呪われた姫神 その20
「有里香について―――ですか?」
イーリスと共に戻ってきた由里香がきょとんとした顔で訊ね返した。
「唐突に―――何ですか?」
「いや。いままで気にもしなかったが、どんな人物か把握しておきたい」
「今更?」
口にした後、由里香は思わず口を閉じた。
「そうだ。今更だ」
由忠は表情を変えずに答えた。
「我々の敵はあくまで倉橋分家、目的は綾乃ちゃんの奪還。それだけだった。分家には体面上、本家への敵対の意志は示したが、まともに相手をするつもりはない。」
「あくまで儀式を阻害させる……ただ、それだけと?」
「―――血を分けた妹と殺し合うつもりか?」
「いえ、それは」
「そうなれば後味が悪すぎる。本家の儀式が本来の意味では失敗し、形だけでも成立させておけばよいのだ。儀式の成立をもって本家は正統な継承者として亜里砂を立て、分家は求心力を失う。―――あくまで綾乃ちゃんを使う分家の儀式だけは阻止する。それで良い」
「?由忠さん?分家とは、既に手打ちをされたのでは?」
「私が介入しない、それを認めさせただけだ。他は知らん」
「よかった」由里香はほっと胸をなで下ろした。
「悠理君から、賄賂受け取ったって聞いた時は、どうやって由忠さんを殺そうかと思ってたんですけど。手間が省けましたわ」
「―――昭博」ジロッと昭博を睨む由忠だが、「人妻ですから」と、昭博は涼しい顔だ。 「しかも悠理!」
「何です?」
「お前、どこで知った!?」
「―――神社関係者全員知ってるんじゃないですか?水瀬家の当主が、分家当主に難癖つけた挙げ句、なけなしのお金分捕って、何だか悪どいことしでかすつもりだって」
「あ、あんの野郎っ……!!!」
震える声を隠そうともせず、由忠は刀を掴んだ。
「由忠さん?ここは堪え時ですよ?」
「ゆ、悠理……か、構わん。あの当主、必ず殺せ……」
「金塊、半分分けてくださったら」
「アレは家の建て直しに使う金だ!」
「えっ?また立て替えるんですか?家、新築したの、半年前ですよ?」
「うっ、うるさい!気に入らないからだっ!」
「―――この事件終わったら、見に行っていいですか?」
「ダメだダメだ!いいか!年内に帰って来ることは、絶対に許さんっ!」
「?」きょとんとして父親を見る水瀬。
「と、とにかくだ」
その視線を避けるように、由忠は大げさに咳をしてから続けた。
「とにかく、事態がここに来て、ようやく気づいただけだ。敵はもっと別にいるとな」
「敵?由忠さんは、有里香も敵だと?」
「娘が殺されかかった親のセリフとも思えないな」
「そ、それはそう、ですけど……」
由里香は言葉を詰まらせて俯いた。
これまでの事態は現実として認めよう。
だが、心のどこかで、妹が自分の娘を殺そうとしていることを認めたくないのだ。
あくまで本家の一部の暴走。
そう思いたいのだ。
「本家の意図が読めないんだ」
「?」
由忠の一言に由里香は顔を上げた。
「失敗する儀式は、あくまで形式的なものでしかない。それは、当主たる有里香にはわかっているはずだ。それに加えて、何故、成功する可能性が高い分家の儀式を放置している?もし、分家が成功すれば、本家が傾くだけでは済まんぞ?」
「はぁ……?」
由里香は由忠の言葉を頭の中でかみ砕いて理解しようとして、気づいた。
「そう、いわれれば」
「だから、当主の考えが、その人となりが知りたいのだ。由里香は、姉としてどう見る?」
「……」
由里香は、言葉に詰まった。
血を分けた大切な妹だ。
それを“敵”としてどう見るか、それを聞かれている。
「有里香は、妹は……昔は優しい娘で、私には自慢の妹でした」
由里香は、絞り出すように続けた。
「小鳥が好きで、熱心に餌をあげて喜ぶような娘でした。修行も私よりずっと熱心で、出来の良い娘でした」
「で、悠理。今の評価は?」
「その……」水瀬は、ちらりと由里香を見た後、言った。
「はっきりいって、芳しくありません。冷酷で、人を権威と恐怖で牽引するようなタイプ。金と力のためなら、人を殺すことも厭わないだろうと、周囲の評価は驚くほど低いです。しかも、自分の子供を含む、周囲への暴力は日常茶飯事と」
「昭博、補足することは?」
「―――まぁ、ありませんね」
昭博も浮かない顔だ。
「小さい頃は、本当に可愛い娘でした。よく一緒に遊んだものです。今でも信じられません。あれほどの娘が、どうしてこうも人望を失ったか、聞き込む度に驚かされました」
「……慈愛に満ちた娘が、なぜ、そこまで変わったものか」
「―――修行のため、親元を離されたのが、そもそものきっかけかもしれません」
俯いたままの由里香は言った。
「何があったのかは、存じませんが」
「修行?実家の神社でやれば良いではないか。この馬鹿息子も、騎士修行こそ他でやらせたが、神主修行はうちでやったぞ?」
「僕、お父さんから何一つ教えてもらったこと、ないですけど?」
ボカッ
またも由忠の一撃が水瀬の脳天に炸裂した。
「本当のことなのにぃ!」
「やかましいっ!」
「無理はないのです」
由里香は、親子のそれを見ないフリをしてやり過ごした。
「既に母の心は、長女である私に跡を取らせることで決まっていたのでしょう。一子相伝の倉橋の儀式、継ぎもしない者に、例えそれが娘でも、教えるつもりが、母には無かったのです」
「で?有里香が修行に出されたのは?」
「10歳の頃でした。友達と離れたくないと泣いていましたが……場所は、よくは知らないのです。ただ、遠くの神社で、静御前を祀っている神社だと」
「静御前?」
「はい。あの“静や静”の、あの静御前です」
「ん?―――待てよ?その歳いうことは……おや?」
ピクッ。由忠の眉が動いた。
「どうしたのです?」
「ああ。そうか……あの神社……あの巫女か」
何かを思いだしたように、考え込む由忠。
「ご存じで?」
冷めたお茶を乱暴に飲み干した由忠が語り出した。
あれはまだ、オヤジが、年甲斐もなく左翼大隊筆頭騎士やっていた頃だ。
A県の神社で第三種事件が発生、近衛から数名の魔法騎士が派遣され、返り討ちにあった事件があった。
事を重く見た近衛から派遣されたのが、俺とオヤジだ。
現地に到着して理由がすぐにわかったよ。
その神社、確かに名は全国的に知られていたし、人は多いものの、祭祀はいい加減。
あれじゃ、やってないのと同じだ。
神社の聖域は低級霊に汚染され、神社の連中はその低級霊を神霊だと思いこむ、それがさらに低級霊を呼び込むという、よくある悪循環に陥っていたわけだ。
“そいつ”は、よっぽどアタマに来たのか、片っ端から低級霊や人間を取り込んで力を取り戻そうとしていた。
気づいた俺達は、即座に阻止と封印に動いた。
ところが、神社の人間が、俺達に反対したおかげで、結局は“そいつ”を取り逃がす結果に陥った。
結局、現在に至るも“そいつ”の所在は不明。
近衛の判定は、“そいつ”の出自からして、危険レベルAAA。つまり、かなり厄介な相手ということだ。
―――まぁ、今考えれば、あの神社の連中も、その時は怨霊に動かされていたのかもしれないがな。
「“そいつ”って、静御前のことですか?」
「そうだ。そしてその時、巫女の一人として神社にいたのが、有里香だろう」
「―――手を出したんですか?」
ボカッ!!
「まだ13歳だったんだ!早すぎるわ!」
「そこまで知っているって……結局、狙っていたんじゃないですかぁ……大体、神社を敵に回したのって、巫女さんに手を出したことが原因ではないですよね?」
どうやら、水瀬の懸念は的中したらしい。
由忠は血相を変えて怒鳴った。
「ちょっと2.3人つまみ食いしただけだ!オヤジは神主の女房まで相手していたぞ!?」
「……もう、いいです」
「由忠さん……それはちょっと」あきれ顔の由里香
「いくらなんでも」と昭博
「人として、どうかと思いますが?」めまいを押さえるイーリス。
「と、とにかくだ!」
これ以上、人としての評価を下げたくない由忠は、咳払いをした後、続けた。
「それはいい!―――俺が手を出さなかったのは」
「ほらやっぱり狙ってた」
「悠理、黙れっ!―――あの歳で、あんな冷酷そうな女を、見たことがなかったからだ」
「冷酷?」
「ああ。心を閉ざし、憎悪に満ちた目をした巫女というのが俺の印象だ。周りの連中が目すら合わせないほどだぞ?だから覚えているんだ。どうすればあんな歳で、ああも冷たい人間になれるのか。とな」
それは、由里香が最後に見た、そして水瀬達の知る有里香そのものだ。
間違いであることを願っていた由里香の願いは、無惨にもうち砕かれた。
「……」
「つまり」水瀬がまとめるように言った。
「その、静御前の神社で、何かあったというのですね?」
「そう見るのが妥当だろうな」
「あの―――」
昭博が手を挙げて言った。
「本家と事を起こす前に、ちょっとお願いがあるんですけど」
●倉橋本家
「有里香様。祭壇の設置、浄化共に滞りなく進んでおります。このままですと、予定通り、明日夕方までには全ての準備が整います」
「うむ」
本家奥の部屋で巫女から恭しく告げられ、大仰に頷くのは、有里香だ。
亜里砂の部屋で見せた慈愛は、片鱗も感じさせることはない。
圧倒的な威圧感。近づくだけで殺されそうな殺気―――
それが、彼女という存在を構成していた。
「黒」
「お側に」
声はするが、気配はない。
いつものことだ。
「分家はどうした?」
「儀式を急襲します。目的は倉橋祐一の首」
「亜里砂を殺さんとしたあの愚か者の首、かならず我が前に届けよ」
「御心のままに」
「―――ふん」
パシンッ!
亜里砂の手にした扇子が人払いを告げ、その周りから人の気配が消えた。
「……」
灯明だけの暗い室内。
その中で、有里香は思案にふけった。
分家は黒に襲わせれば良い。
黒達、忍軍の力を投入すれば、それを阻止する力は、分家にはない。
分家の儀式は襲わせない。
儀式は成功して良いのだ。
いや。成功してもらわねばならない。
この女のためでも、この家のためでもない。
そう。
ただ、私のために。
パサッ
手を伸ばした途端、長い袖が音を立てた。
「?」
見ると、乱暴に丸められた紙があった。
自分が丸めた紙だ。
「―――馬鹿が」
有里香は自分の頬を撫でながら、侮蔑するように、唇の端をつり上げた。
「こんな手紙で、真実を告げようだと?―――有里香よ。お前は何年経っても、愚か者だ」
ポッ
軽い音がして、紙が一瞬のうちに炎に包まれた。
「この期に及んで、平穏を望むとは……」
勢いよく燃えた炎は、次第に勢いを失い、後には黒い炭が残るだけ。
「己の、この家への憎悪する願い、我がかなえてやるのだぞ?何を今更、追放した姉を頼るというのか?」
有里香は、楽しげに笑い出した。
「クックックッ……儀式は始まる。案ずるな。おのれら姉妹の娘達は、しっかり使ってやる。だから、安心しろ」
言い聞かせるような、それでいて勝ち誇った声が、暗い室内に響く。
「本家はこれで終わりだ」
有里香は、そう言って立ち上がると、衣擦れの音を引き連れて歩き出した。
「それがお前の願い。かなえてやるわ」
「亜里砂!亜里砂はどこ!?」
有里香は襖を開くと、大声で亜里砂を呼びつけた。
儀式まであと20時間を切った。
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