第32話 Lv.1は会社を辞める
「いよいよ今日だね!」
「……あの、エリィさん?」
「ん、どした壱郎くん? ちょっと怖くなってきちゃった?」
「そういうわけじゃないんだが」
「じゃあもっと気合の入った顔しないと! 今日で会社を辞めるんだから!」
「いやそうじゃなくて」
月曜日、いよいよ壱郎が退職届を出す日。
なぜか早朝からエリィが壱郎の家に訪れていた。
「エリィさん……どうしてここに?」
「やだなぁ、これから壱郎くんと一緒に動くこととなるんだから。お見送りは当たり前じゃん」
「家はどうやって入ったの?」
「百合葉ちゃんから借りたんだよ」
「うちの家の鍵は共有物か何かなの?」
いまいち釈然としない壱郎だが、エリィのことは信用してるので特に言及しないでおく。
「それにしても……意外だね」
「何が?」
「壱郎くんがあっさり辞める決意をしてくれたこと。もっと迷うかと思った」
「あー……」
エリィの疑問に壱郎は納得する。
「元々フリーランスで冒険者職ができることは視野に入れたからな。ただ、どうしても募集要項のレベルに引っかかって、始めることが出来なかったから……」
「あー……」
今度はエリィが壱郎の意見に納得した。
Lv.1ならではの悩み。
現代はレベル格差社会。転職しようにも壱郎のレベルで雇ってくれる企業などいないから、今まで辞めることができなかったのだろう。
「でも、エリィさんと出会ってよかったよ。パーティーでフリーランスとして活動しながら動画配信もできる。俺ができる選択肢が増えたから、辞める決心は早かったんだ」
「おっと、フリーランスの道も意外と厳しいよぉ? 会社と違って完全実力主義の世界なんだし、安定させるには頑張らなくちゃっ」
「うん、それはわかってるよ」
なんて注意をかけるエリーに壱郎は苦笑する。
「でも……会社を辞めて不安っていうのは、正直あるかな」
「ん?」
「エリィさんは認めてくれた、リスナーのみんなも評価してくれた。その実績は嬉しいけど……俺が本当に世間で通じるのか、不安ではあるんだ」
「…………」
『Sランクモンスターをワンパンできる人が何を言ってるのだろうか』だとか『そもそも壱郎くん以上の実力を持ってる人なんてそうそういないよ』だとか。
普段ならそういうツッコミを入れるところだったが……今、彼が求めている回答はそうじゃないのだろう。
「――大丈夫だよ」
エリィは拳を握ると、優しく壱郎の胸に当てる。
「例え誰も認めてなくても、私が認めてる。壱郎くんはもっと自信を持っていいんだ」
「…………」
なんて不敵な笑みを浮かべるエリィ。
その笑顔を見た壱郎は――照れくさそうに笑った。
「ありがとう。エリィさんのそういうところ、好きだよ」
「――んにゃっ」
「……ん? どうした」
「いや……あんまそういう発言すんなし。反則」
「えっ、反則? ……なにが?」
きょとんとした彼の言い方。本心を言ってるのだろうが……自覚はないのだろう。
徐々に顔が熱くなってきたのを感じたエリィは、「そ、そうそうっ」と気持ちと話題を切り替えるかのようにポンと手を打った。
「これもつけなくちゃねっ!」
「……なんだこれ?」
と彼女がそそくさと取り出したのは……銀色のピン止め。
「ネクタイピンだよ。やっぱり社会人たるもの、身だしなみはきちんとしておかなくちゃ! これ、私からのお守りだと思って!」
「いや、別にネクタイピンしなくても身だしなみがきちんとしてないってわけじゃないと思うんだが……?」
「そんなの関係ないない。今日で最後の出勤なんだから」
「……えーっと、エリィさん。今日退職届を出すからって、すぐには辞められないぞ?」
正社員は退職日の2週間前までに申し出る必要がある。これは法律で決まっていることなのだ。
エリィはそれでも頷く。
「もちろん知ってるよ。でも欠勤しちゃえばいいじゃん。本人の意思を無視して強制労働させることはできないでしょ?」
「それはまあ、そうなんだが……認めてくれるかなぁ?」
相手は壱郎を道具のように扱ってきた会社。事がそんな簡単に済むとは思えないのだ。
だが、それでもエリィの表情は崩れなかった。
「あー、そこは心配しなくていいよ。きっとなんとかなるから」
「なんとかなる……?」
「おっと、もう出勤の時間じゃないかな? とりあえずいってらっしゃい!」
「あ、あぁ……いってきます」
エリィの意味深な発言が気になったが……時間となってしまった壱郎は、靴を履いて玄関のドアを開けた。
***
本日は会社の全体集会が行われる日である。
普段は現地で出退勤する『株式会社BlackLuck』だが……月に一度『朝礼報告会』というものが存在しているのだ。
正直、壱郎はこの報告会が嫌いだ。というのも、黒崎が取りまとめてる点で何か問題が起こると、ほぼ全て壱郎のせいにされてしまうのだから。
――今日はなにも起こらないといいけど。
「おう、山田!」
なんて思っていれば。
後ろから声をかけてきたのは……小太りの中年の男、黒崎だ。
「おはようございます」
「今日の集会は、なにかやらかしが発覚しないといいなぁ? えぇ?」
なんて言いながら、ニヤニヤとした目つきで壱郎のことを見てくる。
――今日の部長はなんか上機嫌だな?
なにか企んでそうな顔に少し違和感を覚えつつも、壱郎は本社ビル1階にある事務所へ向かうことにした。
だが……彼が何を考えていたのか、すぐわかることになる
「さて――先月の間で、重大な問題が発覚してしまいました」
そう切り出したのは社長の
悲しそうな表情でチラリと壱郎の方を見る。
「一人の社員が動画投稿サイトにて、無断で副業を始めたそうです」
――なるほど、そういうことか。
その一言で、壱郎は黒崎が上機嫌だった意味を察した。
「うちの会社は副業を禁止していませんが……報告はしなければなりません。社会人たるもの、報連相を怠るなど言語道断――そうですよね? Lv.1の山田壱郎くん?」
『Lv.1』という部分を強調されながら社長に名指しされ、全社員が一斉に壱郎の方を見る。
特に黒崎は『ざまあみろ』という風な目を向けているかのようだ。
壱郎は小さなため息をつくと、黙って引村の方まで向かっていく。
「なにか言いたいことでもあるのかな? Lv.1の山田壱郎くん?」
「はい。社長は先程『副業』とおっしゃいましたが、自分はただ動画投稿サイトでの配信に出演しただけであり、収入はいただいてません。つまり、趣味の範囲内です。そもそも副業とみなされる定義は――」
「あーダメダメ。それがダメなんだよ」
やや胸が熱くなるのを感じながら壱郎が主張を言い終わらないうちに、引村が口を挟んだ。
「例え収入を得てなかったとしても、その可能性があるのなら、報告はしなくちゃならないのだよ」
「……そもそも趣味の範囲だとしたら、どうするんです?」
反論してみる壱郎だが、相手は「はっはっは」と高笑いするのみ。
「君はなにか誤解してるようだね。君、レベルはいくつだっけ?」
「……1です」
「そう、Lv.1! 今時の幼稚園児なんかよりもずぅーっと下のLv.1だ! そんな『社会の最底辺』と呼んでも過言ではない君に、そんな発言権があるとでも思ってるのかね?」
「…………」
明らかに常軌を逸した引村の発言だが……誰も咎めようとしない。
何故なら言われてる対象がLv.1の山田壱郎だから。
これくらい言われても仕方ないだろう――と、全社員がそう思っているのだ。
「ですが」
「――黙れよ」
だんだん胸が熱くなっていくのを感じながら、それでも冷静に続けようとする壱郎へ突きつけられたのは――懐から出された短剣。
「発言権はない――そう言っただろ? Lv.1なんてなんの役にも立たんゴミを雇ってやってんだよ、こっちは。お前はただ黙って従っていればいいんだよ」
「……そうですか」
今までの壱郎だったら、この理不尽な発言に耐えてきた。誰も助けようとしなかったし、『これは仕方ないこと。こうしないと生きる術がない』と己の運命を受け入れてきたからだ。
でも、今は。
――壱郎くんはもっと自信を持っていいんだ。
「なら、もういいです」
「……はあ?」
壱郎はジャケットの内ポケットから一枚の封筒を出す。
その封筒に大きく書かれていたのは――『退職届』の文字。
「これまで耐えてきましたが……もう限界です。本日限りで、会社を辞めさせていただきます」
「…………」
ハッキリと告げる壱郎の発言に、全員がポカンと口を開けていた。
「……はっはっはっはっは!」
そんな中、引村は笑い出した。
「退職ぅ? 君がぁ? 君、この仕事辞めて、どうする気だい?」
「フリーランスとして働きます」
「……ぶふぅっ!」
真面目な壱郎の回答を聞き、真っ先に吹き出したのは黒崎だ。
「ひーっひっひ……フ、フ、フリーランス……フリーランスだってよっ! 面白い冗談だな! Lv.1がフリーランスって、どこが受け入れてくれるんだよ!? あいつ、現実見えてないんじゃねぇ!? なぁ!」
と思いっきりバカにする黒崎につられ、周囲の社員もくすくすと笑い出す。
「こらこら。みんなの方が絶対正しいのは理解してるが、そんなこと言っちゃダメだぞ?」
「…………」
「なんだね、その目は。あれでも親切心で言ってくれているのだよ。君みたいな社会のことをなぁーんにもわかってないバカな連中は落ちぶれる未来しかないんだ――辛いからって逃げるんじゃねぇよ、おい。全部Lv.1のお前が悪いんだろうが」
引村はそう言うと――壱郎の目の前で、退職届の封筒ごとビリビリに引き裂いた。
「……だとしても。そうだとしても」
――信じてくれる人はいる。
と壱郎が続けようとしたところで。
突然、事務所のドアが開いた。
「「――失礼しまーす!」」
……なんて、場違いすぎる元気のいい声と共に。
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