第10話
バスタブの中、蹲って目を瞑っていると、頭上から降り注ぐ水が止まった。同時に、ふわりと身を柔らかな布が包む感触。
身体にバスタオルをかけられたんだ。
面をあげると、クロさんが近くに立っていることに気付いた。
すぐ隣に来ていたのに、全くわからなかった。
「クロさん…」
すごく長かった気がするけど、とても短かったのかもしれない。クロさんに抱きつきたい衝動に駆られたけれど、そこはグッと堪えた。
クロさんは私の顔をジッと見つめてから
「…服も風呂場に入れる。ここで着替えろ。風呂場から出たら、部屋の方は見ずに玄関に迎え」
と言って出て行った。
身体を拭いて鏡を見ると、真っ赤に充血した目になっていることに気付いた。
…泣いてしまったこと、バレただろうな。
部屋を見るなと言っていた。
クロさんの姿を見たから、どういう状況なのか見なくてもわかる。黒色でも隠しきれない濃い赤色。
考えないようにしても、いや、しようとするからこそ、想像が頭の中に浮かぶ。
目が勝手に大きく広がり、叫びたくなる喉を理性で必死に押し留めた。
浮かぶ想像とともに、沈めた記憶が湧いてくる。
私が体験した地獄。
溢れ出ないように、クロさんに買ってもらった装備を急いで着る。
ドアを開けると、嫌なにおいが私の鼻を刺激した。
私は全てを振り払うように玄関へ向かった。
この空気は、今の私には毒でしかない。
○
アパートを出て倉庫に着くまで、倉庫に着いてからも、暫く会話はなかった。でも、クロさんが傷の処置をすると言ってくれたので、それを皮切りに話をし始めた。
まずは、今日の出来事を詳しく話してくれた。
アパートの部屋に入った瞬間に、ドアの上部に小さな機械が着けられていたらしく、それは開けた瞬間に侵入者がいると警報がいくような物だったらしい。それ以外は何も無かったそうだ。余程注意深く見なければ気付けない大きさだったという。相手が盗聴やマイクロカメラ等を使う者だから、クロさんもアパート付近の随所随所で電波を使うのを探知する装置をかなり設置したらしい。小さな箱の中には、それを確認するための機械が入っていたのだと言った。レーダーのような働きをしてくれるそうだ。
レーダーを見ていると、ものすごい速さで動いているのが一つあったようだ。アパートに向かって動いていることから、相手であることがすぐにわかったという。
下手に動いて何かされてもたまらない。
だから、ある程度待ってから、ドアを開けて閃光手榴弾を投げたという。怯めば重畳、怯まずとも一瞬で路地裏に入り込めれば良かったらしい。
その後はまたもレーダーを見て、相手の動きを予測しながら奇襲をかけるために位置調整を行なったらしい。アパートで立て籠ってくれればより楽に仕留められたと言っていた。方法は教えてくれなかったので多分めちゃくちゃにするつもりだったのだと思う。
相手はアパートには入らなかったので、それならばと奇襲をかけるために塀を乗り越えて、相手の真横から、利き腕である右肩にかけて斧で切りつけ、怯んだところを軸足である左足の甲から爪先を切断したという。
相手の位置を正確に知れているクロさんの方に分があったというわけだ。
抵抗する事も逃亡する事も完璧に難しくしたところで、私がクロさんに追いついたのだ。
その後は、部屋で尋問を行なった流れになる。
拷問の内容までは、クロさんは話さなかった。
「得た情報は、狙いがお前だろうということだ」
「それだけ、ですか」
「十分だ」
クロさんの言葉に、私はつい、えっ、と返す。
「お前を…」
クロさんは少しだけ躊躇いながら、私の様子を見る。少し俯いた後、また話を続けた。
「お前を誘拐、拷問した男はおれが確実に殺した。逃げられないように傷付けた上で、地下室に火をつけた。仮に火を何とかしたとしても、傷口に毒を塗り込んでおいた。早々に助けが来たとしても無駄なようにな。今日殺した男の依頼人が、お前を拷問した男ということは無い」
…大丈夫です、クロさん。思い出してしまうような話であったとしても、私は、大丈夫です。
「だが、あの日お前を連れ出してから僅か一日でお前を狙う動きがあった。それはつまり、お前があそこにいることを知っているやつが依頼人であるのは間違いないということだ。…お前を拷問した男は、人身売買を生業にするやつらから拷問相手を買っていたという情報がある」
「…私を狙ったのは、私を拷問した男の取引先、ですか?」
「可能性は高い。お前を売った矢先で、男が死んだ。そしてお前は生き残っている可能性が高い。おれは、おれの存在を隠すつもりがないから、やつらにとっては辿りやすかったろう。殺し方に特徴があるらしいのでな。口封じの為か何かは知らんが…とにかく、お前を拷問した男、おれが今日殺した男、どちらから辿っても、『相手』が判明するだろうことがわかった」
「私が狙いというだけで、すごいですね」
「…今日以上の事が、あるかもしれん」
「大丈夫です。落ち着いてますよ、私」
「…そうか」
クロさんはそう言って包帯を優しく巻き終えると、立ち上がった。
クロさんは少し懐疑的だった。無理もない。
私はお風呂場で泣いてしまっていたし、少し、おかしくなってしまいそうなスイッチが入りかけていたのがバレているだろうし…。
過呼吸になる前に落ち着けて本当に良かった。なっていたら、クロさんと一緒に行動出来なかっただろうなぁ。
それは何だか、少し嫌だった。
「風呂に入る。もう夜も深い。寝ておけ」
そして、クロさんはお湯を少し溜める事が出来るだけの簡易のお風呂場に向かって行った。
クロさんにはああ言ったけど、やっぱり怖い。誘拐された時の事を、私を拷問した男の事を思い出す。
布団に包まって、目を閉じた。疲れていたのか、意識がすぐに闇に落ちていく。だけど今日は、闇に落ちていくのがすごく怖かった。
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