十九話 閻魔様の故郷


「あ、泳いでる、泳いでる。赤いのに白いのもいるわ。可愛いわねー。まさか冥土に鯉がいるなんて思わなかったわ」



 ひょうたん池に茜と葵と共にやって来たわたしは、池の中央に架かる石橋の途中で屈んで、池の中を覗き込む。

 池には赤い鯉に白い鯉、金や黒、まだら模様のもいて、優雅に泳ぐ姿はわたしの目を楽しませてくれる。



「ん? ああいや、ここの鯉たちは厳密には冥土生まれではないアカ」


「全て閻魔様が故郷の高天原たかまがはらから連れてきたものアオ」


「高天原? へぇー、閻魔様にも故郷があるんだぁ」



 高天原というと、たくさんの神様が住んでいる場所なんだっけ? 

 なんか日本神話でそんな場所が出てきた気がする。



「閻魔様は忙しい合間を縫って、たまにここの鯉たちを眺めに来るアカ」


「その時ばかりは普段無表情の閻魔様も柔らかく微笑まれていて、きっと故郷を懐かしまれているんだアオ」


「そうなのね……」



 神様のことは分からないが、故郷というのであれば家族や友達、……もしかしたら恋人もいたのかも知れない。

 ここの鯉たちは、閻魔様にとって故郷の憧憬そのものなのね。



 ――もや。



「ん?」


「どうしたアカ」


「ううん、なんでも……」



 ……あれ? 今の〝もや〟って、何??

 自分で考えといて変だけど、まさかわたし、閻魔様に恋人がいたって考えて、胸がもやもやしてる??



「いや……」



 いやいやいや、だって! 閻魔様って超長生きなんだから、恋人どころか奥さんがいたっておかしくないんじゃない! それなのに何〝もや〟って!?



 ――もや。



「わあぁ!! またっ!!」


「だから急に大声出してどうしたアカ!?」


「いや、その、……餌よ! 鯉に餌あげなくちゃ!!」


「?? なんかえらく気合いが入っているアオ」



 モヤつく心を吹き飛ばすようにわたしが叫ぶと、横にいた茜と葵が不審そうに顔を見合わせている。



「……よく分からんが、やる気があるのはいいことアカ。そこで手を叩いてみろアカ」


「手?」


「音に反応して、鯉たちが口を開けて顔を出すアオ。そしたら口に餌をばら撒いてやるアオ」


「へぇー、こう?」



 茜と葵に従い、屈んだまま手をパンパンと叩くと、一斉に鯉たちが水面から口をパクパクさせて顔を出した。



「わぁっ、出てきた出てきた!」



 すかさずわたしは持っていた鯉用の餌を、その口に目掛けてばら撒いていく。



「ふふっ、勢いよく餌を取り合ってるわ。まるで茜と葵みたいね」



 ガバガバと必死に餌を飲み込もうとする鯉たちの姿が、さっきの筍ご飯を競うようにかき込む二匹と被って見えて、思わずくすりと笑う。

 すると茜と葵が驚愕の表情でわたしを見た。



「は、はぁぁ!? 言うに事を欠いて、オイラたちがこんな鯉みたいに意地汚いとでも言うのかアカ!?」


「あら、だってさっきも筍ご飯のおかわりでケンカしてたじゃない?」


「あれは茜の食い意地が張ってるせいアオ! オイラより多く食べてたのに、まだ食べようとしてたからアオ!」


「シレッと嘘つくなアカ! 多く食べてたのは、そっちアカ!」


「はいはい、どうどう。余計なこと言ったわたしが悪かったわ。だからほら、ケンカしないで茜と葵も餌やりやって」



 食堂での一件に引き続き、またも睨み合う二匹をべりっと引き剥がして、空気を変えるようにわたしは鯉の餌をそれぞれの手に押し付けてやる。



「「…………」」



 すると二匹は無言で受け取って、バラバラと餌を撒き出した。ひょうたん池の右側が茜、左側が葵。それぞれ分担して、きっちり全ての鯉に餌が行き渡るように効率よく撒いている。

 ……まったく、仲が良いのか悪いのか。



「そういえばここからだと、裁判所がよく見えるのね」



 餌を掴んで汚れた手を払って立ち上がれば、宮殿と同じ特徴的な朱色の柱と黒塗りの屋根が目に入る。

 閻魔様は今まさにあの中で頑張っているのだ。



「――ねぇ、茜と葵は手軽でつるっとした料理って言ったら、何が浮かぶ? 実は昨日の夜、閻魔様にリクエストされたんだけど……」



 サラッとなんて事のないことのつもりで言ったのだが、茜と葵は鯉に餌をやる手を止めて叫んだ。



「何ぃ!? 閻魔様から直々にご要望されたのかアカ!?」


「桃花すごいアオ! それならばきっと塩むすびに違いないアオ!」


「おお、冴えてるな葵! 確かに塩むすびに違いない!」


「いや、おむすびは手軽だけど、つるっとはしてないでしょ」



 さっきまでの一触即発が嘘のように、二匹揃ってドヤ顔する茜と葵に思わずつっこむ。

 それただ閻魔様に、自分たちの作った塩おむすびを食べてほしいだけじゃない。



「気持ちは分かるけど、今回は閻魔様の好みに合わせることが大事でしょ? 食べる幸せを少しでも知ってもらうことが重要なのだから」


「ううむ、まぁそうかアカ。しかし〝手軽でつるっとした料理〟など皆目見当もつかんアカ。何せオイラたちは塩むすび以外、ろくに料理を知らないアカ」


「まぁそうよね……」



 だからわたしに料理を作れって言ったくらいなんだし。



「んー、オイラは牛乳がいいと思うアオ。牛乳を使った石鹸で洗うと体がツルツルになって、生き返った心地になるアオ」


「それは〝つるっと〟違いでしょ? そもそも牛乳石鹸は料理じゃないし……――あ」



 ああ、そっか。

 閻魔様でも食べられる、手軽でつるっとした料理。


 それは――……。



「茜、葵! そういえば脱衣所にあった牛乳なんだけど、あれをわたしに分けてもらってもいい!?」


「あー? 別に毎回大量に供物として献上されるし、何なら全部持ってっていいぞアカ」


「でも何に使うんだアオ? さっき牛乳は料理じゃないって言ってなかったかアオ?」



 不思議そうに小首を傾げる二匹に、わたしはにっこり笑って見せる。



「料理じゃないなら料理にすればいいのよ。牛乳はね、最高に手軽でつるっと美味しい甘味に変身するの。これならきっと閻魔様も気に入ってくれるわ!」



 料理は決まった。

 後は作って閻魔様に食べてもらうだけ!



=たけのこご飯・了=


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