第32話 契約破棄です

 アルバート様の18歳の誕生日の1か月前に、私は16歳の誕生日を迎える。婚約解消の約束の日。本当なら、そこから留学予定だった。神様にお願いして、若干フライングで隣国に来てしまったけれど…

「そのことだが、あれからずっと考えていた。確かに私たちの始まりは、クリスからの契約婚約だった。でも、あれから6年以上側にいて、お互い成長もした。あの頃と違う感情だって生まれてもおかしくない。それを契約という言葉に縛られて伝えられないのは辛い。婚約は破棄したくないが、契約は破棄したいと思っている」

「契約は破棄、婚約は破棄しない…?」

 ガタンっと音を立てて馬車が止まった。どうやら目的地に着いたようだ。

「ちょっとだけ付き合ってくれないか?マッタン王国の観光名所なんだ」

「観光名所、ですか?」

 アルバート様に促されて馬車から降り、林の小道を歩いて抜けると眩しい光が目に入ってきた。そこは小さな湖で、丁度夕日が湖に反射してキラキラと輝いている美しい場所だった。 

 アルバート様は湖の畔まで私の手を引いて連れて行った。そして私の目の前で跪いた。

「え、あの…?」

「クリスティーヌ・スコット侯爵令嬢、私はあなたを愛している」

「アルバート様…」

「ずっと君と共に生きたい。王族である私と共にすることは、君に負担をかけることだと分かっている。でも、もう君意外と人生を歩む選択はできない。君を逃がす気はないんだ。私の手を取ってくれないか?」

 これは、もしかしなくてもプロポーズ?逃がす気はないとか、ちょっと怖いワードも聞こえた気がするけど…愛しているって。じわじわと喜びが心に広がっていく。

「私もアルバート様のこと、ずっと好きでした。約束だから、言えなくて…」

「クリスが私を…?」

 私はアルバート様の手をぎゅっと握った。

「私と結婚してくれるだろうか、クリスティーヌ」

「はい、お受けします。アルバート様と一緒にいたいです」

 アルバート様は立ち上がって、私をぎゅっと抱きしめた。私もアルバート様の優しい香りに包まれながら、おずおずと背中に手をまわした。

「ずっとクリスを抱きしめたかったんだ。可愛いクリス、もう離したくない。どこかにずっと閉じ込めておけたらいいのに。今すぐ連れて帰りたい」

 いつもクールなアルバート様が、全身で愛を伝えてくれて、若干怖いワードが混じっていることに冷や汗をかきながらも、夕日が沈むまで私たちは抱きしめ合っていた。他の観光客の視線は、この際無視だ。


「すぐに連れて帰れないのが、本当に残念だよ。でも、出来るだけ早く留学を終了して帰って来てほしい。遅くとも17歳の生誕祭で立太子する時には、婚約者として隣に立って欲しいから」

 急に留学を打ち切ると、申請した単位が取れないため、すぐに帰国することは出来なかった。アルバート様の生誕祭まであと2か月ほどある。それまでに、申請した単位を取得して、帰国の手続きをすることにした。

「はい、その頃には帰国できるように、頑張って単位取得します。少しだけ待っていてください。それと、食事、睡眠はしっかりとって、働き過ぎないでください。倒れないでくださいね」

「ああ、気をつける」

 名残惜しそうに、帰りも転移魔法門を通ってアルバート様は帰っていった。ちゃんと陛下に通行の許可は取ってあるそうだ。婚約破棄の危機だと陛下を脅した…いや、説得したそうだ。

 マッタン王国に残って魔法学園で申請した単位を全て取得できたのは、丁度アルバート様の誕生日の5日前だった。

「ギリギリでしたが、何とか目標の単位は取得できました。ミリアンナ様本当にお世話になりました」

「間に合って良かったわ。アルバート殿下にくれぐれも頼むと言われてから、間に合わなかったら何を言われるか…本当に怖かったわ」

「そんな大袈裟な…」

「いや、本気だから。そのままクリスを攫って行きたそうなアルバート殿下を説得して、クリスが残れるようにしたのはオリバー様だから、これで立太子に間に合わなかったら国際問題よ。オリバー様は気にしなくていいと言っていたけど、めちゃくちゃ気にするわ…」

「最後までご心配をおかけしました。留学すっごく楽しかったです。ミリアンナ様いろいろありがとうございました。次は観光をゆっくりしたいので、また絶対来ますね!」

「そうね、結局単位取得が忙しくて、あまり遊びに行けなかったものね…帰りは転移魔法門を使うんでしょう?ちょっとだけ観光してから帰る?」

「それが、今日帰ると連絡しているので、おそらく今頃転移魔法門の前で待っているような気がするので、残念ですが今日は帰りますね、アハハ……」

「アハハ…うん、帰った方がよさそうね…また、今度ゆっくり遊びましょう。気長に待っているわ」

 オリバー殿下とミリアンナ様に見送られながら転移魔法門を歩いて通った。このトンネルのような門をくぐると、通り抜けた先はディラン国の辺境伯の領内に繋がっているそうだ。隣国であるマッタン王国とディラン国の間には険しい山脈が連なり、この転移魔法門を使わない場合は迂回して進むため、10日ほど余分に日数がかかるそうだ。

 単位取得に思いのほか時間がかかり、5日後の立太子の儀式に間に合わせるため、転移魔法門を使うことになった。これも緊急事態だとアルバート様は考えたのか、使用許可の手紙が送られてきたのだ。

 聖女ではあるが、男性の頭上に文字が見えるチート以外、転生のチートっぽい天才的な頭脳などはなく、残念ながらいたって普通の頭脳だった私は、王子妃教育も早い段階から始めて、キャサリン様が助けてくれてやっと出来る程度。契約婚約でいずれは破棄されると思っていたので、王子妃教育でジョセフィーヌ様より出来が悪くても、深くは気にしていなかった。

 ところが契約は破棄され、このままいけば王太子妃になってしまう…焦った私は、少し無理をして留学先で出来るだけ単位取得できるよう頑張った。結果、ギリギリの期間までかかり、かえって迷惑をかけてしまったのだ……

「こちらでは、ミリアンナ様に助けられてやっと取得できたし…帰ったらもっと頑張らないとね。このままじゃ王太子妃に相応しくないって、いじめられそうよね…」

 溜息をつきながら、トボトボと歩いていると、出口らしい立派な門が見えた。これを通るとディラン国だ。少し懐かしく思いながら、門をくぐった。

「おかえり、クリス。待ちわびたよ」

 予想通りそこにはアルバート様が待っていた。

「ただいま帰りました。アルバート様」

 プロポーズされて以来、久しぶりに会うアルバート様に胸がトクンと高鳴った。

「ここから王都まで2日かかるから、少し急ぎになるけど我慢してくれるかい?」

「はい、迎えに来ていただきありがとうございます。アルバート様も儀式の準備で忙しかったのでは?」

「大切な婚約者を迎えに行くのに、他の者を行かせるわけにはいかないよ。大丈夫、君の兄が僕の側近として準備をしているから、安心して任せていたらいい。アレンは優秀だからね」

 アレンお兄様に負担をかけたと知って、私は少し申し訳なく思いながら馬車に乗った。

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