第8話 女神の愛し子
二人の返事に院長は深く頷くと、それはそれは真剣な面持ちで、声を潜め話を始めた。
「あの子は、【女神の愛し子】では無いかと、わたくし共は思っております」
「「【女神の愛し子】?」」
二人が声を揃えると、院長は人差し指を口に当て「声を抑えて下さいまし」と慌てた。
二人は揃って謝り、院長に話を続けるよう促した。
「【女神の愛し子】については、ご存知でございますか?」
「ええ……。でも、それは童話の中のお話では?」
キャロルが困惑しつつ答えると、院長は「いいえ」と、首を横に振った。
「【女神の愛し子】は、遠い昔の我が国にも、存在したとされています。教会内にある教会の歴史書を読むと、その様な修道女が居たと記されているのです」
【女神の愛し子】
それは、遠い昔の、まだこの国に【魔法】が存在していたと言われる時代にいた、『治癒の魔法』が使える魔法使いの事だ。
擦り傷ならば一瞬で。深い傷なら数時間。重い病なら数日間で治癒が出来るのだとか。
そんな夢物語があるなら、この世は皆、不老不死だと、幼い頃にダレンは思った記憶がある。
ダレンは、一気に胡散臭くなったぞと思いつつも、真剣な眼差しの院長の姿には【嘘】が見て取れないため、話を続ける事にした。
「何故、彼女がそうだと、思われるのですか?」
ダレンの質問に院長は「消えたのです」と、眉間の皺を深くし呟く様に言った。
「消えた、とは?」
「子供達の傷が、です」
院長の言葉に、再びダレンとキャロルは顔を見合わせる。お互いの困惑顔を確認してから、院長に視線を戻し、話の続きに耳を傾ける。
「子供達は、こちらがどんなに気をつけていても、小さな怪我が絶えません。喧嘩をしたり、木登りしたり、追いかけっこをしたり。転んで怪我をすることは、しょっちゅうです。わたくしは毎朝、子供達の体調を確認しつつ、怪我をしている子供の布当てを変える作業をするのですが、あの子が来た翌朝、どの子供の傷も、綺麗さっぱり消えていたのです。わたくしが驚いていると、一番大きな怪我をしていた子が、わたくしにこっそりと教えてくれたのです。あの新しく来た子が、治してくれたのだと」
「それは、どうやって?」
「傷口に手を当てただけだそうです。とても暖かくなったと思ったら、傷が治っていたと。大きな怪我をした子は、これが普通の事では無いと分かる年齢ですから。この事は内緒にしなくてはと思った様です。ですが、普通の事では無いからこそ、わたくしだけには話しておこうと、話してくれた様でした」
キャロルはメモを取る事も忘れ、元々大きな垂れ目を更に見開き、口元に手を当てているが、その口は大きく開いて声も無く驚いている。
そしてダレンは黙ったまま。驚きも表さず涼しい顔で話を聞いていた。
「ですが、他の幼い子たちが他の修道女に話をしてしまい、今は全員がその事実を知っております。ですので、全員にこの事はわたくし達だけの内緒の話しだと、約束をしました」
「その時の彼女は、どんな様子でしたか?」
「とても怯えておりました。ですが、わたくし共は何もしない、他言はしないから、安心して良いと伝えると、緊張が解けた様にホッとした顔をしておりました」
キャロルは、窓の外に見える少女に視線を向けた。穏やかな笑みを浮かべ、自分よりも幼い子達の様子を見守る様に佇んでいる。
体つきはさほど大きくは無いが、落ち着いた佇まいが年齢を分からなくさせている。そんな事をキャロルが思っていると、ダレンが院長に静かに質問をしていた。
「院長や他の修道女の皆さんは、実際にその治癒の瞬間を見た事は?」
「いいえ、それは無いのです。いつ、どの様に行われているのか、分からずです」
「そうですか……」
それからダレンは黙った。キャロルがダレンをチラリと見上げる。
ダレンが自身の右手人差し指を唇に触れるか触れないかの位置で止め、目を閉じている。そして左手は右肘を押さえている。
その仕草は、ダレンが何か深く考え事をする時の癖だ。人差し指を口に当てるのは「静かに」「話しかけるな」の意味がある。キャロルは黙ってダレンが話し始めるのを待つ。院長が僅かに困惑した表情をキャロルに向けた為、何も言わずにニッコリと微笑んでみせた。
数分もせず、ダレンが目を開ける。
いつもより短い時間で終わって良かったと、キャロルはこっそり息を吐いた。
「ここ半年で、この教会で暮らす子供達の人数は変わってますか?」
【女神の愛し子】とは全く関係の無い質問に、院長は一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに答えた。
「いいえ、変わりないですが……」
「では、人数が変わって無くても、入れ替わりで入って来た、などは?」
「いいえ、それもございません。残念ながら、ここ一年程は養子縁組が成立している子供はおりません」
「なるほど。ありがとうございます」
「いえ……」
「あの、良かったら、あの子と少し話をさせて頂けますか?」
ダレンは戸惑っている院長に向かって、爽やかな笑みを浮かべ【女神の愛し子】を指差したのだった。
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