第35話 空の姉の写真集
「ちょっと待ってて」
空をリビングに残して、俺は自分の部屋へ行った。
机の引き出しの鍵を開け、「サンクチュアリ」を取り出した。
空の姉の裸の写真集。
乳房がはっきりと写っている表紙。美しい広葉樹林で撮影された芸術的な雰囲気のある写真だが、ヌードにはちがいない。
とても刺激的だ。
これを本当に空に見せていいのか、と躊躇した。
彼女は驚くにちがいない。
空にそっくりな女の人のヌード写真集を俺が持っていたと知られるのも、猛烈に恥ずかしい。
でも、もう避けようがない。
彼女は俺の秘密をものすごく知りたがっていて、俺は「教えるよ」と言ってしまった。
「サンクチュアリ」を握りしめ、覚悟を決めた。
空に見せるしかない。
俺は緊張しながら、階段を下りた。
空は食卓についたまま、近づいていく俺を見つめていた。
「ヌード写真集なんだよ。これをきみに見せるのは、とても恥ずかしい」
「男の子がそういうのを持っているのは、ふつうのことでしょう? わたし、別に気にしないわよ」
「特別な写真集なんだ。きっと驚くと思う。見なかった方がよかったときみは思うかもしれない。もう一度訊くけれど、それでも見たいかい?」
「見たいわ。そこまで言われて、見ないという選択肢はない。見せて」
俺は空に彼女の姉のヌード写真集を渡した。
表紙を見た瞬間、空は「えっ?」と声を出して、穴が開くほどモデルを凝視した。
左目の下のほくろに気づいたはずだ。
「これ……お姉ちゃんだ……」
彼女の声は震え、かすれていた。
「え、なんで、お姉ちゃんが裸になっているの……?」
俺は黙っていた。
やはり空はこの写真集のことを知らなかったのだ。
かなりショックを受けているようだ。
「どうして冬樹がこんなものを持っているの……?」
「俺は本屋さんで買っただけだよ」
空は顔を真っ赤にして、俺を睨んだ。
「いやらしいよ、冬樹! お姉ちゃんの裸の写真を持っているなんて! わたしに……そっくりなのよ!」
「そんなことを言われるんじゃないかと思った。だから見せたくなかったんだ」
「こんなの嫌。こんな写真を冬樹が持っているのは本当に嫌」
空は写真集をテーブルに叩きつけた。
俺は彼女の剣幕に一瞬ひるんだ。でも、ここで口ごもってはいけない。勇気を振り絞った。
「空と交流がなくなっていたときに、この写真集を見つけたんだ。買わずにはいられなかった」
俺はできるだけ正直に話した。
「空とほとんど話せなくなって、寂しかった。俺たちはもう子どもじゃないんだから、しかたがないと思って、あきらめていた。そんなとき、書店でこれを見かけた。空だ、と思ったよ。空に似た女の人の裸を、そのときの俺はどうしても欲しくなってしまったんだ。衝動的に買った」
「わたしと話せなくて、寂しかったの?」
空の口調から険しさがなくなった。
「ああ、寂しかったよ」
「そっか……」
彼女はこわばっていた表情を、ふっと緩めた。
それから微かに笑って、俺の顔をじっと見た。
「わかった。この本をあなたが買ったことについては、もう非難しないわ。男の子ならそういうこともあるでしょう。わたしの裸の写真、欲しかったのね?」
「きみの裸じゃない」
「ほとんどわたしの裸みたいなものよ。しょうがないなあ、冬樹は。いやらしいんだから」
すごく不機嫌だったのに、なんで少し嬉しそうになっているんだ?
「はあ~、もう冬樹のことはいいわ。それより問題は、お姉ちゃんの裸の写真集がこの世に存在していることよ」
空は写真集をめくった。
「ヤバいわね、これ。うちの親には見せられない」
「やっぱりそう?」
「もちろんよ。お父さんもお母さんも真面目な常識人なんだから。娘のヌード写真集なんて見たら、卒倒すると思う」
「どうしてお姉さんがこんなことになっているんだと思う?」
「そうねえ……」
彼女は「サンクチュアリ」を食卓の上に置いて、頬杖をした。
「お姉ちゃんの境遇を想像することはできるわ」
空は語った。
彼女の姉は相当な優等生で、中学3年のときには生徒会長までつとめた。学業はいつもトップクラスだった。
しかし彼女には、勉強以上に傾倒しているものがあった。
絵だ。
中学、高校と美術部に所属し、熱心に絵を描いていた。
高校在学中に将来は絵を描いて生きていきたいと強く思うようになった。
進路を美術大学に絞った。
それが父親との対立の始まり。
絵なんかでは食っていけないと父は決めつけ、それ以外の進路を姉に強いようとした。
空の姉は折れなかった。どうしても美大へ行きたいと言いつづけた。
対立は解消せず、ついに父は美大へ行きたければ自力で行けと言い放った。
そして姉は家を出て、美大に合格した。
空は憂鬱そうにしゃべった。
「お姉ちゃんはいま、ひとり暮らしをして、奨学金で学費を払い、バイトで自活しているの。実家からの援助はまったくないわ。お金で苦労していると思う。どうしてこんな写真集を出したのかは想像するしかないけれど、もしかしたら手っ取り早くお金を稼ぐ方法だったのかもしれないわ」
空は姉の写真集に目を落とし、ため息をついた。
「これ、他の誰にも見せないでね、絶対に」
「サンクチュアリ」のことは、俺と空の共通の秘密になった。
カノン写真集のときと同じなりゆきだ。
俺と幼馴染の秘密がひとつ増えた。
その後、俺と空は一緒に夕ごはんを食べた。
「明日は始業式ね。同じクラスになれるかな……」と彼女はつぶやいた。
「どうだろう。なれるといいね」と俺は答えた。
空は食後に洗い物をしてくれた。俺もやろうとしたのだが、いいからと言って、彼女はひとりで洗った。
そして隣の家に帰った。
春休みが終わろうとしている。
ふたりの幼馴染と過ごした濃密な時間。
空とあかりちゃんは交互に家に来て、俺の世話を焼いてくれた。
心地よい時間だった。
俺は彼女たちが好きだ。
彼女たちも俺に好意を持ってくれているのだろう。
その好意が友情なのか恋愛なのかはわからない。
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