第7話

 部屋の中に入る前、クロさんは、ここから一切喋るなと言った。警戒度合いは非常に高く、ピリついているのがわかった。

 玄関からクロさんは丁寧に調べて行く。台所も床も天井も壁も隈なく。

 結論を言うと、暴漢の姿は無かった。盗られているものも特に無かったらしい。

 クロさんは押入れの中からある機械を取り出し、それを使って部屋を調べ始めた。部屋には幾つもの盗聴器が仕掛けられていた。さらに詳しく手探りで調べると、盗聴器の付いていない小型のカメラも見つけた。クロさんはそれらを水に浸し、一つだけを残して後は金槌で粉々にした。残した一つをクロさんはコートのポケットに入れ、私の方を向いた。全てが冷静で、丁寧。クロさんにとっては、当たり前の日常のように。

「移動するぞ」

 クロさんはそう言うとすぐ、少し大きめのボストンバッグとリュックサックにいくらかの服と道具とお金を入れた。リュックサックは私が担ぎ、ボストンバッグはクロさんが持って、外に出た。

 傷が熱い。さっきまで歩いていて、既に熱を持ち始めた傷はそろそろ痛みも訴え始めることだろう。どれだけ歩くかわからないけれど、迷惑をかけてしまいそう。

 傷を負って弱っていると言えども、自分の体力の無さを恨む。それでも何とかクロさんについていく。クロさんの歩く速度は変わらないけれど、路地を曲がる回数は減っていた、と思う。真っ直ぐ歩く時間が長い。

 多分、クロさんは気を遣ってくれている。

 そして、着いたのは草臥れたアパートだった。ドクターのアパートだ。今日はすごく早く着いた。

「お前だけ行け。おれは、やる事がある。あの女に会ったらこれを渡せ」

 クロさんは私に手紙を渡した。透けている部分から、走り書きをしたものだとわかる。歩きながら書いていたんだろう。

「すぐ戻る。が、寝ておけ」

 クロさんがそう言ったので、私はドクターがいた部屋に向かった。クロさんは、私が部屋に入るまで辺りをキョロキョロと見回していた。



 部屋に入る前に、狐のお面を外す。ノックして、中から返事がしたのでドアを開けた。ドアからは薬品のにおいとともにコーヒーの香りが鼻をくすぐった。昨日も嗅いだ部屋のにおい。少し安心する。体の強張りが解けた。

「あら、診察にしては随分スパンが早いね。どうしたの?彼は?」

 ドクターは、以前と変わらない服装で出迎えてくれた。パジャマとかはいつ着てるんだろう。

「クロさんに連れてきてもらって、クロさんはやる事があるから、と。それと、これを渡すよう言われました」

 私からドクターに説明するよりも、まずは手紙の方が先決かと思って手紙を渡した。ドクターはそれを読み終わると、ふぅんと一言溢してまた私に手紙を返した。

「シロちゃんも読んで良いと思うよ」

 手紙を受け取って、私も読もうと思ったけど、その前に疑問が浮かんで聞き返した。

「シロちゃん?」

「そ、シロちゃん。だって、彼の事はクロって呼んでるんでしょ?じゃあ、あなたはシロちゃんで良いかなって。黒白コンビなんだから。嫌だったかな?」

 ドクターはそう言いながら、色々な消毒液や包帯類を取り出した。ゆったりとしているようで手際良く集められていく。あれが出来る女というものだろうか…。

 ともかく、どうやら私にあだ名をつけてくれたらしい。

 これは素直に

「いえ、嬉しいです」

感想を言って、手紙に視線を戻した。

 手紙にはこう書いていた。


 住んでいるアパートが割れた。別の場所に移る必要がある。少し連れ回した。すぐ迎えに行くから、傷の手当てをして休ませろ。

 追手はいない。迷惑をかけるつもりは無いが、警戒を怠るな。

 報酬額はお前に任せる。


 私は手紙を読み終わると、ドクターに向けて頭を下げる。

「何だか、すみません。それに、ありがとうございます…」

 ドクターは私に顔を上げさせ、ベッドに座らせた。座った後はすぐに、クロさんから買ってもらった装備の諸々を脱ぐ。ドクターは私の身体の包帯を解きながら喋り始める。

 相変わらずの柔らかい、優しい声で。

「お礼なら、彼に言ってあげなさい。私はあくまで、あなたの手当てと一時的に匿うことを依頼されて、それを受けただけ。警戒しろって書いてるのだって、ここじゃ当たり前の事だから。あなたが狙いだったとしても、特に問題無いの。追われながら、死にかけでここに駆け込んでくる人だっているのよ」

 ドクターはそう話しながら、丁寧に手当てをしてくれた。クロさんとは違う小さな手、だけど、温もりは変わらない。

「さ、寝て寝て。あなたが休んでくれてないと、依頼失敗になっちゃう」

 私はそう言われて、半ば無理矢理に寝かされた。目を瞑っていると、ドクターが優しく身体をトントンと叩いてくれた。

 小さな子ども扱いで、ちょっと恥ずかしいけれど、すごく安心出来ちゃう。

「どうやら、あなたの事を本気で守ってくれるみたいね。彼が誰かの為に依頼するなんて…まだ、心まで真っ黒になってないようで良かった。もう、かなり黒に近い灰色だけど、ね」

 ドクターの言葉を聞きながら、私の意識は少しずつ落ちていった。



 どうやら、三時間ほど眠っていたらしい。私が目を覚ますと、ドクターとクロさんが話しているのが見えた。私はまだ起き上がってないし、声も出してないのに、二人ともすぐに気付いた。

 周りに敏感すぎる人達だ。どんな訓練をすればそこまで出来るようになるのやら。

「シロちゃん、具合はどう?」

「良く眠れました。大丈夫です。ありがとうございます」

 私は身体を起こし、ドクターに頭を下げた。

「着替えろ。出るぞ」

「もう、女の子に対して本当わかってないなぁ」

 クロさんの言葉に、私は装備を手元に集め始めた。

 ドクターはため息を吐きながら言及する。

 大丈夫ですよ、ドクター。クロさんの優しさは、たった一日だけど少しはわかっているつもりです。

 奥の部屋に移動して、急いで着替え始めた。着替えていると、小声ではあるけれどドクターとクロさんの会話が微かに聞こえる。気になって耳を立てた。

「で、シロちゃんの傷はこのまま清潔を保って手当てすれば問題なく治るよ。結構早めに。傷跡は薄く残っちゃうだろうけど、ね。精神面も、何らかでフラッシュバックでもしない限りは安定してるのかも。助けた君が側に居るのが上手く作用してるのかもしれない。でも、全く油断は出来ないから気を付けて」

「そうか」

「元々、主体性が少ないのかも。その割に、精神は強い部分もある。彼女は良い意味でも悪い意味でも真っ白だね。拷問を受けて強い思想に当てられたから心が一度壊されたし、でもそこから突然救われ、君という支えで持ち直せるかもしれない状態になってきている。…今、目まぐるしい状況に晒されて影響を受けやすい不安定な状態になるのは当然でもあるけれど、誰かに依存しやすい状態だ。良く見てあげること」

「ああ」

 着替えは終わったけれど、出ても良いのかな。でも、このまま私のことについて聞いておきたい気もする。どうしようか悩んでモジモジだ。

「あとは…」

「続きは今度だ」

 ドクターの言葉を、クロさんが遮った。

「うん、まぁ、なんじゃもんじゃ指示するよりも君に任せた方が良いかもね。シロちゃん、着替え終わったなら遠慮せず出て来て良いんだよ」

 そう言われて、奥から戻った。

 …なんでクロさんもドクターも気付けるんだろう。今なんか姿すら見えてなかったよね?

「その狐面、かわいいね〜。似合ってるよ。シロちゃん、気を付けて行っておいで。傷が塞がってもまたここに連れてきてもらって。他にも、何かあったらここに来てくれて良いからね。道わかんないと思うけど」

「はい。ありがとうございます」

 私が頭を下げると、クロさんは無言で部屋から出て行った。私も後を追う。後ろから、またね〜という声が聞こえた。振り返ってお辞儀をすると、ドクターは律儀だねと笑っていた。

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