第1章 2-2
「少しは気分がよくなったかい?」
そう言いながら、掛け布団を私の顎下まで引っ張り上げる。
「おかげさまで。ご迷惑を・・・おかけして・・・申し訳ありません。」
「また話し方が戻ってしまったね。普通に話して欲しいのだが・・・まぁ今それは置いておこう。君が聞きたい事を話しに来たよ。」
寝台のそばにある椅子に腰をかけると、寝台の端に肘を立てて顎を乗せた。
近いし、その体勢は疲れるのでは?と思いながら、言うのは止めた。
馬車で抱き抱えられてからと言うもの、距離感が麻痺している。
それから、ゆっくりとした口調で、私が胡家の客間へ移された後からの話を、詳しく話してくれた。
胡家で私が怪我をして、黄泰(こうたい)を出るまでの出来事。
それは私が想像した以上に、大事だった。
義母と弟が下人落ちしたこと、父が奴隷落ちしたこと。そして胡家が没落したこと。
「春燕と文葉は莫(バク)氏の家の下働きに、李謙は玄有の山岳地帯で、氷の切り出しに出された。後の使用人についても、大理寺に引き渡した。それから君は朱家の縁戚にあたる丹勇(タンユウ)の養女として、大役司の手続きは済んでいる。丹勇(タンユウ)も勿論承知しているし、婦人も優しい人だから、君を傷つける事はない。これからは、私の直属の作司で働いてもらう。勿論、給金も出すし、発明で得た金銭は、憂炎と相談して、君にも利益が出るようにした。」
私は、知らない誰かの子供になった・・・という事か。それには少し抵抗がある。
何せ実の家族でさえ、あの調子だったのだ。見ず知らずの血のつながらない人間をどう扱うか・・・検討も着かない。
「丹勇(タンユウ)は元々、養子を探していた。伝書では勿論、君を受け入れると返事があった。それに今は届けを出しただけだから、私も戻ったら、丹勇(タンユウ)達としっかり話をしてこよう。それで駄目なら、朱家の私の侍女としての地位を約束しよう。それだけでも君を守れるだろう。だが、それでも不安であろう?」
そう言って手渡されたのは、朱家の木牌だった。
「これ・・・は?」
「君は丹勇の娘になっても、私の侍女となっても、私の直属で働いてもらうことになる。勿論、朱家の人間は君を虐げることはしない。だが、今までの事もあるだろう。これは保険だ。何かあったときにはこれが役に立つ。」
「そんな・・・理由では・・・これは私が・・・持って良い物では・・・ありません。」
木牌がどんな効力を持つかも、それを持つことが、どれだけ重い意味を持つのかも分かっている。
これをもらう程の地位を私は望んでいない。慌てて領主の手に戻す。
「私が持っていてもらいたいのだ。これを持つことを重荷に考えなくてもいい。ただ、君が朱家の人間だと思える為の、お守りだと思えば良い。」
そう言って領主様は私の枕の下にそれを押し込んだ。
「君を縛り付けるつもりはない。君は君のやりたいことをすればいい。もし朱家を去りたくなったら、その時に返してくれればいい。」
その時に向けた笑顔は、優しくもあったが、少し悲しそうにも見えた。理由は分からないが。
西日が当たって、領主様の髪が綺麗な朱色に染まる。
まっすぐで、艶のある髪・・・
動く右手で思わず触りそうになって、手を止める。
(私、何しようと・・・)
ハッと手を引っ込めようとした時、領主様の手が私の手を握る。
「髪が気になるのか?」
「あまりに・・・綺麗だった・・・ので・・。」
(私は何を言っているんだ!)
「やっぱり桜綾(オウリン)は面白いね。普通に喋ることは出来ないのに、私の髪には触れるのかい?」
私の顔が火を噴いているかと思うほど熱い。なんて恐れ多いことをしようとしてしまったんだ。
「まぁ私も馬車でずっと桜綾(オウリン)を抱えていたからね。お相子だ。」
そういってクスクス笑っているが、こっちは消えてしまいたい気分だ。
領主様の手が離れた瞬間、布団を頭まで引っ張り上げる。
それを領主様はいとも簡単に引き下げてしまう。
「桜綾(オウリン)、これからのことを話そう。待医殿の話では、君の体力が戻るまではここで療養する方がいいと言うことだ。だから、取りあえず、鈴明(リンメイ)も憂炎もここで君の回復を待つ。それから、朱家の養父母が君を受け入れるなら連れてくる。そこで正式に書面を交わそう。その後、君が馬車の移動に耐えられる様になったら、朱有(しゅゆう)へ帰ろう。私は公務があるから、一旦、朱有(しゅゆう)へ帰る。あちらでの仕事が終わり次第、またすぐに戻るつもりだ。」
領主様がいなくなる。
それを聞いて急に不安になった。
私は本当にこれで良いのだろうか。領主様の言葉に甘えて、朱家の人間になっても良いのか。ましてや、何も持たない私を、朱家のような高貴な家柄の一員として快く受け入れてもらえるだろうか・・・養父母はどんな人なのだろうか。
不安は尽きない。
「私がいなくなったら淋しいかい?」
私の不安をよそに、見当違いな質問をする。
「そう・・・ではなくて・・・私・・・ここにいて・・いいのでしょうか?」
領主様は少し不満そうに
「淋しくないのかい?ずっと君を抱えていたのに・・・」
とふくれ面になる。領主様はごくたまに子供っぽい表情をする。いつも冷静な領主様とは違うが、きっと私が朱家の血筋ではない事や、師匠の弟子ということもあって、少し力を抜いているのだろう。
「君は私の仲間だと言っただろう?仲間を助けるのは当たり前だ。私には君を助ける方法があったから、そうしただけだ。それに、丹勇(タンユウ)は事情があって子供が望めない。だから君が娘になる事を伝書では喜んでいた。だから、君は何も心配せず、ここで療養すればいい。恩なら早く元気になって、発明で返してくれたら十分だ。」
領主様には助けてもらってばかりだ。しかもこんな良い待遇を用意してくれた。
「元気に・・・なります。」
「そうだね。まずはそこからだ。明日には私は朱有(しゅゆう)へ発つ。夏月(カゲツ)も連れて行かねばならないが、鈴明(リンメイ)だけでは大変だろうから、1人護衛を兼ねた侍女を用意しておいた。信用できる人間だから、安心して頼ると良い。入れ!」
そういうと1人の女性が入ってきた。
「桜綾(オウリン)様のお世話をさせて頂きます炎珠(エンジュ)と申します。」
私に向かって一礼する。
どこか夏月(カゲツ)さんに似た面影がある。
というか、いつから外にいたのだろう。もしかして全部聞いてた?
そう思うと急に恥ずかしくなった。
「夏月(カゲツ)の妹だ。桜綾(オウリン)と同じ歳だが、武術にも秀でている。これから朱家にいる間は炎珠(エンジュ)が君の護衛だ。」
だから夏月(カゲツ)さんと似ていたのか。しかし私に護衛なんて必要だろうか?
「念のためだ。炎珠(エンジュ)は君の身の回りの世話もするように命じてある。」
なんだか申し訳ないが、きっと断る事は出来ないだろう。なので、ここは大人しく好意を受け取ることにした。
「炎珠(エンジュ)さん・・・こちらこそ・・・お世話に・・・なります。」
そう言って頭を下げたかったが、首だけが下がっただけで、痛みで体は動かせなかった。
「桜綾(オウリン)様。私は護衛でございます。私に頭を下げる必要はございません。それと炎珠(エンジュ)とお呼びください。」
また一礼しながらも、笑顔を私に向けた。
「とにかく、私が戻るまで、大人しくしているように。炎珠(エンジュ)、鈴明(リンメイ)にも会っておけ。桜綾(オウリン)のことは鈴明(リンメイ)が一番詳しいからな。それから、憂炎がこちらへ到着したら伝書で知らせろ。」
「承知いたしました。」
「桜綾(オウリン)、ゆっくり休め。今までの分も、な。公務が終わり次第戻るから、しっかり食べて、今よりは元気になっているように。」
領主様はそれだけ言い残すと、部屋を出て行った。
炎珠(エンジュ)も鈴明(リンメイ)に会いに隣の部屋へと出て行ってしまった。
1人取残された私はというと、さっきまでの領主様との会話を色々思い返しながら、一喜一憂していた。
期待と不安。それから恥ずかしさ。そんな気持ちを抱えながら、また天蓋に揺れる朱色の布を見つめていた。
領主様が朱有(しゅゆう)に戻って2ヶ月が過ぎた。
私も起き上がれるほど回復し、接ぎ木も外された。両足は動くが立つことはまだ出来ない。
接ぎ木が外されたとき、立ち上がろうとしたが、足に上手く力が入らず、へたってしまった。
左手は肩付近まで上げられるようになり、指先も動かせる。
顔の痣もなくなり、食事も普通に取れるようになったことで頬も幾分ふっくらしたように思う。
待医様も驚くほど早く回復している。
歩けないのは不便だが、まずは立ち上がれる様になることが大切だ。
師匠は領主様が朱有(しゅゆう)に発って1ヶ月ぐらい後にやってきた。髭は伸び放題で、服もボロボロだったので、最初は門番に追い返されそうになったが、朱家の木牌を持っていたおかげで、屋敷に入れた。
私と鈴明(リンメイ)はそれでも師匠だと分かったけれど、あまりの恰好に笑いが止まらなかった。
今は朱家の依頼だとかで、建物の窓飾りを作りながら、気ままに過ごしている。
「師匠を呼んでくれない?」
そう言うと炎珠(エンジュ)は頷いて、部屋を出て行く。
今では炎珠(エンジュ)とも打ち解け、まるで友達のように会話を楽しんでいる。
炎珠(エンジュ)は色々教えてくれる。衣の着方やお茶の飲み方、最近の流行の刺繍の柄や噂話まで。
朱家の事も少しだけ話してくれた。領主様の事は話してはくれなかったが、朱家の本家がいかに広いか、領主様のお母様がどんなに優しいかなど、楽しそうに語ってくれた。
おかげで、衣は1人で着られるし、刺繍も下手だが出来るようになった。
「桜綾(オウリン)。何か用か?」
声もかけずに部屋に入ってくる辺り、師匠らしい。
「作って欲しいものがあるんだけど・・・」
「おっ!何か新しい発明か?」
待ってましたと言わんばかりに、手を擦り合わせながら満面の笑みを浮かべる。
「期待を裏切って悪いんだけど・・・私が立つ練習に使うものだから、商品にはならないよ。それに、そんなに複雑でもないし。私の足が動けば自分で作るんだけど・・・というか歩ければ必要ないか。」
「いいぞ。どうせ暇だし。で、どんな物が欲しいんだ?」
あっさり承諾した師匠に、紙と筆を用意してもらって図を書いて説明する。
桜の記憶の中にある、平行棒という物。両手で体を支えながら、歩行の練習をする物だ。
その図を見た師匠は、
「随分簡単にできそうだな。これくらいなら、明日までに出来るぞ。」
といって、図面を持って、そそくさと出て行った。
暇って・・・朱家からの仕事があるはずじゃぁ・・・と思いはしたが、口に出す前に師匠が出て行ったので、言えなかった。
翌日、師匠は言葉通りそれを作って持ってきてくれた。
思っていたよりも、しっかりしているし、手で握る部分の木材は、角が取られ握っても痛くないように、工夫されていた。
「これでいいのか?」
大きな物だが、この広い部屋には余裕で置けた。
「うん。上出来!やっぱり師匠はすごいね。ありがとう。」
そういうと、鼻の頭を掻きながらヘラヘラっと笑った。
運び入れる時に、大きな音がしたせいで、鈴明(リンメイ)と炎珠(エンジュ)が駆けつけてきた。
「桜綾(オウリン)が落ちたのかと思ったじゃない!」
鈴明(リンメイ)は怒りながら師匠を睨んでいるが、炎珠(エンジュ)は運ばれた物に目が釘付けになって固まっている。
何に使うか分からないのだろう。
「鈴明(リンメイ)、ちょっと手伝って。」
鈴明(リンメイ)は睨むのをやめて、私の側へやってくる。
布団をよけると、体の向きを変えて寝台の縁に座る形を取った。
「私を立たせて、あの棒に捕まらせて欲しいの。」
そういうと怪訝な顔をしながらも、私の体を支えてくれる。それを見ていた炎珠(エンジュ)も加わって、私の体はその棒に簡単に捕まることが出来た。
棒に捕まってからも、鈴明(リンメイ)達は手を離さず支えている。
「これは立ったり、歩いたりする練習をするものなの。だからゆっくり手を離して。」
戸惑いながらも2人はそっと手を離す。
私は両脇に棒を挟む形で体を支えた後、手の力で踏ん張って体を支える。
手を離すことは出来ないが、久しぶりに足の裏に床を感じることが出来た。
しかし、手の力もまだ回復していないためか、数歩歩いた所で、足が子鹿のように震えると同時に、手が滑って床に尻餅をついた。
焦った鈴明(リンメイ)達が慌てて私を元の寝台に戻したが、師匠はその使い方に興味を持ったらしい。
「こんなもんで、歩けるようになるのか?それが出来るなら、これだって十分、新しい発明だろ?」
「誰でもがこれで治るわけじゃないの。私みたいに、骨が折れて足に力が入らない人なら、治るかもしれないっていうだけで、私もこれで治るとは限らないし。」
いつまでも寝たきりではいられない。少しでも可能性があるならと思って作ってもらった物だ。
本当に骨だけの怪我なら、きっと私の努力次第で歩けるようになる。しかし、神経まで損傷が及んでいたら、回復は難しい。神経なんて言ってもこちらでは通じないだろうし、とにかく今はやってみるしかない。
「そうか。まぁせっかく治った傷をまた増やすなよ。何かあればまた作ってやるから。」
師匠が部屋を去ろうとしたとき、1羽の白い鳩が、勢いよく部屋に飛び込んできた。
どうやら、伝書が届いたらしい。
私の肩に止まった鳩を師匠が捕まえ、足に着いた筒から文を取り出す。
それを読んだ後、鳩を外へと放った。
「ったく、連絡が遅い!おい桜綾(オウリン)。明日、宇航(ユーハン)とお前の養父母がこちらに着くそうだ。」
そう言いながら文を私によこす。
それを受け取って読んでみると確かに、領主様から明日到着するという連絡だった。
「まぁ!それなら支度をしないと。桜綾(オウリン)様、今日は沐浴を致しましょう。それから衣も用意しませんと。あぁ、客間の掃除も必要ですね。やっとご両親に会えるのですから!」
いきなり炎珠(エンジュ)が立ち上がり、興奮気味にまくし立てる。
その慌てぶりに、こちらが驚いて動揺する暇がなかった。
「炎珠(エンジュ)、落ち着いて。そんなに慌てなくても、時間はあるから。」
「何を悠長な。とにかく私は母屋に伝えてきます。」
そう言って駆けだしていった。
「俺は部屋に戻ってるよ。何かあったら呼んでくれ。」
「私も炎珠(エンジュ)の手伝いに行ってくる。」
一気に慌ただしくなった部屋は、一気に静かになった。
(領主様・・・もう少し心の準備をする時間が欲しかったです・・・)
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