第10話 鴉羽の使者_1

その黒い影は彼女たちに気づき、ゆらりと振り返ったように見えた。

人なのは間違いないのだが、その後ろのカンテラがやけに明るく、逆光で表情が見えない。


敵か味方か、引くべきなのか強行突破を試みるべきなのか、メナは悩み二人の様子をうかがう。


しかしメナはそこで異変を感じる。


(気づいていない?)


ドゥカイとギノーは警戒する素振り一つなく、その出口に立つ黒い人影に向かっていくのだ。


(止めなければ……)


メナは自身の直感を信じ、、むをずその影に声をかける。


「―――あなたは?」


ドゥカイとギノーはメナのその言葉に驚いたのか、一度彼女を振り返ったが、その視線の先を見て息を呑んだ。

本当に気づいていなかったらしい。


しかし、それからの彼らの行動は早かった。


「黒服……貴様、何者だ」


ドゥカイはその格好を見て、一切の躊躇ためらいなくさやから剣を引き抜いて構える。

ギノーはしばらく狼狽うろたえたように立ちすくんでいたが、メナの横に張り付くように移動した。


彼らの行動は頼もしく、メナはどこかそれに安心していた。

これならばドゥカイがなんとかしてくれる、そんな思いがあったのだ。


しかしその思いは次の瞬間、あっさりと打ち砕かれた。


「お待ちしていました。メナ様」

「ーーーっ!」


あでやかな声が自分の背後から聞こえた時、メナは自分の肌が泡立つのを感じた。

それは先ほどまで洞窟に感じていた嫌悪感とも違う、もっと根本的な恐怖だ。


(見えなかった! 何も!)


慌てて振り返ったメナの視界には何者も映らず、ただ独特な香料の香りだけが残っている。

何も見えずとも、先ほどまでそこに何者かがいたのだということは確かに感じられた。


(いない……?)


メナが首を傾げたのと同時に、耳をつんざくような剣戟けんげきの音が洞窟内で反響した。


彼女が慌てて視線を正面に戻すのと、ドゥカイが武器をふたたび黒服に振り下ろすのは、ほとんど同時のことだった。


「―――……手荒ね」


あっさりとドゥカイの一撃を剣で受けた黒服が呟く。

一片も動揺を見せない彼女の声音は、この状況にも関わらず、まるで日常会話の一部のようで掴みどころがない。


「もう一度、聞く、何者だ」


ドゥカイの冷ややかな言葉が彼女に向けられる。


しかし彼女は一歩も退かなかった。

それどころか、片手の剣でそれを受けながら、彼に皮肉を返したのだ。


「名を聞きたいのなら、先に名乗るべきでしょう。カジラムダリ・ドゥカイ」

「―――っ!?」


ドゥカイの動揺の隙をつくかのように、彼女は剣を跳ね上げた。


きょをついたものであるとはいえ、ドゥカイの剣を安易やすやすと弾き飛ばした彼女の膂力りょりょく尋常じんじょうなものではなく、軍用格闘技術ラ・アエ・バータを用いたものであることは間違いない。

それも、かなりの練度がうかがえるものだった。


剣を失ったドゥカイは咄嗟とっさに彼女から距離を取る動きを見せる。


しかしそれでは明らかに、遅い・・


次の瞬間にはドゥカイは斬り伏せられる、そんな情景がメナの目の前に浮かんだ。


「―――……なぜ追撃しない」


ドゥカイが苦虫を噛み潰したような声で問いを発した時、メナは初めてドゥカイが斬られていないことを知り、混乱して目をしばたいた。

メナでさえ先の一瞬で彼が殺されていないことが不思議なほど、今の隙は致命的なものだった。


「いきなり切り掛かってきたのはあなたでしょう。それとも今のが挨拶あいさつだったと……野蛮なものね、王族のお付きとは思えないわ?」


彼女はそう言って剣を鞘に収めると、被っていた黒い外套がいとう頭巾フードをおろす。

夜のカトチーニ河、その流れを思わせる長髪がサラリと揺らめき、メナの目をいた。


そして彼女は肩にかかった波打つ髪を背中に流し、メナに視線を向ける。

一切の緊張を感じさせない、自信に満ちた目だった。


「改めまして、姫様。私は『鴉羽の使者』、あなた方に助言をしに参りました」


そう言って微笑む彼女の黄金色こがねいろの瞳は、何かを見定めるようにふわりと細められた。

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