電脳バニーとゲームモノ。

達間涼/MF文庫J編集部

プロローグ とあるヰ世界のメイデイ

 災厄の時代。人々は新天地を求め、機械仕掛けのはこの中に総てを移した。

 ──拡張都市パンドラ。

 おのが欲望から禁忌の匣を開いてしまった、はじまりのヒトから名を借りて──そう名付けられた電脳のはこぶねは、人類の夢と希望を乗せ今日も人々と同じ希望を夢に見ている。

 電子回路が刻まれたその、機械仕掛けの脳細胞で──



         ●


 企業から買い付けた〝目〟の調子は良好だ。

 男は、手のひらに拡張した〝視覚〟を正面の水球の中へと挿し入れ、ほくそ笑む。

「──来るぜ、来る来る……これで決まりだ」

 高級ホテルの一フロアを借り切った、豪奢なパーティーホール。僅かな人影だけを残した会場の中央には、直径一メートルほどの黒塗りの球体が浮いている。

 巨大な天球儀のようにも見えるそれは、星の数ほどのダイスをかきまぜる球形水槽シャッフルボールだ。

 傍目には影の塊と化した赤と黒の六面ダイス──各面にはトランプに類した数字が刻まれており、その出目のパターンはダイスを観測してみるまで解らない。プレイヤーは水槽の内からダイスを交互に五つまで獲得し、その都度好きな目を手元のボードにセットしていく。

 一度セットした出目の変更はできない。いい役が揃いますように──と、思い描いた未来予想図に両手を擦り合わせながら、一つ一つ、球形水槽からダイスを抜き取っていく。


 それが、パンドラゲーム『ヘクセンポーカー』のルールだった。


 一見するとただの運ゲーにすぎないこのゲーム。

 しかし、その男には総てが見えていた。男が掴み取ったダイスはまさに狙い通り──

「──きっと見えていますのね、おじさまには」

 昏く不鮮明な水球の奥、対面に立った少女は感心したようにそう呟いた。

「視覚機能を別の何かに代替させたり、不規則に見せかけたデタラメから最善の一手を見極めたり。そういう感覚拡張センシビリティ系の『EP』が最近の流行りだって、お父様から聞いたことがありますわ」

「くく。ズルいだなんて言うなよ? 恨むんなら、そんなチートを世にばら撒いたお父様を恨むこったな。まあ明日にでもその社長様の席は、俺の物になってることだろうがな」

「……くふふ。それはユメがあって素敵なことですわね。でも、御免なさい──」

 口許に手をやって上品に笑う少女に、男は勝負を忘れ、一瞬、気を許しそうになる。

 幾多の女神様も幼き日にはきっと、この少女と似たような笑みを湛えていたに違いない。

「わたくしがゲームで負けることなんて、万に一つもありませんわ」

 まだ正邪の半ばにいる、穢れも挫折も知らぬ無敵の微笑みを。

「……おい、それは──何のつもりだ」

るんですのよ。だって、ずっと眺めてたら目が回りそうなんですもの」

 羽根飾りを編み込んだ亜麻色の髪に、艶やかな肌を魅せる軽やかなゴシックドレス。

 男の反対側から水球へと手を挿し込んだその可憐な少女は、宣言通りに目を閉じていた。

 それは運否天賦を装った第六感イカサマゲームを、ただの運ゲーへと堕とす自滅行為。

 にも拘わらず少女は両の目を瞑ったまま、川面を拌ぜる流水をそっと撫でるような手つきで、偶々そこに流れ着いた一つのダイスを手のひらに掬い取って、こう言うのだ。

「──赤目の★は確か、〝ジョーカー〟でしたわね。これで〝A〟が五つ。

 この『ヘクセンポーカー』においてファイブハンドは、あなたの最善を超える──」

「……ば、ッ!?」

 勝利の宣言は鮮やかに、しかしその決着は呆気なく。愕然と目を見開いた男の手から、最善の役の一ピースを担うはずの最後の〝A〟が、ボード上に転げ落ちた。

 あらゆる手を尽くして揃えたロイヤルフラッシュ、その最強が敗れたのだ。

「さて、ゲームにはわたくしが勝ってしまったわけだけど……。くふふ。この次は一体なにを見せてくださいますの? お、じ、さ、ま──?」

「……ッ、冗談じゃない! こんなの、付き合ってられるか……! 行くぞ!」

 パーティーホールには、ゲームを見守る人影が他に二つあった。

 華やかなバニーガールの衣装に身を包んだディーラーが二人。男は自身の付き人も務めるバニーガールを呼び付けると、憤然とした様子で踵を返した。

 そんな主の背に付き人のバニーガールが「あっ」と声を掛けようとして──

「どこに行く、人間様」

「……ぃっ!?」

 男の逃走を妨げたのは、不意に首元に差し込まれた──二刀分の剣閃だった。

「貴様様にはまだお嬢様の〝希望〟を叶える義務が残っている。それを放棄して立ち去るつもりなら、こちらも相応の手続きを踏まなくてはなりませんが?」

 騎士風の装いに、二振りの刀剣を携えたバニーガール。それが、男の隣には立っていた。

 眼下に迫る真剣そのものの殺気を前に、男は情けなく尻もちをつく。

「……待て待て、待ってくれ! これは何かの間違いだ……俺は完璧にやった! 一体どんなイカサマで……!? こんなデタラメなチートがあってたまるかッ!」

「くふ。イカサマ? チート? そんな大それたモノじゃありませんわ」

 少女は組んだ腕で胸を押し上げながら、悪戯っぽい笑みに人差し指を添えてこう言った。


「わたくし、運がいいんですの。それも──神がかり的なほどに」


 機械仕掛けのこの世界に神様はいない。

 あるのはその身で奇跡を叶えようとするヒトの意思だけだ。

 そしてここパンドラには、ヒトの手で作られたあらゆる奇跡を叶える〝法〟がある。

 それは神を捨てた『新世界』で行われる、夢と希望に満ちた新時代のゲーム──


「──じゃあ、ニト。あなたの力でわたくしの希望を叶えてくださいな」

「イエス、マイレディ。電脳天使の名の下に──とりメイ様の希望を徴収致します」

 言葉と共に、天使を自称するバニーガールの双眸が琥珀色と紅玉ルビー色の光を灯した。

 意識の断絶と共に頽れた男の胸中から、勝者を称える〝黄金の匣トロフィー〟がいま徴収される。

「くふふ。それじゃあ戴いていきますわね。──おじさまの〝ユメ〟を」

 そうして少女はウサ耳をその冠に頂いた天使を連れて、上機嫌に会場をあとにするのだった。


「──ねぇ、ニト」

 ゲームのあと、少女の姿は都会の街並みを一望できる、時計台の展望にあった。

 時計の針は夜の八時頃を指している。特に代わり映えのしない街の夜景を眺めつつ、少女は手のひらに載せた〝黄金の匣〟を満月に透かしながら、ウサ耳の従者に問いかける。

「もしもこの世界が明日終わってしまうとしたら。あなたはどんな〝ユメ〟を見ますの?」

「……さぁ。私たちはユメを見るようにはできておりませんので……解りません」

「そう。それは残念ね。天使の見るユメにも興味がありましたのに」

 ええ、残念です。と頷くとうウサギを傍に置き、少女はそのもしもを想う。

 人工の月明かりの下。まるでいま思い出したかのように流れ始めた夜風が少女の肌をくすぐり、彼女は「くちゅん!」と可愛らしいくしゃみで肩を震わせた。

「お嬢様。そろそろお部屋に帰りましょう。人間様の身体に夜風は毒です」

「……ええ、そうですわね。ベッドに入る前に温かい紅茶でも淹れてもらえるかしら」

 少女はもう一度だけ夜の街を見やり、手に入れたばかりの〝希望〟を胸に懐いた。

「──今日こそはいいユメが見られるといいのだけど……」

 そう呟いた少女の姿はもう、夜の街からは消えている。

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