのが運命だ。
けれど、時にアイドルはそれすら救い上げてしまうと彼は知っている。
そう、中年以降の寂しさを知った男ほど、アイドルへハマりこんでしまうのだから。
故に彼は議場の中央へ躍り出る。そこでは精一杯のパフォーマンスを終えた妹が頬を紅潮させ、額から汗を流し、肩を揺らしている。
一言二言、言葉が交わされた。
それだけで彼女は満たされたように微笑み、光の中から身を引いて行く。
どこかから惜しむような声が出た。
そうなるのを確信していたかのように男はにちゃりと笑い、手を広げた。
「ご清聴ありがとうございました。アンコールをお望みでしたら、後程拍手と共に彼女を呼んであげて下さい。ですがその前に、私としてもアイドルを脇に下げての演説など
反乱を起こし、元老院議場にまで乗り込んで、アイドルというものを示した。
ここまでやって分からないのだから、彼らは余程凝り固まっていたのだろうと青年は憐れみを覚える。
それほどまでに人心は荒廃していた。
あくまで個人の思想なので合っているかは知らないが。
席へ戻った議長が問うてくる。
「貴様の名は」
「ふふふ……私の名など些末なこと。ですが敢えて、P、とだけ」
「ピィ? 変わった名だ。それでピィ、貴様は我々にどんな未来を示そうというのか」
「決まっています!!」
手を打ち、改めて腕を広げて示す。
全方位から一点に向けて照らされていた壇上、その光がゆっくりと広げられ、現れるのは先ほどの少女。
アイドル。
人々に希望を齎す者。
そう。
それこそが始まりであり、全て。
「この戦乱っ、我が国は『アイドル』による文化勝利を目指すのです……!!」
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