何が原因!? その4

 「ふぅん……」

 深夜の深泥沼、沼のヘリに立っているのは水瀬だった。

 

 ―魔素の反応からいっても、魔族に近いけど、でも、この反応は……。


 目の前の真存在に対して、水瀬は正直、驚くと共に、軽い敬意すら感じていた。

 

 ぐちゃ。


 ぐちゃ。


 ぐちゃ。


 水瀬の耳に届くのは、先ほど彼女の餌食になった男の肉を喰らう音。

 

 それ自体に水瀬は何の関心も感じていない。

 この仲間はいつもそうだから。


 ずるり


 ぐちゃ


 ぐちゃ

 

 ぐちゃ


 腑を喰らい、肉を噛みちぎるのは、全裸の女。

 年の頃は水瀬と大して変わらないだろう。


 いや、女の姿をしたバケモノというべきか。


 女の額から突き出るもの

 

 それは、角―


 人ではあり得ない。

 ―――どうしたものかな。

 

 普通なら逃げ出したくなるような光景を目の当たりにしつつ、水瀬は判断に迷っていた。

 

 できることなら殺したくない。

 

 ―――よし


 何故か水瀬は、踵を返して闇の中へと消えていった。


 

 

 翌日 放課後


 「水瀬君」

 帰ろうとした皆瀬に声をかけてきたのは清花だった。

 「どう?」

 「うん。何とかなると思う。今日、深泥沼へ行って封印してみようと思っているんだ」

 「え?」

 きょとんとした顔の清花が言った。

 「知らなかったの?」

 「何を?」

 「今朝から、警察の調査のためにって、あの沼、水が抜かれているのよ?」

 「へ?」


 清花によると、沼は冬の時期には水が抜かれるそうだ。

 今回の殺人事件の証拠探しのため、時期を早めて今朝、水が抜かれたという。

 「知らないと思うけど、元々、あの沼って、半分くらい人工池だから、抜こうと思えば抜けるのよ」

 「―――ごめん鳴瀬さん、僕、行かなきゃ」


 水瀬が沼にたどり着いた時、すでに警察の鑑識が浅くなった沼に入って捜査している最中だった。

 

 「あれ?」

 水瀬は一瞬、昨日とはうって違った反応にとまどった。


 魔素の反応が、ない。

 つまり、あれは、沼にいない。


 「……」

 

 あたりを見回す。

 目に付いたのは、人が余裕でくぐれるほど大きな水門。

 「あの……すみません」

 水門の側にいた警察官に水瀬は知らん顔で訊ねた。

 「沼の水って、この水門を開いて抜いたんですか?」

 「ああ。そうだよ?今朝方開いたんだけど、お嬢ちゃんならそのまま流されちまう位の勢いで水が出てたよ?」

 「この水って、どこに流れているんですか?」

 「ああ。この水?運河だよ。市内を流れる運河」

 「……」

 「どうした?嬢ちゃん、顔が青いぞ?」

 「あ、いっ、いえ。ありがとうございました」

 

 ―まずいことになった。


 水瀬は慣れない手つきで携帯電話の短縮ボタンを押しながら自分の行動が軽率だったことを自覚していた。


 「あれ」は深泥沼にいる。

 深泥沼は孤立している。

 だから、「あれ」が深泥沼から出ることはない。

 

 そう考えていた。

 それが覆った。


 「あれ」はよりエサが多い場所へ移動した。

 あれが狩りを始めると……。




 その日の夜、水瀬の不安は的中することになる。


 

 


 


 水瀬達の住む葉月市は、昔から水運の街として知られている。

 市内の観光マップにも「運河の街」と歌われるほど、市内には運河が張り巡らされているが、今回、この水運の街故に危機が訪れることになる。



 水瀬の不安は的中した。

 「当たってうれしいのは宝くじ」が持論の水瀬にとってこれは頭の痛い問題だった。

 市内に縦横に張り巡らされた運河に運河に流れている下水道の総延長は数十キロでは決してきくはずがなく、目標とすべきがどこにいるのか、いくらなんでも把握することは困難を極める。とにかく出没範囲の絞り出しに水瀬は苦心することになった。

 

 そして、その間に犠牲者は確実に増えた。


 橋の下をねぐらにする浮浪者

 下水道の調査に入った作業員

 探検ごっこと称して下水道に入り込んだ子供

 

 警察に届けられただけで犠牲者は12名


 そして、捜査のため下水道に入り込んだ警察官すら戻らなかった。


 何かが水に潜んでいる―――


 口コミに噂が広まり、噂がパニックを呼ぶのに要した時間はわずか3日。

 深泥沼の水が抜かれてから1週間がすぎていた。


 「やっぱり、ダメかなぁ」

 清花の家でご飯を食べた後、意気消沈した清花のつぶやきをきいた水瀬が言った。

 「ううん。大体の所、行動範囲が絞られてきたんだ」

 「え?」

 「未亜ちゃんに手伝ってもらってね。出没した所っていうか、犠牲者が出た所を地図の上に書き出してもらったら―――ほら」

 水瀬がどこからか取りだした地図を開く。

 「市内の水路図だよ。未亜ちゃんがどこから仕入れてくれたかは知らないけど」

 広げられた地図の上には、赤い印がいくつも書き込まれているが、一見しただけでは、水瀬が何が言いたいのかわからない。

 「あのね?これは未亜ちゃんの大金星。アレが出る所は、一本に絞ることが出来るんだ」

 「そう。気づいた時は驚いたんだけどさぁ」

 近頃は清花の家で夕食を食べるのを日課にしている未亜が自信満々に言った。

 「ほら、この印の場所、必ずここから流れる水が入り込んでいるんだよ。で、反対に牛鬼は下水道の方には出ないんだよねぇ」

 未亜が「ここ」と指さしたのは

 「ウチの湧水!?」

 そう。水の発生場所は高田神社境内。

 つまり、清花の家。

 確かに、神社には古くから湧き水をたたえる小さな池がある。

 水量はそれほどではないにしても、その水が深沼池を経て、運河を通じて海へと流れている。

 「そ。ここから流れる水は深沼を通じて、4号運河に流れている。で、犠牲者もこの4号運河とその支流を中心に発生している。その証拠に、水質汚染で問題になっているとなりの6号運河には、犠牲者いないでしょ?」

 「つまり―――」

 ちらりと水瀬の横顔を見る清花は、水瀬の言葉を待った。

 「4号運河を調べれば、アレに出会えるってこと」

 「さすがだ!水瀬君!」

 清花の父が興奮気味に言った。

 「これでウチの不祥事も闇に消せるということか!」

 「ま、そういうことですね」

 「よし!では早急に頼むよ!でだ!」

 父は水瀬の手を握りしめた。

 「賞品は約束通りだから安心してくれ!いや、これはもう、あれだな!君の運命、そして責任なのだ!」

 「し、賞品?責任?」

 「そう!運命という責任をとる意味でも娘をよろしく頼む!事が終わった暁には、水瀬君、ぜひ!ぜひにも清花を君の嫁に―――」


 ガコンッ!!


 室内に鈍い音が響く。

 清花が飾ってあった招き猫を父の頭めがけて力任せに振り下ろしたからだ。

 「お父さん!」

 畳を突き破って床板にめり込んだ父をののしる清花。

 「―――ったく!娘をなんだと思って!」


 

 1時間後

 公園。

 運河を伝わる風がきもちいい。

 近頃、気分転換に散歩するのが綾乃の日課になっていた。

 トップアイドルがこんな時間に散歩だなんて知られれば騒ぎになるかも知れないが、夜風を身に纏う清々しさは、当分止められそうにない。

 ピロロロロッ

 携帯電話が不意に呼び出し音を鳴らす。

 未亜からだった。

 「はい。瀬戸です」

 『あ!綾乃ちゃん!?大変だよぉ!』

 「何ですか?」

 『清花ちゃんが水瀬君のお嫁さんになるんだよぉ!?』

 「はぁ?」

 『今、水瀬君が追いかけている事件、もうすぐ終わりそうなんだけどさ、それが終わったら、清花ちゃんのお父さんが「責任取って娘を嫁にもらってくれ」って!さっき大騒ぎになって』

 「……」

 メキメキメキメキ

 『もしもし綾乃ちゃん?』

 

 綾乃の頭の中では『綾乃ちゃんの妄想劇場』の幕が開いた。

 清花の父「水瀬君!娘をよろしく頼む」

 清花「悠理さん。幸せにしてくださいね」

 水瀬「任せてくださいお父さん!お嬢さんは必ず幸せにしてみせます!」

 

 場面が変わり二人の初夜

 恥ずかしそうに布団に座る清花と、それを抱きしめる水瀬

 清花「ふ、ふつつかものですが(赤面)」


      …自主規制により削除…

 

 事が進むに連れてプレイもエスカレートして、二人はいろんなトコであんなコトとかこんなコトとか……。

 

      …自主規制により削除…


 綾乃の頭の中では綾乃の知る限りの…自主規制…プレイが繰り返されていた。


 『水瀬君も清花ちゃんも、ホントはまんざらじゃないんじゃない?』


 グワシャッ!

 

 派手な音がして携帯電話が粉々に壊れた。


 というか、壊れたのは携帯電話ではなく、綾乃の方だったかもしれない。


 トップアイドルがどこからどうやってこんな知識を仕入れたのか、本気で聞きたくなるほどの18禁な光景が未だに綾乃の頭の中で繰り返されていたのだから。

 

 ――許せない。

浮気して、いやがる女の子を縄で縛ったり、三○木馬に乗せたり、むりやり浣○したり、ロウソクをたらすなんて……。 


  恥ずかしいけど、そういうことは、私にしてくれればいいのに。


 ……ちがう。


 そう。許せない。


 これだ。


 これは女の子として許すことが出来ない。

 これは羽山君のいう「ヤキモチ」じゃない。

 私はヤキモチなんて焼いていない。

 焼いているのは「正義の憎悪」だ。


 そう。

 これは「正義」なんだ。


 浮気は女の子への立派な犯罪行為。

 だから、悠理君は女の子の敵。

 そして、私の敵。


 悠理君という浮気者には天誅を喰らわせる必要がある。

 いや、私にはその義務がある。

 

 浮気者には死を!


 内心でそう叫んだ綾乃は、水瀬の家に向かって歩き始め、そして立ちふさがる者に止められた。


 立ちふさがる者。

 

 それは、

 

 牛鬼―――。


 運河からあがってきたのだろう牛鬼だったが、これはもう、牛鬼の不運としか言いようがない。

 牛鬼自身が目の前のエサの変貌ぶりに引いていた。


 「ギ……」


 「……」

 逆立つ髪と突き刺すような視線に凍り付く牛鬼。

 

 もし、牛鬼がそうでなければ、もしかしたら牛鬼は生き残れたかも知れない。多分。

 

 「―――わざわざ死ににきたのですか?鳴瀬さん」

 

 そう。

 牛鬼の顔は清花にそっくりだった。

 遠目から見れば、全裸の清花が立っているようにしか見えなかったろう。

 怒りに我を忘れかけている綾乃にとって、それは大した問題ではない。

 清花に似ている。

 それだけで万死に値する罪なのだから。


 「いい度胸です」

 その筋の方も黙って死んだふりするだろうドスの効いた声に、牛鬼は身動き一つとれなかった。

 「しかも全裸とは……私に対する挑戦ですか?」

 「ぎ、ぎぃ……?」

 脂汗を流す牛鬼。

 「そんなみだらな格好で街を歩くのも、悠理君の趣味だというのですね?悠理君に調教されたと、そして、自分の方が私より胸が大きいと自慢しにきたのですね!?」

 「ぎ……ぎぃっ!!!」

 ガッ

 綾乃は、逃げだそうとした牛鬼の首を、あろうことかわしづかみにした。

 メリメリ……

 「ギッ、ギィィィィィィィッ!!!!」

 いつの間にか伸びた爪が牛鬼の喉にめり込んでいく。

 「―――その無駄な度胸に敬意を表して、楽にしてあげます。

 安心してください。お葬式では、クラス代表として心にもない弔辞くらい読んであげますから」

 「ギィィィィィィ」

 「さようなら、鳴瀬さん」


 公園に鈍い音が響き渡った。



 それから10分後

 

 ―鬼女が出た。

 ―般若が道を歩いていた。


 警察にこういう110番通報が20件以上寄せられ、警視庁騎士警備部が出動する騒ぎが起きている中、自宅の布団の中で眠りにつこうとしていた水瀬は、室内に響き渡った警告音にたたき起こされた。


 セキュリティが不審者を感知したらしい。


 ――どうせどこかの不良達だろう。

 

 オバケ山探検に来たバカ程度に考えていた水瀬だったが、事態がそんなに甘くないことを知るのに時間はかからなかった。

 セキュリティシステムは不審者への警告を発しているのではない。

 警告はシステムそのものが攻撃を受けていることを知らせてきたのだ。

 特殊部隊向けに設置された爆発物、火器をものともせずシステムを破壊しつつこちらに進む者がいる。

 手並みは素人だが、破壊力はデタラメなまでにスゴい。


 ―誰だ?


 生き残ったセキュリティカメラが映し出した光景を見た途端、水瀬の心臓は、どこかへ逃亡してしまった。

 セキュリティシステムが映し出した映像には、素手で対人用ガドリング砲の砲身をひねり潰す女の姿が映し出されていた。

 逆立った髪、怒りに燃える目、視覚効果が入れば確実に角と牙が生えている。

 水瀬ですら、これを夜叉と般若とどちらに区分けすべきか本気で迷った。

 それほど凄まじい形相でこちらに進んでくる者―――。


 

 それは、綾乃だった。









 数分後、水瀬の寝室の障子が蹴破られ―――





 血の宴が始まった。





 関係者が現場に到着した時、すでにセキュリティシステムは完膚無きまでに破壊されており、家も建材がほとんど吹き飛ばされ、かろうじて礎石が残るだけだったという。

 捜索開始から半日たってガレキの下から発見された水瀬は、心身共に致命的なダメージを負っていたが、治療にあたった魔導師全員の共通した疑問は「なぜ生きているのか、それがわからない」という言葉でその程度が知れるだろう。

 

 水瀬に「天誅」を喰らわせたことで満足したのだろう、綾乃は全身に返り血を浴びたまま自宅に戻り、朝帰りの娘を出迎えた由里香を失神させ、昭博の腰を抜かしてのけた。


 数日後、水瀬の家の大家である宮内省から、被害に関する数億円にも及ぶ請求書がプロダクション経由で送りつけられてきた。

 そして、刑事事件としての立件すらちらつかせる宮内省にプロダクションが屈する形で綾乃に関するある契約が成立した。

 

 瀬戸綾乃が近衛兵団のイメージキャラクターを、向こう10年間ノーギャラで「快く」引き受けたことが芸能誌をにぎわせるのは、それから数日後のことである。


  

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