二十九話 温かな手に導かれて


「ふふっ……、あははっ!!」



 思いもよらない閻魔様の弱点に、思わず吹き出してケラケラと笑っていると、反対を向いていた閻魔様もこちらを向いて苦笑する。



「……なにやらとても楽しそうだな、桃花」


「ご、ごめんなさい! でも閻魔様の行動がいちいち可愛いんだもん! やだ、笑い過ぎて涙出てきた……」


「可愛い? そんな言葉、生まれて初めて掛けられたな」



 閻魔様は腑に落ちないというような憮然とした表情をして、ようやく冷めた卵粥を口に運ぶ。



「うん、美味いな。心がほっとする優しい味だ」


「本当? よかったわ、まだまだあるから食べて」


「ああ、全部いただこう」



 その言葉通り、閻魔様は本当に気持ちよく完食してくれた。空の小鍋を片付けて、また水差しから水を湯呑みに注いで閻魔様に渡す。



「はい、閻魔様」


「ああ、ありがとう」



 湯呑みを一気にあおって、「ふー」と閻魔様は満足そうに息をついた。



「腹が満たされるという感覚は一体いつ振りだろうか。ありがとう、桃花。尽きかけていた神力もじきに戻り始め、体調も良くなるだろう」


「それならよかったわ。でもその〝神力〟って、一体なんなの? 茜と葵に聞いてからずっと気になっていたのよね。神様は神力さえ無くならなければ、食事はいらないのよね?」



 わたしの問いに「そうだな」と閻魔様が静かに頷く。



「神力とは、神自身が元々身に宿している生命力のことだ。不老不死の神といえども神力が尽きれば弱り、姿が保てなくなる。逆に言うと神力が尽きなければ、桃花の言う通り食事は不要と言えるな」


「でも実際は神力は消耗する。それを回復する手段で効率がいいのが、ものを食べるってこと?」


「ああそうだ。だから人間は神への供物として、食物や料理を捧げるんだよ。しかし私は元来持っている神力がとても多くてな。故にこの冥土の地で裁判官をするのに適任とされたんだ」


「へぇ……?」



 そういえば閻魔様は元々冥土に住んでいた訳じゃなく、故郷は高天原たかまがはらという神様の国なんだっけ?

 つまり閻魔様は誰かに言われて冥土ここに来た。想像もつかないけど、閻魔様よりも更に偉い神様がいるってことなのかしら?

 というかわたし、今更だけどすっかり敬語が抜けてしまっているわね。相手は神様なのに。

 でも閻魔様も全然気にした様子ないし、別にいいのかしら?



「それって、冥土では神力が強くないと神様は住めないってこと?」


「……神というか、生き物全般だな。知っての通り、冥土は死者の為の世界だ。当然ここでは作物は育たないし、新しい生命も生まれない」


「新しい生命が……」



 そういえば昨日、庭園の鯉たちも冥土生まれではないって茜が言ってたっけ?



「元々冥土は本当に不毛の地だったのだよ。だからこの極限状態に耐え得る、多くの神力を持つ強い神がこの地には必要だった――」


「…………」



 そっか。ずっと不思議だったことが、やっと分かった気がする。

 冥土は不毛の地。

 供物として毎日当たり前のように目新しい食材が冷蔵庫に入っていたから想像したこともなかったけど、閻魔様にとって食べることは、冥土に来た時から当たり前じゃなくなっていたのね。



『うん、美味いな。心がほっとする優しい味だ』



 神様だって食事をする。美味しいって笑ってくれる。

 でも閻魔様はそんな当たり前すら、いつしか当たり前じゃなくなって。それでも気の遠くなるような長い間、神力が枯渇寸前になるまで頑張っていたんだ。

 わたし達、人間の為に――……。



「ごめんなさい、閻魔様」



 考えれば考える程なんだか堪らなくなって、謝罪の言葉が自然と口からこぼれた。



「……なにを謝っているんだい?」


「だって閻魔様が体調を崩した原因って、きっとわたしが昨日、夜分に引き留めてしまったからでしょ? ごめんなさい、余計なことをしてあなたの……」



〝あなたのとても大切にしている役目を、途切れさせてしまって〟


 そう続けようとした言葉は、しかし最後まで言えなかった。



「倒れたのは単に私が自分の神力の量を見誤ったからだ。桃花のせいじゃない。寧ろ昨日、私はとても嬉しかった。君の手料理は温かく、とても優しい。私の孤独を癒してくれた」


「……っ」



 ゆっくりと手が伸びて、閻魔様がわたしの頭を撫でる。その優しくわたしをあやす手に、ぐっと涙が込み上げた。

 このあったかい手。わたし覚えてる。



「わたし、子どもの頃にもこんな風に閻魔様に慰めてもらったわね」


「……自分のことを思い出したのかい?」


「――ええ、少しね」



 閻魔様に尋ねられて、素直に頷く。

 記憶を取り戻してしまったら冥土での時間が終わる。それを不安に思っていた筈なのに、今は不思議と心が穏やかだった。



「まだ断片的にではあるんだけれどね。――でも分かるの。きっとわたしはこの手に慰められて、救われたんだわ」


「…………」



 閻魔様はわたしの言葉に何も答えない。

 もしかしたらわたし自身が完全に思い出すまでは、何も言わないつもりなのかも知れない。



「ありがとう、閻魔様」



 ――だけどわたしを撫でるその手はとても温かくて、何も言わずとも肯定してくれているように感じた。



=卵がゆ・了=


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