二十二話 閻魔様に捧げる甘露(3)


〝早く閻魔様に食べてほしいな〟



「……なーんて。そう思っていたけど、甘かったわ」



 すっかり日が落ち、昨晩と同じ時間になっても現れない閻魔様に、わたしは盛大に落胆の溜息をついた――。



 ◇◆◇◆◇



 実は時をさかのぼること、数時間前。

 お風呂を済ませたわたしは、昼間に作った牛乳寒天を乗せたお盆を抱えて昨晩と同じ自室の前の渡り廊下で閻魔様が来るのを待っていた。



「桃花、閻魔様をこのまま待つアカ?」


「うん。昨日は部屋の前で閻魔様の方がわたしを待ってたの。だから今日も来てくれるのかなって」


「だったらオイラたちも一緒に待つアオ! 閻魔様が一千年振りにものを食される姿をこの目で確かめたいアオ!」


「そんな大袈裟な……」



 思わず苦笑するが、確かに長年ヤキモキしていた小鬼たちからすれば、閻魔様が食事をするというのは大事なのだろう。



「いいわ。じゃあ待ってる間、何する? おしゃべり?」


「そりゃもちろん、トランプがいいアカ!」


「ババ抜きをするアオ!」


「トランプって……、昨日もやってなかった? 好きなのねー」



 そもそもトランプなんてどこから手に入れたのか。

 もしかしてこれも、〝閻魔様を崇める者達からの供物〟ってやつなのだろうか?


 ――なんて取り留めのないことを考えながらもババ抜きに興じ、何ゲームしたか分からなくなった頃。



「ぐーっ」


「ぐぉぉ!」


「あらら」



 お子様に夜更かしは辛かったのか、昼間にもたっぷり眠ったはずなのに、茜と葵はすっかり夢の中だった。



「あんなに閻魔様が食べてる姿を見る! って張り切ってたのに、仕方がないわね」



 二匹をそっと抱き上げて、わたしの部屋のベッドに運んでやる。

 首元までしっかりと布団をかぶせてやると、二匹は幸せそうに「むにゃむにゃ」と口元を動かした。



「ふぅ、ちょっと冷えてきたかも……」



 わたしはベット脇にある箪笥を開き、閻魔様が用意してくれた白い小花柄の紫色の羽織に袖を通す。

 するとそんなに分厚い生地でもないのに、ふわっと全身が温かく包み込まれる心地がする。


 それに心まで温かくなるのを感じなが、わたしは一人閻魔様が来るのを待った。

 しかし昨晩と同じ時間になっても待てど暮らせど閻魔様は現れず、そうして現在に至るのである――。



 ◇◆◇◆◇



「はぁーあ、早く食べてほしかったのになぁ……」



 牛乳寒天を乗せたお盆を床に置いて、わたしは渡り廊下から足を外に投げ出して座り込む。床がヒヤリとして冷たい。

 茜が言っていた、「閻魔様に声を掛けるのは一苦労」という言葉が今更ながらに身に染みてくる。



「もしかして昨日はわたしの様子を見に来る為に、いつもより早めに宮殿に戻って来てくれたのかしら?」



 だとしたら普段は一体何時間労働なのか。こんな調子じゃ夜が明けてしまうわよ……。



「はぁ……」



 冥土は昼間はぽかぽか陽気で暖かいのに、夜はとても冷える。

 わたしは羽織を体に巻き付けるようにしてぎゅっと握りしめた。



「…………」



 微かな鬼火が渡り廊下を照らすだけの、真っ暗な誰もいない空間。

 それはわたしにどこかいい知れぬ恐怖を湧き上がらせる。

 暗い場所で一人きりは怖い。

 あの、恐怖でしかなかった悪夢の一週間・・・・・・を思い出すから――。



 ――――……。



『お腹空いた……』



 ……――あれ?



『お腹空いた……』



 ああ、またこの夢か。いつの間に寝ちゃってたんだろう?

 真っ暗な部屋の床には、相変わらずゴロリと倒れた小さな女の子が、か細い声で何度も何度も同じことを呟いている。



『……お父さん、お母さん、お腹空いた』



 ……っ!?


 と、そこで暗くて見えなかったはずの女の子の顔が今はハッキリと見え、わたしは息を呑んで目を見開く。

 だってその顔は……、鏡台で今朝見たわたしの顔・・・・・そのもの・・・・



『お父さん、お母さん……早く帰ってきて……』



 ――そう、だ。


 この女の子は、幼い日の〝わたし〟――……。



「――――桃花!!」


「……っ!?」



 名を呼ばれてハッと顔を上げれば、いつの間にか閻魔様が心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。

 それに慌てて身を起こして、キョロキョロと周囲を見渡す。



「へ、閻魔、様……? あれ……わたし、何を……」


渡り廊下こんなところで桃花が寝ているから驚いたよ。月見でもしていたのかい?」


「……え」



 あれ……? わたしはここで何をしてたんだっけ? 寝てた??

 何か夢を見ていた気がするが、よく思い出せない。



「ほら、夜は冷えるから、早く部屋に入りなさい」


「あ……」



 ぼんやりとした頭のまま、わたしは閻魔様に肩を抱かれて自室へと向かう。



「!!」



 ――が、視界の端に渡り廊下に置きっ放しになっていた牛乳寒天が目に入った瞬間、思い出した。

 そうだ! 閻魔様にこれを食べてもらわなきゃいけないんだ……!



「違うんです、閻魔様! 月見じゃなくて、わたしは……!」


「? 桃花?」



 そこでようやっと完全に目が覚めて、わたしは慌てて閻魔様に向き直ったのだ。


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