第22話 過酷な訓練

 マリーは一刻も早くこの旅を終え、屋敷に、日常に戻りたかった。

 前回のモルメオン廃坑での出来事は、間違いなくマリーが経験した中で最も過酷な一日だった。

 エリザに伝えた言葉は本心だったが、いくら短期間で素晴らしい成果を得られるとは言っても、身体も心も持つはずがない。

 これ以上の恐怖も、苦痛も危険も存在しないと思っていた。

 アークにパーフェン領までの同行を命じられるまでは。


『マリー。移動中は馬車内の気温管理よろしく頼むよ』

 

 まるで当たり前のように指示された、馬車内の温度の管理。

 冷気系以外に使えないマリーだが、魔術の扱いにはそれなり以上の努力をした結果、人並み以上の実力を持っている自負があった。

 そんなマリーにとっても、冷気の魔術で人の快適な温度を長時間維持するというのは至難の業だ。

 魔力量さえ許せば、相手を凍らせるような魔術を放つ方がずっと簡単だ。

 魔術師ではない者のよく勘違いされることだが、広範囲に強力な威力の魔術を放つのは、技術の観点から見れば決して難しいことはない。

 あくまで、それを実現できる魔力量と、その魔力を適切に望む魔術に変換できる知識があればできる。

 要は、深く考えずに最大出力で、基本通り魔術を放てば実現できるのだ。

 一方で、範囲を指定したり、魔術の威力を最適な強度に調整するのは、魔術を扱ったことのない者が思う以上に難しい。

 魔術は理論であり、その理論に従って具現化させる。

 誰かが作り出したものを暗記して使うだけでは、アークの要求は絶対に達成できない。

 単純に威力を弱めればそれに引きづられるように範囲も狭くなる。

 威力を弱めるのだって、適当に弱めるだけなら大きな苦もないが、刻々と変わる周囲の温度を一定に保つのであれば、出力をそれに合わせて調整し続けなければならない。


 ――ランディ様は一体どうやっているのかしら……。


 マリーは初め、適当に威力を弱めた冷気をアークの周りに放っていた。

 アークから寒いや暑いので言葉が出たら、都度威力を変更させた。

 冷やすべきはアークであり、馬車全体など考えていなかった。

 ところが、エリザにも同じことをしろと言われ、要求されている範囲が馬車ないだということを理解し、絶句した。

 四苦八苦しながら理論を再構築させ、特定の範囲を均一に出力できるようになってすぐ、アークは微調整を要求してきた。

 そこでようやくマリーは、アークが出す指示がエリザの言うなのだということに気が付いた。

 試しに拒絶の意を見せてみても、ランディの名前を出せれてしまえば従うしかない。

 アークの前でランディへの絶対なる忠誠を示したことはないはずだが、人心掌握というのこうやるのだ、とまざまざと身を持って見せつけられた。

 会う以前の評判や認識など、どこか遠くへ行ってしまった。

 アーク・クライエ子爵は今まで牙をひたすらに隠し通した、傑物なのだとマリーは理解した。


 ――指示のタイミングがあまりに的確過ぎる。指示は簡潔で、一見深い意味がなさそうだったり、全く関係のないことように思える……でも。エリザ様の言う通り、その真意はもっと深いところにありそうだと、アークという人物を知れば知るほど思わざるを得ない。


 範囲を一定の強度で放つものでは微調整は対応できない。

 マリーはすぐさま、たった今ようやく出来上がった達成感を持った理論の再構築に迫られた。

 大きなストレスを受けながら、理論を大きく分解させ目的の結果が得られるよう組み立てていく。

 本来ならば何日も、あるいは何年も机にかじりつきながらやるような作業だ。

 それを、揺れる馬車の中で、主人を凍り付かせないように気を払いながら、やれと言うのだから狂気としか言いようがない。

 結果的に現在、任意の範囲を複数箇所同時に、温度を調整することが可能になった。

 そこに至るまで、何度も魔力枯渇になりかけたが、アークの持つでたらめな回復力を示す魔力回復ポーションのせいで、休むことも許されない。

 魔力枯渇は気絶するような辛さだが、魔力回復ポーションは口に入れる行為すら身体が拒絶する辛さだ。

 その辛さを短い間に交互に何度も経験しなければならないのだから、精神の方が先におかしくなるところだったのだが。

 マリーの心を繋ぎ止めたのは、アークが魔力回復ポーションを流し込むように飲み続けている姿だった。

 詳細は分からないが、マリーには想像も付かない高いレベルのやり取りが、パーフェン伯爵に会った時に行われたのだろう。

 そして、その結果アークは膨大な魔力を使い続けなければいけない状況にあると推察できた。

 主人がそこまでやっている中、臣下である自分が根を上げては、申し訳が立たない。

 きっとこの訓練も何か意味があるのだろう。


「うん! マリーもだいぶ上手くなってきたみたいだね。馬車の中はどこも快適そのもだよ! ところでさ。今更気が付いたんだけど、外の御者は直射日光浴びてて相当暑いんじゃないかな? 彼の周りも涼しくしてあげてよ」

「う……本当に意味なんかあるんですか? 単なる思いつきじゃなく?」

「え? 意味? うーんと。マリーは御者が暑さで倒れたらかわいそうだなーとか思わない? まさか、そんな酷いこと言わないよね?」

「……酷さでいうなら、アーク様に勝る方はいないと思います」

「え? 僕が? 嫌だなぁ。僕ほど人畜無害な人なんてそうそういないと思うよ? 才能がないという意味で」

「少なくとも人の感情を逆撫でする才能は、十二分だと思いますよ……」


 マリーは一刻も早くこの旅を終え、屋敷に、日常に戻りたいと、再度強く思った。

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