第17話 陸軍省

 陸軍省へ向かう道中、宍戸は内務省の職員から貰った拳銃の使い方を、簡単に教えてもらっていた。

「……とまぁ、十四年式拳銃の使い方はこんなものです。あとは取り扱いに注意すれば大丈夫でしょう」

(ホントかなぁ……)

 今度は実弾を装填している。何かあったとき、引き金を引けば発砲できる状態だ。

「特に今の陸軍省は、かなり治安が悪いと言っても過言ではありません。最低限の身の安全を確保しておくのは仕方ないかと」

 宍戸は、自分に向かって軍刀を振りかざす陸軍省職員の姿を想像する。なんとなくリアリティがあることに悔しさすら覚える。

「到着しました」

 問題の陸軍省である。正門の前では、すでに職員と思われる下士官が待機していた。

「くれぐれもご安全に」

 内務省の職員に念を押される。宍戸は緊張しつつ、車を降りた。

「宍戸和一様ですね?」

 下士官に尋ねられる。

「はい」

「念の為、身分を証明できるものは持っていますか?」

「えっ?」

 突然そのようなことを言われてしまい、宍戸は冷や汗をかく。今持っている鞄の中身を必死に思い出す。この鞄は、内務省の職員が必要な書類が入っているといって、持ってきてくれたものである。

 そして、ある物を思い出した。

「こ、これならいかがですか?」

 そういって鞄の中を見ずに手を突っ込み、それを取り出した。

 小さな桐箱である。宍戸は桐箱の蓋を開けた。

 そこには、伯爵であることを示す徽章が丁寧に収められている。

 それを見た下士官は、思わず背筋が伸びた。

「失礼しました。ご案内します」

 下士官は陸軍省の中へと進む。

 正面の入口を入り、そのまま一階の奥のほうにある部屋に案内された。こちらでも海軍省と同じように、男性数名がすでに待機していた。

「宍戸様をお連れしました」

「よろしい」

 どことなく空気が悪いのを、宍戸は感じ取っていた。

「し、失礼します」

「宍戸和一、そこに座りなさい」

 正面の男性は、対面の椅子を指さす。宍戸は大人しく従った。

「本日は陸軍としての方針を提示すると聞いていますが」

「え、えぇ。もし要望があるなら、可能な限り聞きます」

「可能な限り? あなた、先日の御前会議でなんと言ったか覚えています?」

 正面の男性の言葉には、怒りの感情が含まれていた。

 そして、この間開催された御前会議のことを思い出す。

「確か、満州国から関東軍を撤退させる……と」

「えぇ、そうです。内閣の賛成多数でこれが決定しました。しかも陛下の目前で。これのせいで陸軍省のメンツは丸つぶれですよ」

 怒りの感情が含まれていると言うより、明らかにキレていた。

「それはそうかもしれませんが、これ以上連合国から経済制裁をされたら戦争すらできませんよ?」

「えぇ、そうです。だから戦争でなんとかするのですよ。戦争は外交の延長なのでね」

「しかし……、現実的とは言えないでしょう?」

「他の提案も現実的ではないのにですか?」

「それは……」

 宍戸は言葉に詰まる。

(確かに対ソ連を考えるなら、満州を見捨てるのは少々酷な話だ。だが、根本的な問題が二つある。満州国を事実上支配している関東軍と、連合国の経済制裁だ。満州から関東軍を撤退させることができれば、連合国の支援を継続することができるはずだ)

 しかし、これを理論立てて説明するには準備が足りない。

 ならば、別の手段で納得させるしかないだろう。

「満州国を撤退する前提で、要望を出してください」

「チッ……」

 正面の男性は、聞こえるように舌打ちをする。そしてしぶしぶ紙を渡してきた。

 要望としては以下の通りである。


一、満州の死守

二、民族解放

三、米英との対立


 結局はこんな所だろう。

「これで満足ですか?」

「そうですね……。この場で確実に言えることは、一番目の要望は達成去れないことでしょうか」

「そうですか」

「ただ、三番目の要望は、海軍省と同じですね。この辺はすり合わせれば、なんとかなるでしょう」

「海軍の連中と同じ思考をしているのは少々癪ではありますがね」

 そういって宍戸は、要望の紙を鞄にしまう。

「これは今後の参考にさせていただきます。では今日はこれで」

 そういって宍戸が立ち上がって、部屋を出ようとする。

「ちょっと待ちなさんな」

 すると、ずっと部屋の隅に立っていた軍人が、宍戸のことを制止する。

「……なんでしょう?」

「少しばかり権力を振りかざしすぎなんじゃあありませんかね?」

「そんなことなないと思いますよ」

「果たしてそうでしょうかねぇ。総理や内閣閣僚、挙句の果てには陛下ともお会いした。これが権力の乱用でなくて、なんと呼ぶので?」

「……何が言いたいんです?」

「あっしはね、あんたのような人間が大嫌いでさぁ」

 そういって、腰に帯びていた軍刀を抜いて、刃を宍戸の首に近づける。

「手荒な真似はしたかねぇ。今すぐにでも爵位を返還してきな」

「それは困ります。だから……、抵抗します」

 そういって宍戸は、懐に入れていた十四年式拳銃を取り出して、銃口を軍人に向けた。

「実弾が装填済みです。この距離なら外すことはないでしょう。お互い、痛い思いはしたくないでしょうし」

 軍人は少しの無言の後、軍刀を下ろした。

「あんた、肝っ玉は座っているようだな」

「そうですか? まぁ、戦いを回避するために戦うことも躊躇しない性格なので」

 そういって宍戸は拳銃をしまいつつ部屋を出た。そのまま来た道を戻り、陸軍省の敷地を出る。

「……っぶねー! 死んだかと思った……」

 いまだに心臓がバクバクしているのが分かる。

「さて、この後の日本の向かうべき道でも考えねばな」

 そういって宍戸は、内務省の職員が待っている車に向かう。

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