第15話 ブルー、ブルー、ブルー

公園の前までさしかかると

ひろは吸い寄せられるように中へはいった。


このまま家に帰る気になれなかった。


水飲み場で顔を洗う。


薄暗くなった公園には

もう誰もいなかった。


ひろは倒れこむように

ベンチに腰をおろした。


濡らしたハンカチに目を当てる。


まだ、まぶたが腫れぼったい。


ハズミは今ごろ、モカちゃんに

色々きかれているのかな。


体が冷えてきて

ひろは少し鼻をすすった。


かばんからマフラーを取り出す。


ふと頭の中で、なにかがよぎる。


アッ、雪だるまのチョコ…!


急いで公園の時計に目をやった。


でも、すでに閉店の時間だった。


ひろは体をベンチの背にあずけ、

遠くの空へ目をやった。


夜に近い、明るいブルーに、

星がいくつか光っている。


公園の高い木々は、

黒いシルエットになって、

骨だけの切り絵のようだ。


冷たい空気に

頭の芯が冷える。


これでよかったんだ…。


雪村もこれ以上、

わたしと関わるのはごめんだろう。


マフラーを首に巻く。


立ちのぼる白い息を

ぼんやり見つめる。


叶うなら……、

あのバスケの日に帰りたい……。


ハズミがいて…、雪村がいて…、

今も私を好きで……。


バスケの日、

男子らと笑っていた雪村が

すぐに「ごめん」と謝ってくれる。


翌朝の教室で、

頭を下げるわたしに

「オレも、傷つけるようなこと言ったから」

と優しい言葉で許してくれる。


靴を投げつけたとき、

雪村はそれを拾って戻ってくる。

そして、投げたわたしの思いをくみ取って、

何も言わず、靴をはかせてくれるのだ。


花壇のハズミが、わたしの言葉に顔をあげる。


「ふーん、そういうことか。

だからアタシに言えなかったわけね。

アタシ、ひろに信頼されてないのかと

思ったのよ。 でも そうじゃなかった。

安心した。なのにアタシったら……。

友だちがなかったね。

ううん。ひろを冷たいなんて思ってないよ。

秘密を守ったのは正しいことだよ。

アタシもひろの立場だったら、

きっとそうする……。

アタシのこと、許してくれる?」


もう一つの物語は

空想のなかで生き生きとして、

ひろの心ををなぐめた。


しかしその空想も、

物語を作りだすのに、飽きてきたのか、

だんだん夢のように弱々しくなっていった。


最後は幻みたいに、フツと消えて、

ベンチにいる、今の自分にもどった。


ひんやりした空気に、土の匂いがした。


なんの音もしない。


海の底にいるみたい。


海底に横たわる船のように

上を見あげる。


上は透き通るようなブルーだ。


周囲は黒々と静まって、

今あるのは、この、ブルーの色だけ。


夜が、やさしく世界を包み込む。


もう、ふたりが望んでいないなら、

ここで区切りをつけるべきだ。


わたしは、「サヨナラ」するべきだ。


ひろは放すまいとした手をほどいた。


自由になったふたりは

やわらかな笑みをみせ、

遠い空へ消えてった。


天井のブルーは穏やかに目にしみて

ひろは自分の中のドロドロしたものまで

きれいになっていく気がした。


疲れた体も、こころも、

水のように透きとおっていく。


空と自分が溶け合って、

一体になっていくみたい…。


ああ…!

このままずっと、遠くまで、

飛んでいってしまいたい…!


やがてひろはひろでなくなって

クラゲみたいに透明になって

天上にひろがるブルーの世界へ

ひらひら舞いあがっていった。


……小さな鳴き声がきこえる。


顔をむけると、木かげから

顔見知りの猫がでてきた。


「ミケ。おいで」


ひろはほほ笑み、

チョッチョッと舌を鳴らした。


ミケは足もとにすり寄ってきて、

ぴょんと膝に乗っかった。


ひろは、そのフサフサした

三色模様の毛をなでてやる。


「おまえはいいね。

ニャーしか言わないんだから」


ミケはゴロゴロのどを鳴らした。


「人間ってさぁ、

ややこしくってイヤんなるよ」


ひろは猫相手にグチをこぼした。


「そもそもさ、そんなに悪いことだった?

好きなくせにって言ったのが」


ミケは返事の代わりに

しっぽをパタパタ動かした。 


雪村の、怒った顔がうかぶ。


「だって、ホントのことじゃない」


ひろが言うと、

雪村は口をパクパクさせ、

「もういいっ」と行ってしまった。


ミケは面白そうに

ヒゲをピクピク動かした。


ひろはフフッとわらった。


ミケと別れ、ひろは腰をあげた。


もうすっかり暗くなり、木々の上には

くっきりオリオン座が輝いている。


ひろはその美しい図形をながめながら

のんびり家路へむかった。


いつものように

ポケットに手をいれる。


指先で、数個のチョコロを

コロコロまわす。


公園をでたところで

周囲を確かめた。


ポケットのなか、チョコロをひとつ、

手にしのばせる。


…さて、何色でしょう。


ひろげた手に、

白い光がコロンと現れた。


街頭に照らさなくてもわかった。


星のようなその玉は

たった今、空から落ちてきたみたいに

明るかった。


『 古田。チョコロ 、一コくれる?』


闇に浮かぶ銀のチョコロは

あのときとおんなじに美しかった。


ひろは銀紙をめくり、口にいれた。


チョコの甘い香りが、

フワリとそばへやってきて、


それから親しげな顔で

ひろにほほ笑むと、


いつかなくした大事なものを

ポンとその手に渡していった。



   🟤   🔵



家に着くと、玄関先で母がバッグから

鍵を出しているところだった。


いま帰ってきたらしい。


ひろの姿を見て、「いま帰り?」と驚く母に、

バスケ部に誘われてちょっとね、と答えた。


そのあと雑貨屋で色々あって

いままでひとり公園にいた、とは言いたくない。


中にはいり電気をつけると

母が「ソレどうしたの?」と驚いて

ひろの顔を指さした。


「なにが?」ときくと、

左のほおが赤くなっている、と言われた。


ひろは、バスケの練習でボールに当たった

とごまかした。


母はフーンと言ってジロジロ見たが

あとで濡れたタオルを持ってきてくれた。


ひろが鏡で顔を確認すると

ほおにはハッキリ手型がついていた。


晩ご飯のあと、

ひろは物置をゴソゴソ探しながら

「お母さ〜ん。箱ない? 箱ぉ」と呼んだ。


「 箱ぉ? なんに使うの?」


「ちょっと学校でいるのよぅ。

プレゼントに使えそうな箱ぉ」


母がやってきて、「こんなのあるけど?」と、

どこからか、ギフト用のクリアケースを

持ってきてくれた。


四角く透明で、

小さなお弁当箱ぐらいの大きさだ。


「あ、これいい!

ついでにリボンとか、

飾りになりそうなものない?」


母は「ハイハイ」と向こうへ行くと

今度はブルーのリボンを出してきてくれた。


母の目が、ニヤニヤわらっているので、

ひろは怒って、

「友チョコよ。あした学校で約束しているのっ」

と言い訳した。


そこへ居間から、父が言った。


「ひろの学校もいよいよ来年から

工事が始まるみたいだな。

この区域じゃ初めての

木造校舎になるらしいじゃないか」


「ええっ? 木造?」


ひろはきき返し、居間へ行った。


父は目を落としていた用紙から

顔をあげた。


「知らなかったのか?

このお便りにも書いてあるじゃないか」


ひろはお便りをのぞきこむと、

「え〜っ、ちっとも知らなかった!」

と叫んだ。


「頼りない学校代表だな」と父がわらったので

「関係ないし」と口をとがらせた。


「木造って、なんで?

コンクリート使わないの?

わざと昔っぽくするの?」


ひろの質問に、父がわらった。


「ひろが考えているような

昔の校舎とは違うぞ。

今は木造建築が最先端だ」


父の目がイキイキした。


「最近の技術で、木造でも火事や地震に

耐えられるようになったんだ。

それに木は二酸化炭素を吸収して

その中に溜め込んでくれる。

木を活用することが、

地球温暖化対策にもなるらしいよ。

二酸化炭素の量を減らすことが

いま急務だからね。

ヨーロッパでも国をあげて

木造建築化が進んでいるよ。

日本も戦後に植えた木が育ったんで

今それを使おうと、国が公共施設なんかを

木造で作っていってるよ 」


仕事がら父は、こういったことに詳しい。


「知らなかった…。木とか、そういうものって

どんどんなくなってしまうのかと思ってた」


ひろは信じられない気持ちで言った。


遅れて母も用紙をのぞき、

ヘェと横で声をもらした。


「昔はね、空襲で木造の建物がみんな燃えて、

大火事になって、大変だったそうよ。

それで戦後は、

大きな建物は火事で燃えないモノで作る

法律ができたんだって。

それには鉄筋コンクリートが

一番だったのよね」


父がうなずき、あとを続けた。


「そのときは鉄筋コンクリートが

最新技術だった。

でもそのせいで林業がすたれてしまった。

植林した山は手を入れないと荒れてしまう。

だがここに来てようやく

林業が見直されたってわけだ」


ひろは黙りこんだ。


ひろの思うこれまでの世界は、ガラガラ崩れ、

いま新しい姿になって、立ち現れた。


父がお茶をすすり、みかんに手をのばした。


母がおせんべいを持ってきて、

ぽりり、ぽりりと、ほおばりはじめた。


今日一日の労働に

こうしていつも締めくくるのだ。


そうか。

世界はこういうふうに、出来ていたのか。


「 わたし…バスケ部に入ってみたいんだけど、

いい?」


娘の言葉に、両親が驚く。


そりゃ、そうだろう。

言った自分も、ビックリしている。


「今から? だって来年は受験でしょ?」


「 忙しいのはイヤだって、言ってたじゃないか」


「 ウン、まあ、そうなんだけど…」


ひろは考えるようにうなずいた。


わたしは少し…自分の中に

こもりすぎたのかもしれない。


「もう充分のんびりしたしさ。

受験もがんばるし…、

なんか色々やってみたいの!」



   🟤   🔵



ひろは自室にもどると

チョコロを詰めた。


赤、青、緑、金、銀のチョコロが、

透明なクリアケースに映える。


ブルーのリボンを、上からかける。


十字になるよう、箱にまわして……、

ふうぅ、

指がカクカク震えてる。


自分の勇気に、拍手してあげたいな。


結び目を指で押さえつつ…、

最後の仕上げの…

チョウ・ム・ス・ビ……と。


よぉし、出来た?


げげ。箱の上で蝶が死んでいるみたい。


やり直し。


ココを…こうして…

むむむ…

で…ヤッ…と、どうだ!


今度はからかうみたいに

左にこけてる。もうっ!


そうしてリボンと格闘すること…八回目、


ついに美しい蝶結びが、箱の上に誕生した。


ブルーのリボンで飾ったチョコロは、

なんだか、よそゆきを着せたみたいで、

ドキドキした。



❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️ ⛄ ❄️

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