第2章 またね、ほころび

8. 蜜柑


 町を出てから半年。

 ようやく、谷の出口が見えてきた。

 歩く度に、カサカサと死んだ葉の音がする。


 この半年間、ひたすら谷を歩いた。

 食事をして眠って歩くだけの生活は、ひとりぼっちの世界を嫌でも実感した。


 谷から出て西の森に入ると、魔物や魔獣がたくさんいた。

 じぃちゃんが言っていた通り、谷の森にいる魔獣と強さが変わらなかったから2日で抜ける事が出来た。


 森を抜けると、簡単に整備された街道が見えてきた。

 野営しながら北に進むこと5日目。


 後方から馬車がやってきた。

 馬車を見るのは生まれて初めてだったから、馬の足音が少しだけ怖かった。


「お嬢さん、旅の人かい?」


 馬車の御者が、愉快な声色で話しかけてきた。

 中年の男で、私の目からは白い髪に見えた。


「旅。クローリス王国に行く」


「おお!私はクローリスで商人をしているんだ。今から帰るところだから、乗っていくかい?」


「……いいの?」


「もちろんだとも!荷台でも良ければ、だけどね」


 私は、厚意に甘えて乗せてもらう事にした。

 荷台には大量の木箱が積んであった。

 その隙間に小さく蹲り、ゆらゆら揺れながら馬の走る音に耳を澄ませた。


 あまりにも心地よかったから、少し寝てしまっていたらしい。

 馬車は止まっていて、外を覗くと馬を休ませているようだった。


「お嬢さん。起きたならこっちにおいで。休憩だ」


 私が顔を覗かせた反対側から、商人の声がした。

 振り向くと、商人は木に寄りかかって木の実を食べていた。


「この実は、ここが群生地でね。なかなか美味しいんだ。いつもこの道を通る時は、ここに立ち寄るんだよ」


 そう言うと、木の実を1つ私に差し出した。

 商人が食べやすいように可食部分だけを渡してくれたから、そのまま1口齧ってみる。


 すると、みずみずしい実が爽やかに弾けて、甘い汁が口いっぱいに溢れた。

 今まで食べた果物の中で、1番美味しかった。


 夢中になって頬張っていると、商人の笑う声がした。


「ははっ!気に入ったんだね、お嬢さん」


 商人が2つ目の実を渡してくれた。

 お礼を言って受け取ると、商人が話し始めた。


「この辺は、不思議な魔力が流れてきていてね。10年前位から通れなくなっていたんだよ。ついこの前、半年くらい前かな、やっと通れるようになってね。この実がまた食べられるのが、私は本当に嬉しいんだよ」


 10年前というと、私と彼女が生まれた時期だな。

 なんだか複雑な気持ちになって、実を食べる手が止まった。


「お嬢さんは、異国の人かい?クローリスには何をしに行くんだい?ああ、言いたくなかったらいいんだよ。旅人は謎が多いものだからね」


 人に好かれる笑顔をして、好奇心を隠さない所に商人らしさを感じた。


「魔法研究所に用がある。あとは色々、言えない。魔法研究所って知ってる?」


 商人に質問を投げると、再び実を齧った。

 谷を1人で歩く時間が長かったからか、人と話すのが少し難しいなと感じた。


「魔法研究所!もちろん知っているとも!私達を救ってくださったからな。研究所までの道は、衛兵に聞けば直ぐに分かるはずだ。でも、そうだな。旅人は、少し怪しまれてしまうかもしれないな。ここで出会ったのも何かの縁、私が身元保証人になってあげよう」


 表情をクルクルと変えながら1人で結論に至った商人を見ていたら、なんだか面白くなってしまった。

 少し上がった口角で実を全て食べてから、話しかけた。


「嬉しい。けど、どうしてそこまでしてくれるの?出会ったばかりなのに。お金、いる?」


 そう聞くと、商人が慌てたように首を振った。


「いやいや!お金はいらないよ。私には、お嬢さんと同じくらいの娘がいてね。こんな辺境の地を1人で歩いているんだ。なにか事情があるんだろうと思ってね。ついつい、お節介してしまった」


 商人は、照れたように笑うと頭の後ろをポリポリかいた。

 損得勘定を抜きにした純粋な善意なんて、商人らしくないなと思った。

 私は、有難く身元保証人をお願いすることにした。


 再び走り出した馬車の荷台から、黒くなっていく空を眺めた。

 今日の夜には、クローリス王国に到着するらしい。

 またうとうとしていると、商人の声が聞こえた。


「お嬢さん!そろそろつくよ!」


 その声で、沈みかけた意識をふわりと覚醒させた。

 荷台から外を見ると、大きな石造りの門をくぐっている所だった。

 門の両端には、立派な体格の若い男が立っていた。

 ちらりと横目で見られるだけで、特に止められることも無かった。


 門をくぐった先には、賑わった城下町が広がっていた。

 もう夜だというのに通りは人で溢れていて、屋台から客寄せの声が響いている。


「もうすぐお祭りがあるんだ。そのおかげで最近は特に賑わっていてね。ああ、お嬢さん。今日は、もう遅いから宿をとりなさい。明日、研究所に行くといい」


 商人はそう言うと、おすすめの宿を教えてくれた。

 明日の朝、宿の前で商人と待ち合わせる約束をしてから、別れた。


 勧められた宿に入ると、夕飯時で賑わった店内が広がっていた。


「いらっしゃい!あんた1人?宿泊かい?」


 両手に木製のジョッキを持った女の人が、陽気に話しかけてきた。

 女の人は、この宿で働いているらしく、客におばさんと呼ばれていた。


「本当にあんた1人なのかい?1番端の部屋にしておくけど、戸締りはしっかりするんだよ。何かあったらいつでも言いな」

 

 私のような子供が1人で旅をするのは結構珍しいらしいようで、おばさんに心配された。

 しかし、詮索はしてこなかった。

 旅人というのは、秘密主義な人が多いから詮索を嫌うというのが、この国の常識になっているらしい。


「夕飯、食べていきな!宿泊客はサービスだよ!」


 おばさんに勧められて、食堂で夕飯を頂いた。

 約半年ぶりの温かい食事は、私の身体にじんわりと沁み渡った。

 

 私はついに、クローリス王国に到着した。

 

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