咲夜の ” 巣 ”
「ごめん、また出張。今度は佐賀のサティスファクションセンター」
電話をしながらロッカールームのロッカーにもたれかかる。嘘をつくのに抵抗はなかった。子どもの頃から父に怒鳴られたくなかったから必死に嘘をつくスキルを磨き上げた。嘘は馬鹿にはつけない。嘘をつくたび頭が良くなり、おかげで大学に進学できた。父には感謝している。
手には日本酒のビン。咲夜へのプレゼントだ。
「また出張?」
「ホントよ」
淡々と言うと和也は黙り込んだ。和也はもうメキシコシティから日本に戻り、今はわたしの家から毎日平塚の大学へ通勤している。どうやら暇になっているらしく、わたしが帰るといつも家にいる。
「じゃあ、わたし、忙しいから」
電話を切る。
撤去工事の発注検討資料を作り、朝川部長から見積書のアサインをもらった。今後、下請けの派遣会社に梱包工程の社員を減らすよう指示が行く。つまり咲夜はわたしの仕事で解雇される。わたしの子どもたちも解雇される。すべて廃棄処分になる予定だ。
自分の仕事が突然無かったことにされる。その虚無を打ち消すため、これまで子どもたちを引き取ってくれるサティスファクションセンターを探した。北は仙台の配送センター、南は佐賀のサティスファクションセンター。だが、どこも引き受けてくれなかった。
仕事、そして人生をヘルメスに否定された気がした。自暴自棄だった。沖宮の調査も、牧野の証言以外に、手がかりがまったくなかった。
ロッカールームから出て会社を退勤。まっすぐ咲夜の家に行く。咲夜の家は市街地の外れ、小田急の足柄駅のすぐ近くにある。
コンテナを積んだトラックが、ガソリン臭を撒き散らして走っていた。交差点の角のパチンコ屋は老人たちが必ずたむろしていた。一歩路地に入ると静かな街だった。ひどく煤けた外壁のマンション。道路のアスファルトの舗装が裂けて、そこからひょろひょろ生えた雑草……。
咲夜のアパートは棺桶のように真四角くて白い建物だった。到着すると咲夜は一階の錆びついた郵便受けを開ける。目線を外して部屋を見渡す。
万年床の布団はへたり、大量のティッシュとコンドームが転がっていた。ストゼロとモンスターの空き缶で膨らんだゴミ袋が床にそのまま置かれ、下に敷いていたヘルメスの段ボールがシミだらけになっていた。
ここが咲夜の家だった。家というより巣といったほうがいいかもしれない。その巣のなかに、無理やりはめこんだように医学書が積まれていた。
「医学部に通ってるけど、休学しているんだよね。外科医になりたくてさ」
咲夜はシャツを脱ぐと、リンドウのタトゥーを見せつけてきた。
「事故で腹を切っちゃってさ。そのときに助けてくれた医者に憧れてね。でも、どうしても傷が見えちゃって、隠すためにタトゥーを入れているって感じ」
咲夜は一呼吸おくと言葉を続けた。
「復学するとどうしても金が足りない」
「いくら?」
「私立だから三千万円ぐらい」
それぐらいはいくだろう。
「私立の医学部に行くんだから実家が太いんじゃないの? なんで働いているの」
「親父の金払いが悪くなった。妹に使いたいんだって。生活費もままならなった」
それを聴いた瞬間、脳裏にあるアイディアが浮かんだ
「咲夜さ、保険金殺人ってどうよ? わたし、和也を殺して、お金を稼いであげる」
咲夜の肩を叩いた。
「いいの?」
咲夜の顔はサティスファクションセンターのときと同じく、上機嫌だった。
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