呪われた姫神 その5

 妊娠―――。



 女の幸せ。



 私にとっての恐怖。



 逃げ場はない―――。


 巫女として、社家の価値観の中で生きてきた私にとって、命の灯を消すという選択は、どうしてもとれなかった。



 

 妊娠したことを昭博さんの知られるのも、時間はかからなかった。


 突然襲ってきた悪阻。

 

 いくら鈍い昭博さんだって、さすがにわかってしまった。


 あの時の昭博さんの驚いた顔は、今でも忘れられない。


 私は、

 

 昭博さんの顔を見るのが、怖かった。


 昭博さんの言葉が、怖かった。


 昭博さんが、怖かった。


 私に出来たことは、アパートのトイレに逃げ込んで、なきじゃくるだけ。

 

 情けなかった。

 

 悲しかった。


 自分が許せなかった。



 だけど―――。



 「おめでとう」


 

 昭博さんは、ドア越しに、そういってくれた。


 「命を育むことって、僕はすごいことだと思うから。だから、今はおめでとうっていわせてもらうよ。本当に、おめでとう」

 

 「……で、でも」


 どうしても、いえなかった。


 ―――この子の父親がわからないなんて。


 ―――もしかしたら、人間ですらないかもしれないなんて。

 

 たった一人で世界に放り出された世間知らずの私を守ってくれ続けた昭博さんを完全に裏切ったようで―――。




 どれくらい時間が経ったろう。




 涙が出てこなくなるまで泣き続けた私に、昭博さんの口から出た言葉。





 それは、私の知らない真実。





 そして、受け入れざるを得ない現実。





 

 「経緯は、大体の所、お母さんから聞いている。大丈夫。代々の倉橋の巫女の中に、同じ経験した人、何人もいたらしいから」




 どういう、こと?



 

 儀式のせいで妊娠した巫女がいた?

 そんなこと、今まで一切、聞かされたことがない。

 あり得ない。

 いや、あってはならないことのはず。


 「……ごめん。儀式の後、御母様から教えていただいた。倉橋の巫女が力を得るための水月の儀、それには二通りの意味と目的があるって」


 昭博さんは語り出した。


 本当なら、儀式の後、新たな倉橋の巫女となった私が、先代の巫女から告げられる真実を。



 


 倉橋の巫女

 そして、玉依姫

 共通点は、


 女。


 命を育み、産み、育てる力を持つ存在。

 

 本来、水月の儀は、神降ろしの儀式ではなかった。


 神婚の儀式。


 巫女は、神と結婚し、その子を宿す。


 そのための儀式。


 それが、時を経るに従って変質し、神降ろしの儀式へと変化していった。


 神の子を宿す儀式を元にして、力だけを巫女に降ろす儀式へと―――。


 この変化によって、水月の儀は、二通りの意味を持つようになった。

 一つは、伝統的な神婚の儀式。

 もう一つが、神の力を巫女に降ろす儀式。


 いつしか、本来的な意味合いでの儀式はなくなった。


 それはすなわち、儀式は、本来的には邪道なものへと変化していったということ。


 元来が神聖極まりない神婚だ。

 

 婚儀を利己的な理由で行うことは、人同士の間でも、邪とされて当然なのだから、まして、神との間では、当然だ。


 そんな中でも、本来の意味で、儀式を全うできた巫女、神の力ではなく、その子を胎内に宿した巫女は、決して多くはないものの、確かに存在する。

 

 例えば、倉橋時深(くらはし・ときみ)を産んだ平安時代の巫女。

 彼女もまた、水月の儀によって子を宿した。

 そして、君も―――。

 

 「―――僕も、君を家から放逐すると聞いたときは怒ったよ。身重の娘に、なんてマネするんだって。でも、御母様は、むしろ、君を守るためにやむを得ずやったんだって、今ならわかる」

 「……どういう、ことです?」

 「多分、御母様は、倉橋の巫女として、君が子を宿したことがわかったそうだ。だからこそ、焦った。君と、その子を、どうやったら、守れるかって」

 「?」


 「その子を、周囲がどう見る?力のためなら、血族をも殺す連中が」


 「!!」

 「稀代の巫女、神の子と祭り上げ、その子をどうするかわかったものじゃない。それを御母様は防ごうとした。単に儀式を失敗した巫女の出来損ないとして、一族から放逐し、一族の目から君を外す。一族の目が、次なる巫女倉橋有里香へと移ることで、君は救われる」

 「……」


 「そういうことだって、御母様は言っている」


 「わ、私は……」


 「普通の価値観からすれば、儀式は血で穢れたことになる。だけど、血の穢れの中で人は生まれてくる。命を育むための儀式だよ?血で穢れるほど、あの儀式は軽くないし、御母様は言っていたよ?儀式が終了した時点で、君は血の穢れを浴びたって」


 「あ……あの……」

 驚くなという方が無理。

 「どこまで信じていいかすらわからないことだよ。僕だってそう思う。でも、生まれてくる子供は、そんなことが問題になるのかな?父親が誰かとか、そういうんじゃないよ。大切なのは、その子が、君の子だってことじゃないのか?」

 「で、でも……」

 「生まれてくる子供に罪はない。だから、きちんと育ててあげれば、生まれてくる理由なんて関係ないはずだよ?そりゃ、確かに、御母様の言葉は、僕自身、言われてはいそうですかって理解っていうか、納得できる内容じゃない。ただ、ただね?」

 

 しばらくの沈黙の後、昭博さんは、言いづらそうに、言葉を選んでいた。


 「御母様は、納得していたよ」

 

 「あの……こういうの、本当はオトコがいうもんじゃないって、思うけどね?もし、君が妊娠していたら、伝えて欲しいって、御母様から言われていることがあるんだ」


 「御母様が―――?」


 「いい子に育ててくれ。そして―――」


 「……」




 「愚かな母を、許してくれって……」



 

 私は、声を上げて泣いた。

 ドアを開け、昭博さんの腕の中で、泣き続けた。

 何一つ、何一つ孝行もせず、逆に母を恨み、そして二度と出会うこともなくなった私。

 そんな私が、今、母になろうとしている。

 それを、私は恐れている。

 命を育むことを、私は恐れている。

 私を育んでくれた母と同じ事を、私は恐れている。


 だめだ。


 私は、母の娘失格だ。


 ずっと、そう思っていた。


 きっと、そんな心すら、母はわかっているんだろう。

 わかった上で、私を励ましてくれている。

 そんな母の言葉が、私をふっきれさせてくれた。


 姿を見なくても


 声を聞かなくても


 きっと


 きっと、励ましてくれている。


 そんな、気がしたから。


 だから、母に申し訳なくて、私は泣いた。


 そして、決めた。


 倉橋の巫女、最後の勤め


 この子の母として、この子を産み、育てる。


 そう、決めた。



 この子が神の子でも

 

 例え、悪魔の子でも



 それでも、私の子


 倉橋の巫女の子だ。


 それでたくさんだ。


 私は、この子を産み、育てる。


 ただ、それだけなんだ。


 

 段々大きくなるお腹に喜びを感じながら、私はこの子が生まれてくる日を指折り数えて待った。



 昭博さんの先輩、水瀬さんが世話してくださった借家に移り住んだ私は、同じく身重の水瀬さんの奥さんと、どういう子が生まれてくるか。どう育てたいか。そればかりを話題にして、日々を過ごした。



 絶対、女の子にしたいの



 水瀬さんの奥さん―――遥香さんが力説すると、


 跡取りが欲しいんだが……


 と水瀬さん―――由忠さんが反対して、遥香さんに怒られる。


 ―産むのは私です!

 ―ってもなぁ……。


 どっちでもいいけど、元気な子がいい。


 昭博さんは、いつもそういいながら、「こういうの、いいかな」と、生まれてくる子供のために選ぶものは、女の子向けのものばかり。


 由忠さんと昭博さんが顔を合わせて真剣に悩んでいることといえば、生まれてくる子供達にどんな名前を付けるか。


 遥香さんは、「悠理」って名前にするって言い張っていたけっけ―――。



 そんなちょっとしたことが面白くて、楽しくて。

 人生で、こんなに幸せな時は、今までなかった位、幸せだった。



 

 私には、未来がある。




 そう、実感できたから―――。









 そして、15年前の7月9日午前11時23分








 私は、母になった。








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