ずっとずっと

栗須帳(くりす・とばり)

第0章 想い

第1話 追憶


「ご新郎様、お待たせいたしました」


 ウェディングプランナーの声に振り返る。


「……」


 純白のウェディングドレスを身にまとった、愛する女性ひと早希さきが照れくさそうに微笑んでいた。

 ベール越しに見える早希の笑顔は、これまで見たどの笑顔よりも輝いて見える。


信也しんやくん、その……どうかな?」


「……え? あ、ああ、すまん。今一瞬死んでた」


「なによそれ、ふふっ」


「ふふっ……しばらくお二人でお過ごしください。では」


 二人のやり取りに微笑みながら、プランナーが式場の扉を閉めた。


「……びっくりした」


「あのぉ……信也くん? 何かこう、他にないのかな。このドレスに決めるのに、何着見たか分かる? 旦那様に喜んでもらおうと必死に選んでる花嫁、可愛くない?」


「可愛いと……思います、はい」


「なのに最初の言葉がびっくりしたって、ひどくない?」


「ごめんなさい」


「よろしい。ではもう一度初めからね、ゴホン。

 ……信也くん、どうかな。私のウェディングドレス姿」


「抱き締めていい?」


「……ぎりぎり合格」


「厳しいな」


「そこはもっとこう、驚いた表情の後に『すごく綺麗だよ。まるでいつもの早希じゃないみたい』ってぐらいのこと、言って欲しかったんだけど」


「いや、早希はいつも綺麗だし」


「なっ……」


 信也の言葉に、早希の顔が見る見る赤くなっていった。


「早希?」


「も……もぉーやだなぁ信也くん! そんなこっ恥ずかしいこと、いきなり言わないでってば!」


 言葉と同時に、信也の背中を思いきり叩く。


「いってぇー! 何すんだよ」


「あ、ごめんごめん。おっかしいなぁ、こんなドレス着てたら絶対おしとやかになると思ってたのに。信也くんの顔見てたら、いつも通りになっちゃってた」


「嬉しくもあるが微妙な意見だな……それで? そのドレス、気にいった?」


「信也くんはどう?」


「ああ、よく似合ってるよ。早希にぴったりだ」


「えへへへ……じゃあこれにする」


「そうか? 一度きりのウェディングドレスなんだ。何時間でも付き合うよ」


「これでいいよ。大体信也くん、別のドレスに着替えても気付かないと思うし」


「それを言われると何も言い返せない。正直ドレスなんて、どれも同じにしか見えない自信がある」


「そんな自信もどうかと思うけど……でもこのドレス姿で信也くん、一瞬死んだんでしょ? ならこれでいい。これにする」


「分かった。でもいいのか?」


「何が?」


「まだ式まで半年近くあるんだ。その間に太って、サイズが合わなく……」


「ていっ!」


 早希の正拳突きが信也の腹に入った。


「がはっ……」


「信也くん……それ、花嫁に絶対言っちゃいけない言葉。減点」


「分かった、悪かったよ……早希お前、最近突っ込みが激しいぞ」


「そう? ハリセン持ってくればよかったかな」


「いやいやいやいや、花嫁が持つのはブーケだろ」


「まあそうなんだけど……でも今のでちょっといい案、浮かんだんだけど」


「一応聞くけど、何?」


「ハリセンみたいな扇形のブーケにしよっか」


「却下」


「えーなんでよー。いい考えだと思ったのにー」


「そんな形のブーケはあると思うけど、式中にそれで殴られたらたまらん」


「分かった?」


「分からいでか」


「ふふっ」


「ははっ」





 阪急電車に乗り込んだ二人は、扉前に一緒に立った。


「早希は座ってろよ。席、空いてるぞ」


「いいの。だって信也くん、座らないでしょ」


「俺はいいんだよ。俺より疲れてる人優先」


「だから私もここがいいの」


「そうなのか?」


「そうなの。折角の休みなんだし、こうして傍にいたいんだから察してよ……って、何言わせるのよ!」


「痛っ……っておい、所構わず突っ込むのやめてくれって」


「ごめんなさーい」


「お前……後で覚えてろよ」


「後でって……信也くん、何するつもり」


「家に帰ったら、泣くまでくすぐる」


「お願い、それだけはやめて」


「駄目だ。今日はどれだけ謝ってもくすぐる」


「そんな……信也くん、結婚が決まってから人が変わったわ」


「騙されたお前が悪い。後悔しても遅いからな、覚悟しておけ」


「ひどい、信也くん……」


 そんな三文芝居を続けている内に、電車が動き出した。


「……ねえ、信也くん」


 窓から淀川を眺めながら、早希が言った。


「どうした?」


「私、こんな幸せでいいのかな」


「大丈夫。俺の方が幸せだから」


「そんなことない。私の方が幸せよ」


「勝負するか?」


「いいわよ。かかってきなさい」


「早希の手料理はうまい」


「信也くんの寝顔は可愛い」


「洗濯物のたたみ方が綺麗」


「寝ぐせが可愛い」


「いつも笑顔で元気」


「死んだ魚の目の時も可愛い」


「おい」


「何?」


「これって今、自分がどれだけ幸せか、お互いの魅力について語る勝負だよな」


「そうよ」


「寝ぐせや魚の目の、どこが魅力的なんだよ」


「えー、だって今言ったのって、全部私しか知らないことなんだしー」


「分かる、それは分かる。だけどな、にしても……だ。もうちょっと他にない?」


「信也くんは世界で一番かわいくて格好いいの!」


 早希の言葉に、乗客たちの視線が一斉に二人に注がれた。


「あ……いや、どうもどうも、失礼しました」


 信也と早希が、照れくさそうに頭を下げる。


「お前……家じゃないんだからさ」


「ごめんなさい……反省してます」


「ったく、この嫁さんは」


 そう言って早希の頭を荒っぽく撫でると、早希が嬉しそうに笑った。


「えへへへっ……ねえ信也くん」


「何?」


「私やっぱ、幸せ」


「ああ……俺も幸せだ」


「帰りにまた、遊歩道で散歩しよ?」


「ああ、そうしよう」


「こうしてこれから、ずっと一緒なんだよね」


「ああ。ずっと一緒だ」


「ずっとずっと」


「ああ……ずっとずっと」





「まもなく新大阪―、新大阪―。新大阪を出ますと、次は高槻に止まります」


「ん……」


 車内アナウンスが次の停車駅を告げた。

 おいおい、阪急電車に新大阪駅はないだろ。車掌さん、寝ぼけてるのか?

 そう思いながら信也が目を開ける。


「……」


 扉前で立っていたはずなのに、信也は4人掛けの座席に座っていた。


「……早希?」


 隣の早希に声をかける。


 しかし隣にいたのはサラリーマン風の男性で、信也の問いかけに妙な顔をした。


「あ……すいません、寝ぼけてました」


 慌てて謝り、窓の外に目をやる。

 窓から淀川が見えた。

 しかし、阪急電車から見える景色とは違っていた。

 そして自分が今、JRの新快速に乗っているのだと思い出した。


「そっか……夢、見てたんだ……」





 新大阪で各駅停車に乗り換え、東淀川駅で降りた信也が、家路へと向かう。


 今しがた見た夢。あれは自分の人生で、最高に幸せな瞬間だったに違いない。

 しかしそれを今、俺に見せるか?

 脳味噌を引きずり出して、踏み付けてやりたい気分になった。

 自分の身に降りかかった残酷な現実。

 それをまだ、自身が受け止められていなかった。





 愛する女性ひと、早希の死をーー



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