怪談話はお好きですか? その2

 美奈子は、目の前の現実を、ただ、呆然として見つめるしかなかった。

 いや、目の前の出来事が、「現実」か「虚実」か、その判断が出来ずにいた。

 という方が正しいだろう。


 人が壁から出てきて、しかもその足は宙に浮いている。

 そんなことはあり得ない。

 でも、目の前のこの人は?

 こんなのが現実なの?

 それとも、ワタシ、夢でも見ているの?


「桜井さん!」

 水瀬が美奈子を抱えるようにして床に伏せさせるのとほぼ同じタイミングで美奈子の頭があった場所を、何かが凄まじいスピードで突き抜けていった。

水瀬の行動が少しでも遅れていたら、美奈子の即死は避けられなかったろう。


 ガガンッ!!

 鈍い音がして、何かが壁に突き刺さる。

 「!!」

 水瀬が顔を上げた時、女の姿は消えていた。

  

 「大丈夫?」

 しばらくして、この部屋から女の気配が完全に消えていると判断した水瀬が、美奈子に声をかけた。

 水瀬に抱きかかえられたままの美奈子は、何故か顔を真っ赤にしてうつむいたままだ。

 そして、体は小刻みに震えている。

 「ケガしたの?怖かったの?」

 「……」

 「桜井さん……えっと、とりあえず立てる?」

 ぐいっ。

 「きゃん!」

 「?」

 抱えるようにして立ち上がった途端、突然、美奈子がヘンな声をあげた。

 「み、水瀬君……」

 「へ?」

 「て、……手を離して!」

 美奈子が赤面している理由はなんでもない(年頃の女の子にとっては大問題だが)

 水瀬が美奈子の胸をわしづかみにしていたから。

 ただそれだけ。


 だが、水瀬はそのことに全く気づいていない。

 ただ、抱えている美奈子からの「手を離して」という言葉のみに反応した。


 「え?はっ、はい」

 「−へっ?」

  

 ほとんど水瀬にかかえられていたのに近い状態の美奈子は、一瞬、宙に浮いた後、重力に身を任せ、そして……。


 ビタンッ!!


 いい音がして、美奈子は顔面から床に落ちた。

 「……」

 「あ」Σ(OдO‖

 呆然とする水瀬。

 

 「……」

 美奈子はうつぶせの状態のまま動かない。

 

 「さ、桜井さん?(^_^;)」

 

 「……」


 無言で顔に手をやる美奈子。その表情はうつぶせなので見えないものの、水瀬の目にはツノが生えてみえた。


 「あ、あの、桜井さん?これは事故であって、話せばわかるっていうか−」

 

 「……」


 ((((((((;゜Д゜))))))ガクガクブルブル 状態の水瀬は、必死に弁明しながらおもわず後ずさりしていた。

 「決して、故意だったというわけではなく、もしもし桜井さん、聞こえて−」

 「……」

 TVから抜け出した○子のごとく立ち上がった美奈子は、無言で水瀬の胸ぐらをつかみ−。

 ○田剛直伝と言われる美奈子のめりこみパンチが水瀬の顔面に炸裂してからの数分間、音楽室には水瀬の悲鳴がこだまし続けたという。


 

 「ほ、ホントに桜井さん、一般人?」

 凄惨な私刑の後、床に倒れ、あまつさえ頭を桜井に踏みつけられている水瀬。

 騎士、いや、魔法騎士としてのメンツもへったくれもない。

 常人の数十倍の身体能力を持つ騎士が一般の運動音痴の女の子にボコられるなど、あり得ない話だ。

 「反省してるの!?キミは!?」

 美奈子が思い切り体重をつま先にかけたので、水瀬の頭蓋骨が持ち主と一緒に悲鳴を上げる。

 「イタイイタイ!(>_<)桜井さん重いやめて!」

 「重いはよけい!」

 美奈子はついに水瀬の頭に乗せた片足だけで立った。

 「いたーーーーーい!!」たまらずに悲鳴を上げる水瀬。

 「反省してるのかって聞いてるの!」

 「してます!海より深く!心の底からぁ!」

 「人の胸までつかんで!」

 「気づかなかっただけだもん!」

 「それって、私の胸が小さいってこと!?」

 「そうともいうかも……」


 −美奈子の私刑再開。凄惨すぎるため自主規制に基づき削除−


 「今度やったら、瀬戸さんに言いつけるわよ!?」

 「うううっ……ごめんなさいごめんなさい。もうしません。絶対、もうしませんから、そればかりは……」

 「−まったく」

 水瀬を殴り続けたために砕けてもさらに殴り続けたため、脚だけになった椅子の残骸を放り投げると、美奈子はその場にへたり込んだ。

  

 水瀬君のことはいい。

 お昼一ヶ月に、高級ホテルのランチ&ディナー映画鑑賞付き50回を賠償としてせしめたから。

 取りあえず、目の前で泣いているこの子のことは無視しよう。

 問題は、あの女の人だ。


 あの女の人は、確かに存在していた。

 

 現実の存在だった。

 あり得ないけど、あり得た話。

 目の前で、たった今あった、本当の話。

 その証拠に−。

 

 「……」

 美奈子は、水瀬の襟首を掴んで立ち上がると、そのまま水瀬を引きずりつつ壁へむかって歩き出した。

 壁には、何かが刺さっている。

 「……かんざし?」

 そっと指で突いてみる。

 たしかに本物だ。

 飾り気のない朱塗りのかんざしが二本。

 「なんで……」

 「狙いは間違いなく、桜井さんだった」

 不意に水瀬が言った。

 さっきまでの死にかけ状態はどこへやら、普段通りの水瀬だ。

 美奈子の攻撃は、実は全く水瀬にダメージを与えていない。

 だが、美奈子にはそれに気づく余裕はなかった。

 

 狙う?

 私を?

 どうして?


 「ど、どういうこと?わ、ワタシ、誰かに恨まれてなんて」

 「理由はなんとなくわかるけど、でも、でもね」

 水瀬は立ち上がると、かんざしを壁から引き抜いて懐にしまいこんでから、美奈子に言った。

 

 「間違いなく、あの女の人は、桜井さんを殺そうとしていた」

 



 「えっ?」


 美奈子には、言葉の意味がわからなかった。


 「殺そうとしていた…って、どういうこと?」


 「言葉の通り」


 水瀬は床に転がっていた懐中電灯を掴むと、音楽室から出ようとして、美奈子に振り返った。

 「桜井さん、次はどこ?」

 「ち、ちょっと!質問に答えて!」

 「だから−」

 「私が何したっていうの!?そ、そりゃちょっと、友達に宿題見せなかったりとか、借りてたCD返しそこねたことはあっても、そこまで恨まれることなんて、私、何一つ−」

 「そう、だね」

 先ほどまでのあの私刑はなんだったんだ?という複雑な思いにかられ、水瀬は黙った。

 「確かに、桜井さんの方に、覚えはないかもしれない。でも」

 「でも?でも何?私、私本当に!」

 「向こうには覚えがあるんだ。きっと。だから」

 水瀬は桜井の袖を掴んだ。

 「行こう。怪談話のナゾを解けば、わかるはずだよ」

 水瀬にひっぱられる形で音楽室を後にする美奈子。

 「……」

 懐中電灯の灯りを頼りに真っ暗な廊下を進む水瀬の後ろ姿を見つめながら、美奈子はさっきの水瀬の言葉を頭の中で反芻していた。

 

 『向こうには覚えがある』

 ……私にはない。少なくても、オバケに恨まれるなんて。

 『行こう。怪談話のナゾを解けば、わかるはずだよ』

 ……そうかもしれない。怪談話の謎を解くって、それで私はここに来ている。

怪談話に関係があるのかもしれない。

 でも、このセリフどこかで−。


 廊下を進む中、不意に美奈子が吹き出した。

 「ど、どうしたの?」

 「ね、水瀬君」

 「何?

 「さっきのセリフ、先週のシャーロッグ・ポアロでいってなかった?」

 「う゛」立ち止まり、気まずそうに振り返る水瀬は、ちらりと美奈子をみると、恥ずかしそうに前を向いて、さっきより早足で歩き始めた。

 どうやら図星らしい。

 「ど、どうせボクはボキャブラリーがすくないですよぉだ!」

 (当てずっぽうだったんだけど、ホントだったんだ)

 美奈子は瓢箪から駒が出たことに驚きながらも、

 水瀬君らしい。

 と、不思議な安心感を覚えていた。

 かっこいいセリフは、かわいい水瀬君には似合わない。

 でも、こういうとき、精一杯背伸びするのも、また水瀬君だ。

 美奈子にとって、それこそが水瀬だったから。


 やっぱり来るんじゃなかった。


 幽霊の目撃場所に立ち入るたびに美奈子は心底後悔するハメになった。

 「きゃぁぁぁぁぁっ!!」

 「がんばってねー」

 「薄情者ぉぉ!」

 C棟の階段では、突然階段が真っ平らになった。

 登り終えようとしていた美奈子は、空中に浮いた水瀬に見守られながら悲鳴と共に踊り場まで滑り落ち、踊り場に置かれた段ボールの山にパンツ丸出し状態でめり込んだ。

 

 体育用具室では、バレーボールがもう一歩で顔面を直撃するところだった。

 水瀬が突き飛ばして直撃は避けられたが、突っ込んだ先は腐ったようなにおいのするマットの中だった。


 家庭科室では、どこからか飛んできた針と糸に襲われ、水瀬の目の前でシャツのボタンとブラジャーのホックを一瞬のうちに外された。

 生まれて初めて男に肌をさらした美奈子だが……。

 その一大事を、「風邪引くよ?」の一言で切り捨てられた。

 完全に理性を失ってハサミを振り回す美奈子に追いかけられるように水瀬は次の現場へと向かった。


 部室棟では

 「へえ」

 突然、水瀬が桜井にヘルメットをかぶらせた。

 「何?」

 「ううん。いいコントロールしてるから」

 「へ?」

 ガンッ

 鈍い音がした途端、美奈子の瞼の裏で星が飛んだ。

 ガランッという音がして、美奈子の頭から何かが落ちた。

 タライ。

 そう。ユニフォームを洗うのに使う金属製の、あのタライだ。

 「……そういえば、今日、七夕だったね」

 「ほ、星が巡り会ったわよ。瞼の裏で」

 「よかったね」


 美奈子のめりこみパンチ、本日二度目の炸裂。 


 「……で、次が美術室の」

 プルルップルルッ

 美奈子の携帯電話が鳴り出した。

 未亜からだった。

 美奈子は、携帯片手でなにかあったことを恐れ、ハンズフリーで未亜相手に怒りのガチンコ会話を開始した。

 『やっほー!美奈子ちゃん。元気ぃ?』

 緊迫感のない未亜の声に美奈子は思わず脱力する。

 「なわけないでしょ!?あんた、私がどんなメに−」

 『え?ええっ?』

 「痛いし恥ずかしいし、本当にヒドイ目にあったんだから!?」

 『へぇ〜っ』

 含むところがある未亜の声色に、美奈子は自然と警戒した。

 「な、なによ?本当よ!?本当に−」

 『水瀬君、結構キチクだったんだぁ』

 「はぁ?」

 『だってさ。真っ暗な中でオトコとオンナがいるわけだしぃ、スることは一つだよねぇ』

 「なっ、何いって−」

 未亜が何をいいたいのか、美奈子にもわかった。

 『美奈子ちゃん、初めてだったんでしょ?それなのに、水瀬君ひどいよねぇ』

 一瞬、そういう場面を想像してしまった美奈子の顔が首まで赤くなった。

 『ねねね、美奈子ちゃん、そのコト、後でくわ〜しくおしえてね(はーと)』

 「何いってるのよ未亜!いったい誰のせいで−きゃっ!」


 ガツンッ


 突然、美奈子は後ろにおし倒された。

 空中を舞う中で、美奈子は自分が立っていた場所の真上にあった防火シャッターがあり得ないスピードで降りてくるのを、たしかに見た。

 「くうっ!」

 背中をうったのでマトモに息が出来ない。

 「あっ……はぁはぁ……み、みなせ……くん」

 苦しい息の中、周囲を確認する。

 美奈子は覆い被さっている水瀬に抱きしめられる形で床に倒れていた。

 音楽室の時ともそうだが、今日はよく押し倒される日だ。

 「み、水瀬君、いっ痛い」


 『お、おお!!!?』


 「がまんして。すぐよくなるから」


 『お、おおおおおおおっっっ!!!?』


 なぜか大興奮の未亜の声。

 しかし、それを一々気にしていられる状況に、美奈子はなかった。

 というか、耳に付けたスピーカーが押し倒されたショックで外れたため、美奈子の耳にはほとんどきこえていなかった。

 「はぁ……はぁ……」

 ようやく呼吸が戻る。

 「大丈夫?」

 「うん。大丈夫。もう痛くない」

 「じゃ、いくよ」

 立ち上がって美奈子の手をとる水瀬。

 「うん」

 美奈子は安堵の表情を浮かべて水瀬の手を取り、立ち上がった。

 「ありがとう。水瀬君、やさしいんだ」


 『きゃーっ!!』ヽ(゜∀゜)ノ

 

 「でも、どうする?この防火扉。こじ開けるしかないかな」

 「だ、だめよ。壊れちゃう!」

 「でも、そうするしかないよ。防火扉に閉じこめられている」

 「え?」

 見ると、背後の防火シャッターも降りたままだ。

 つまり、二人とも閉じこめられていた。


 「で、でも、そんな……壊れちゃう!」

 「このまま朝を待つ?」

 「そ、そんな!そんなに待てない!」

 「じゃ。そういうこと」

 「じ、じゃあ、水瀬君がしたければ、いいよ?」

 美奈子は、とっさに責任を水瀬に押しつけた。

 意外と計算高いのが美奈子の一面だ。

 「……あんまり、ひどくしないでね」

 取材中に自分は巻き込まれただけだ。これは不可抗力だ。

 そう思っても、明日、破壊された防火シャッターをみた先生達が何というか、あまり想像したくなかった。

 水瀬は防火シャッターを掴むと、片手で無造作に引き上げた。

 「ひゃっ!」

 バキィッ

 鋭い金属音がして、防火シャッターはすだれのようにぐしゃぐしゃになりながら、人間が通れるまでに持ち上がった。

 人間数人がかりでも難しい力業を片手でやってのける。

 これも騎士の力のうちだ。


 「みっ、水瀬君、す、すごい」

 「君ほどじゃないよ。さ、ここが最後だね」


 防火シャッターをくぐり抜けた先には扉があった。

 扉につけられたプレートには、「美術室」と書かれていた。



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