飛騨王朝の実在可能性とカルデラ避難民たちの行方
では、鬼界カルデラではどういう影響が見られたのか。
残念ながら、鬼界カルデラ噴火は有史以前の話であり、これは推測で語らざるを得ない。
よって、例のごとく、推測、妄想によって空白を埋めていく事とする。
噴火以前はほとんどばらばらに、かつ時々交流をしていた程度かもしれぬ縄文人たちも、地球史にも稀に見るほどの大噴火によって生活が激変したと思われる。
この噴火によって今までは近隣の火山が噴火したとしても、せいぜい100kmも離れれば問題なかったのが、鬼界カルデラ噴火では数百km先まで避難する必要に迫られた。もちろん海を渡って朝鮮半島南部に住み着いた者や、おそらくはさらに遥か遠方の中国大陸の方まで行った者もいるだろう。あるいはその先までいった者もいるかもしれない。
しかし、それでも大半は列島内に残っていたはずである。まあ、当時は丸木舟と呼ばれるカヌー程度の代物しかなく、仮に豪華客船があったとしても、津波の恐怖の中、運航するのは狂気としか言えない。
となれば、太平洋側の被災者たちは陸を伝って移動するしかなく、四国九州が壊滅した以上、移動先は東しかない。一部、北九州や中国地方の北側に住んでいた者達は朝鮮半島南部へ移動した可能性があるが、東日本に避難した者達に比べて数はかなり少ないだろう。よって、避難民の多数は列島中部以東に避難したということになる。
ここでもう一度、鬼界カルデラ噴火直後を整理し、その後の縄文人たちの行動を想像してみる。
・鬼界カルデラ噴火についての記事(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E7%95%8C%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%A9
このページ中段、主な噴出物についての項目を見てほしい。この右側の画像は、7300年前の鬼界カルデラ噴火におけるアカホヤ火山灰被害地域を示した物である。火山灰の積灰30cm、または20cmというのは、住む事が困難な地域となったと思われる。灰というのはアスファルトの上であれば、雨で流れるが、当時のほぼ完全な森林地帯などに降った場合、ちゃんと流れるのだろうか?
火山灰は酸性であるらしく、どれくらいの濃度なのかは分からないが、このアカホヤ火山灰も植物への有害度は高かった可能性がある。噴火後に雨が降るまでどれくらいかかったのか知る由もないのだが、それなりの量の降雨まで時間がかかれば、多くの植物が死んだだろう。20cmもの降灰であれば、一度の雨で流しきれるとも思わない。むしろどろどろになって、地面に滞留したかもしれない。
植物群に重大なダメージがあったとなれば当然、動物たちも生きていけない。10cmでも被害は大きいだろう。ざっと調べた限り、これと同様の図しか見つからず、積灰範囲はどれも30cm20cm0cmしか示されていなかったので、10cm程度積もったエリアなどが分からないのだが、積灰10cmであれば中部を飲み込んで関東平野あたりまで積灰範囲は広がるかもしれない。一体、降灰何cmから被害が軽微になるのか、この辺りは少し文献を調べた限りでは分からなかった。
また、かつてのトンガ火山の噴煙が57kmに到達したという記事を見たので、鬼界カルデラはそれ以上の高さまで噴煙が到達した可能性がある。高熱を伴った噴煙が立ち上るという事は火口を中心に激しい上昇気流が発生する。
その場合、海上の水蒸気を巻き込みながら、火山灰混じりの巨大な積乱雲を形成、烈しい雷と共に、噴出物の混じった雨、または雹が鬼界カルデラの近辺でのみ降った可能性がある。
となれば、鬼界カルデラ中心地は海であり、断続的に雨が降った可能性が高いと思うのだが、そこより少し離れた九州四国地方などは水蒸気量が減り、降雨までの期間が長くなった可能性はあるだろうか? また、降ったとしても、十分な水量でなかった、という線もある。
九州四国、または西日本などの地域が火山灰を流しきるのに随分、後までかかった可能性はある。
どのみち20cm30cmもの火山灰が振れば、壊滅は間違いないのだが、問題はそこまで降ってはいないけれど、10cm程度は積もった、という地域である。
上記Wikipedia内の被害推定の画像では、三重南部まで積灰20cm地域となっている。となると三重北部、または愛知あたりは住める環境が残ったのだろうか?
私の想像ではNOである。おそらくこの辺りも住む事が出来ない、または住みづらい状況であっただろうと考える。
まず三重北部であるが、このあたりは20cmは積もってないとはいえ、10cm以上積もった可能性が高い。この10cmがどれだけのダメージを与えるのかは、その火山灰の酸性度合いであったり、雨が流してくれるまでの期間であったりが分からないと何とも言えないのだが、九州四国地方の復旧には千年という時間がかかったと予測されている以上、このあたりもただで済んだとは思えない。
また、このあたりはそもそも照葉樹林帯に属する地域なのである。照葉樹林というのは、人や獣が食べられるような実を付ける木が少ない。元々が人も獣も住みづらい地域である。
では、海沿いはどうだっただろうか?
おそらく海も駄目だろう。海沿いには漁業民たちが住み着いていたはずだが、この辺りはそれこそ九州四国方面から黒潮が流れている地域である。魚たちは本能的に鬼界カルデラ近辺を避けるはずであり、噴火前後で漁獲量が激減したはずだ。となれば、古代三重の漁業民たちもどこかへ避難しなくてはならない。
愛知はどうだろうか?
愛知はもしかしたら住む事が出来たかもしれないと考えているのだが、ただこの辺りも元々、人が少なかった可能性が高い。というのは標高が低く、暑いのだ。暖温帯落葉広葉樹林帯と照葉樹林帯の境目でもあり、照葉樹というのは上で述べたように、動物が食べるような実をあまり付けない。という事は人間が食べられる実が少ないだけでなく、獣も少ない。広葉樹林帯の方はまだ住みやすかったのではないかと思うのだが、多くの避難民を受け容れられるほどの余裕はなかったのではないか。また、西日本から避難してきたのは人だけでなく、動物も多かったはずである。人や獣の群れが食糧を食べながら、東へ流れていくとすれば、この辺りの森は早々に食糧が枯渇する。
ちなみに愛知は一万年くらい前は海に沈んでいた地域が多いのだが、この頃はほぼ今の地形と近い(はず)。
次に、岐阜県南部(美濃地方)はどうだろうか? 西側の西濃、中央部の中濃と呼ばれる地域はおそらく愛知とほぼ大差がない。しかし、東濃と呼ばれる東部美濃地方あたりから住めるところが増えてくると思われる。具体的には現在の恵那市、中津川市のあたりからである。
このあたりは冷温帯落葉広葉樹林帯と言われるエリアで、上述した暖温帯のそれよりもより気温が低い地域となる。栗などの樹木が増え、同時に小動物も増える。狩猟採集民族にとっては住みやすい地域である。
ここからは余談である。もしかしたら、知っている方もいるかもしれないのであえて余計な話を書いておくのだが、日本最高気温ランキングにおける強豪、多治見市はこの東濃地方に所属している。よって、多治見は暑いじゃないか! と思われる方もいるかもしれない。
しかし、多治見市は東濃の中でも最西にあり、気温というのも測り方によって差が出る上、多治見市はなぜか最高気温ランキングに情熱を燃やしていて、より気温が高く出やすい測り方をしているとも聞いた事がある。それが一体、どういう種類の情熱なのか、筆者には分かりかねるが、この地方に生まれた者の実感としては、東濃西部の多治見市、土岐市あたりは暑いが、東部の恵那市、中津川市辺りは涼しい。
それとそこまで大きくないが、この辺りはいくつか山があり、限度があるとはいえ、避難民を受け容れながらも暮らしていける地域の一つであったと思う。実際、縄文遺跡が多い地域でもあるので、一定の規模の集落はあったのだろうと思われる。
この時代、海の恵みを得て暮らしている者達もいた一方、内陸部では山の恵みを得て暮らしていた。住みやすく、大きな山は多くの人や動物を養う事ができる。東濃東部の山々は住みやすい環境ではありそうだが、後述の飛騨や長野に比べて、規模は大きくはない。よって、一定の避難民受入れはありつつも、巨大集落化したというわけではなかっただろうと考えている。
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