第50話 好きは増えるようです

「あ…」

 慌てて目を開けると、アルバート様が少し不安そうな表情でこちらを見ていた。

「嫌だった、かな?」

 私は首を横に振った。初めて触れた唇に心臓が五月蠅いし、きっと今の私はリンゴの様に真っ赤だろう。

 10年前は指先や髪にキスをされたことはあったが、ちゃんとしたキスは今が初めてだ……

「よかった。クリスに触れて怖がらせないかと心配で、何も出来なかったんだけど、君が帰ってしまうと思ったら、どうしても触れたくなった。もう少し触れてもいい?」

 私は無言で頷いた。この場合なんて答えたらいいのか、前世の私の記憶を総動員しても見つからなかった。だってこんなに優しく扱われたのは、初めてだったから。クズ男の対処法以外思いつかないなんて、情けない。

 私が頷くと、アルバート様が蕩けるような笑顔で微笑んだ。心臓がきゅっと締め付けられた。

「愛している、クリス」

 先ほどより少し深く、私を怖がらせないように優しく唇を塞がれた。耳が心臓になったみたいにドクドク鳴っている。キスされる前よりも、一層アルバート様が愛しいと思う気持ちが溢れてくる。このまま離れて家に帰るのが寂しく思う気持ちと、家に帰れる喜びで私は終始混乱しながら、この時間を乗り切ったのだった。


「では、一度帰らせていただきます。いろいろと手配して頂きありがとうございました」

「気をつけて帰るんだよ。スコット侯爵家なら警備は万全だけど、何かあればすぐに連絡して欲しい」

 アルバート様はバングルをそっと触った。

「今夜から、約束だよ」

 バングルで会話をしようと言われたことだろう。私は微笑んでアルバート様のバングルを触った。

「はい、楽しみにしています」

「寂しくなったらいつでもすぐに帰っておいで。いつでも大歓迎だから」

 名残惜しそうに私の額にキスを落として、アルバート様は馬車が出るまで見送ってくれた。

 私はすぐにでも会いたくなって、ずっと遠ざかるアルバート様を見続けてしまった。今からこれでは不安しかない。


 キスをしてから、私の気持ちはアルバート様でいっぱいになってしまっていた。まるで今、初恋を体験している様に、気がつけばずっとアルバート様のことを考えてしまっていた。

「お嬢様、昨夜は眠れなかったのですか?少し目の下に隈が出来ていますよ」

 迎えの馬車に乗っていたベスが心配して聞いてきた。

「ごめんなさい。少し昨日は寝つきが悪かったの…」

 ずっとアルバート様とのキスを考えて、ベッドの中で悶えていたら、窓の外が明るくなっていたのだ…前世でそれ以上のことを経験した記憶が一応あったのに、昨日のアルバート様とのキスと比べると過去のそれはどれも酷いものだったらしい。


「おかえりなさい、クリス。待っていたわよ」

 スコット邸に着くと、キャサリン様が二人の男の子と共に出迎えてくれた。私が住んでいた屋敷にキャサリン様がいて、逆に出迎えてもらうのは少し変な感覚だった。それでも懐かしい屋敷の匂いがして、私はほっとして息を吐いた。

「ただいまかえりました。キャサリン様」

「さあ、二人とも、ご挨拶して頂戴」

「初めまして、クリスティーヌ伯母様。長男のジョシュア・スコットです」

「はじめまちて、アダム、でしゅ」

 ジョシュア君は5歳、アダム君は2歳だったはずだ。

「初めまして、どうぞクリスと呼んでくださいね」

「クリスちゃん。よろしく、でしゅ」

 アダム君が可愛い笑顔でぎゅっと抱きついてきた。柔らかい体からお日様の匂いがした。

「まあ、アダムったら、クリスのこと気に入ったわね。この子、好きなった人にはすぐに抱きつくのよ。大人になるまでに直さないと、将来大変なことになると思うのよ」

 確かにそうかもしれない。ジョシュア君の頭上には【誠実、温和】、アダム君の頭上には【女の子大好き、優柔不断】という文字が浮かんでいた。抱きつかれた時に吐き気も寒気もしなかったし、今後のキャサリン様次第で文字も変化するのだろう。


「クリスの部屋は10年前から、掃除する以外は変えていないの。だからそのまま使ってね」

 領地に基本的に住んでいるお父様たちの部屋をアレン兄様夫婦が使い、ミランダ姉様とアレン兄様の部屋を子供部屋として使っているそうだ。スコット侯爵家のタウンハウスは大きいので、両親やお姉様が来ても客室が十分にあるため、私の部屋は目覚めた時にすぐに使えるよう保存してくれていたそうだ。

「このままスコット侯爵家に帰れないまま、お嫁に出すのかと心配していたのよ。アレンに言ってもなかなか対応してくれないから、最近は口を聞いてあげてないの」

 まずはお茶をしましょうと、サロンでお茶とお菓子を食べながら近況を聞いていた。まさか私が帰れないことで夫婦の危機になっているのかと、お茶を飲む手を止めた。

「そんな深刻な顔をしないで。いつものことだから、気にしないでいいわ。大体はアレンが謝って来るからね」

 アレン兄様と親友だった王女殿下が、夫婦として生活している。実際目にしても驚くことが多い。可愛い子供たちに囲まれて、いろいろあるのかもしれないが幸せそうで良かった。

「それにしても、どうしてアレン兄様だったの?キャサリン様なら、もっといいお話は山の様に来ていたでしょう?」

「フフフ、そうね、それは否定しないわ。隣国や公爵家からも縁談は来ていたわ。でもね、隣国はクリスに会えないから嫌だったし、公爵家の嫡男はあまりピンとこなかったの。それに私結構王女らしくない性格でしょ?本性がバレている人の方が気も楽で、その点はアル兄様の側近で、よく顔を合わせるアレンにはバレていたからね」

 そういえば、目覚めた時に見せてもらった日記にも、巻き込まれたというようなニュアンスの言葉が書かれていた…

「だから、手っ取り早く押し倒したのよね」

「は?押し倒し…た」

「勿論未遂よ。でも、既成事実さえあれば十分でしょ?アル兄様にはすごく怒られたけど…」

「それはそうでしょうね…まさか馴れ初めがそれとは…」

「ちゃんと好きだったわよ。アレンは格好いいし優しいし、あの当時、令嬢の憧れの存在だったのよ。でも、王女である私には指一本触れる気配もなくって、まあ、当たり前なんだけど。それで、思い余って…」

「それで、押し倒したのね。流石はキャサリン様、思いっきりがいい」

 少しばつが悪そうに、お茶を飲むキャサリン様は、本当に可愛らしい。日記には今は幸せだとアレン兄様も書いていた。きっと当時から両想いだったのだろう。真面目なお兄様には、キャサリン様のような方がお似合いだと思った。

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