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翌日。
目雲の実家に到着したゆきはすでに車が三台停まっていても、まだ乗ってきた車が停められた広い駐車場から家を眺めていた。
「素敵…………過ぎませんか? 趣が凄すぎて、私、雰囲気にのまれています」
「僕としてもやりすぎだと思います」
住居というより隠れ家的レストランと言った方が正しい気にさせる外観は、駐車場の向こうに植わった背丈ほどの木々の隙間から見える程度であるのに、風光明媚と言えるほど綺麗に整えられた古民家だった。
「目雲さんここで育ったんですか?」
圧倒されたままのゆきを特に急かすことなく、目雲もそのまま一緒にかつて住んでいた家を眺める。
「場所はここです。小学生の時に建て替えて今の姿です」
「感性を育てるのには打って付けですね」
由緒ある建造物でも眺めるように、ゆきが深く頷いているから、我が実家ながら目雲は父の拘りに少し辟易していたことも思い出した。建築士となった今では学ぶ部分もある建物だが、当時は快適に住めることが最重要だったから、理解しがたいこだわりも多かった。
「以前の家の方が普通で良かったです。昭和の部屋数の多い平屋といった感じです」
実際住んだことがなかったゆきも簡単に想像できた。
「あれですね、国民的三世代家族アニメのお家のような。それも今や貴重なお家です」
ゆきのいつもの独特で複雑な言い回しに微笑みながら、二十年余りですっかり変わってしまった風景も見回す。
「当時はこの辺りは何もなくて、ポツンとここだけ家が建ってたんです。元の家も古い物だったのでかなり安く手に入れたみたいです。今はこんな住宅地になっていますが。今のこの建物は父が見つけてきた古民家を移築したものですが、内装も間取りも殆ど変えてあります。だから中はまた違います」
建て替えるくらいまでは周りは畑や田んぼばかりで全く違った。けれど変わり始めたらあっという間だったとそれも目雲はよく覚えていた。
懐かしむ目雲の傍ら、ゆきは室内に入るまでもなく確信を持った。
「私の実家に先に行っておいて良かったです」
ゆきはこの家を知っていたら、連れて行くことにゆきは気後れしたのは間違いないなかった。
「とても素敵な居心地の良いご実家でした」
ゆきも実家に引け目があるわけではなく、目雲のところが凄すぎるのだと言わずに実際を確かめるために歩き始めた。
敷地の端にある石畳の様に整えられた通路をたどって行くと、脇の樹木と逆サイドの砂利の上に植物だったり岩だったり小さなオブジェだったりが控えめにセンス良く飾らせていた。
庇の付いた玄関も大きく、両開きの引き戸を目雲がそっと開けると広い土間がありその先に無垢の木のフローリングが奥に続いていて、その最奥にアイランドキッチンが見える。
人の姿はなく奥に長いダイニングテーブルが鎮座し、梁がむき出しの高い天井から下がる複数のペンダントライトがキラキラと光っている。そして、片側は全面ガラス張りで整った中庭が眺められるようになっていた。
「一組限定とかの特別なレストランのようです」
「あまり緊張しなくても大丈夫ですよ」
ゆきの声色で感じ取ったのか、目雲が背中を落ち着かせるように撫でる。
「ドレスコードとかないですよね」
「ただの僕の実家です」
中庭見える側とは反対にある奥の格子状の擦りガラスの戸が開き、壮年の男性が表れる。
「いらっしゃい」
落ちつた表情と声で微笑みを蓄えて、目雲ほどではないが高身長であった。
「ゆきさん、父です」
紹介された目雲の父は一瞬動きが止まるが、ゆきがすかさず挨拶をする。
「初めまして、篠崎ゆきです」
深々と頭を下げたゆきが顔を上げると目雲の父は柔和な笑顔に戻っていた。
「周弥の父の
「よろしくお願いします」
「どうぞ上がってください。皆隣の部屋で食事してますよ」
年配の男性にこれほど丁寧に接させた経験のないゆきは、部屋のお洒落さも相まって緊張感が幾分増していた。
「お邪魔します」
ゆきが靴を脱いで整えていると先に上がった目雲が父に手土産を渡す。
「父さんこれ、ゆきさんからだから」
こうすることは目雲からの提案で、どうやらあまりゆきと家族を接触させたくないための案らしかった。
「わざわざありがとう、ゆっくりしていって」
ゆきは目雲の背後の隠されるように立っていたので、泰三がのぞき込むように笑顔を向けゆきも笑顔で会釈を返すと、目雲が返事をする。
「挨拶だけしたら帰るから」
「少しくらいはいいだろう」
ゆきは目雲の意思を汲んであまり積極さを出さないように微笑みを携えただけでただ目雲の後ろについていく。
通された隣の和室というのもまた広いものだった。
中には大人が五人とまだ小さい子供が二人と寝ている赤ちゃんがいた。そこに泰三と目雲とゆきが入って、たくさんの豪華な食事が並んだ大きな座卓を囲んでいても、十分すぎるほどの余裕があった。
ゆきがその広さにまだ慣れないため、人が大勢いる割にその部屋のやけに静かな状態に気付かなかったが、外の採光が降り注ぐ部屋なのに雰囲気が明るいとは言い難かった。
目雲にとってはすでにそれがいつもの光景だった。
「周弥とゆきさんが来たよ」
扉が開く音で全員の視線が集まっていた中で、泰三が声を掛け、軽く会釈する程度の目雲の横に出てゆきが改めて挨拶をする。
「明けましておめでとうございます。篠崎ゆきです」
一番奥に座っている妙齢の綺麗な女性が豊かな笑みで迎える。
「まあ、おかえりなさい。周弥の彼女ね。母の
「失礼します」
手招きに誘われて行こうとするゆきを目雲が肩に触れて止める。
「ゆきさんはこっちです」
「あ、はい」
目雲に促され入ってきた扉のすぐ近くに腰を落ち着けたが、喜美の温かな笑顔が変化することはなかった。
ゆきから見て左右に目雲の両親と兄弟の家族が別れて座っているようだった。だから人数の差が大きい。
ゆき達が座った大きな卓を挟んだ真向かいには唯一、五歳くらいの女の子が一人やや端の方に座っていた。その寄っている側の斜め前に父親だと思われる男性がいてその隣に三歳くらいの男の子も大人しく座っていた。その隣に女性が居て、たぶん子供たちのお母さんだろうなとゆきは予想ができた。
その思った矢先に泰三が紹介を始めた。
「ゆきさん、この端にいるのが長男の
大翔の容姿は目雲と同じ風貌に眼鏡を掛けさせたと言った感じだが、目雲より柔和な泰三により似ていた。
大翔の正面にいる喜美がずっとにこにこと笑っているので、一見目雲と似ているとは分かりづらいが、どうやら目雲は母似なのだと大翔と比べて分かった。
紹介されて会釈する汐織の横にまた男性が居て、その横に女性が座卓ぎりぎりに座っているのではみ出るように座布団の上ですやすやと赤ちゃんが寝ている。その子が丁度ゆきの真隣だった。
どこまでも両親とは距離を取らせたい目雲が両親側に座っている。
「三男の颯天と
颯天も父親似の様だったが、笑顔は喜美に似ていてゆきにその笑顔でよろしくと明るく声を掛けた。短髪を立ち上げるようにセットして、服装も宮前寄りのこの中では一番の派手だ。
ただ目雲の兄と弟も座っていてもたぶん長身だろうと横に座る目雲と比べて予想ができた。
宮前が言っていた通りの印象だとゆきが全員を目で追って、それぞれが会釈し終えると、静寂が訪れる。
「よろしくお願いします」
とりあえずゆきが座ったままで頭を下げるが、顔を上げても皆何故かじっと食事を再開させようともしない。
これはどういう状態なのだろうかと漸く気が付いたゆきが笑顔を固めたまま少し伺うと、目雲の父がビールを手にした。
「周弥も車だね、ゆきさんは飲むかい?」
「飲まなくてもいいですよ」
目雲が止めに入るが付き合いのビールぐらいで酔うこともないので、ゆきは目の前のグラスを手に取った。
何もかも拒絶していては喧嘩腰に見えて、不要に拗らせかねないと拒む必要のないことくらいは誘われるままする。それに本当に挨拶だけでもう帰るというのも、異常過ぎていくら目雲に言われてもゆきにできることではなかった。
「じゃあ少しだけいただきます」
ゆきはビールを注がれるのを受けて、少し口を付ける。
すかさず目雲がいつものように始めた。
「ゆきさん、飲むなら何か食べた方がいいですね。あとビールだと体が冷えますから、料理を少し温めてきます」
普段と変わりない様子にゆきもいつも通り笑顔で頷いた。
「ありがとうございます」
目雲は丁度前にあったおしぼりをゆきに渡し、おしぼりの隣に重ねられていた取り皿を持ち見繕い始めると、時が動き出したかのようにそれぞれ目の前にある料理をゆきの前に寄せ始める。
目雲の母だけはニコニコと微笑んでいるだけだったが。
「ゆきさんは何か好き嫌いはない?」
真っ先に膝立ちになり取り箸を手に持ったのは長男のお嫁さんである汐織で、少しふくよかではあるがこの部屋の大人の中では一番小柄で長い髪を清潔にまとめて上品なセットアップのスカート姿がよく似合っていた。
「なんでもいただきます」
ゆきが笑顔で答えると、中央の大皿に尾頭付きで盛り付けられていた刺身を汐織が選び始める。
「じゃあ適当に渡すね」
「ありがとうございます」
「おにぎりもあるよ」
母の姿を見たからか隣の男の子がゆきに声を掛けた。
正月料理の中にやや不釣り合いに小ぶりの丸いおにぎりが並べられた皿をゆきも見る。
「お子さん用なんじゃないですか? 貰ってしまっても?」
「海知食べる?」
いつまでも口を付けなかった我が子に汐織が問いかける。
「いいの?」
尋ねた汐織にではなくゆきに海知が聞くので、当然ゆきは頷く。
「どうぞ、どうぞ。私は大人だから何でも食べれるから大丈夫だよ」
「食べる」
汐織が海知の前におにぎりを置くのと、目雲が部屋から出ていくのを見送っていると今度は近くから声が掛る。
「じゃあこっちのおせち食べたら? つまみみたいのばっかりだけど好き?」
一番傍に座っていた時枝が後半こっそりと言った感じでゆきに手近な料理を指し示す。
並べられた重箱はこれぞおせちといった品で、ゆきの実家で買っていた流行のなんでもありの物とは違い、王道のラインナップだった。
「好きです、飲み過ぎないように気を付けます」
時枝は黒髪のさらさらショートヘアで服装もボディーラインの出る全て真っ黒なとてもスラリとした女性だ。けれど、その色のない雰囲気とは違い言動は快活そうで、ゆきにも気さくだ。
「結構飲めるの?」
「強くないんですけど、嫌いではないです」
「周弥くんいるし、いっぱい飲んじゃいなよ」
「めく、……周弥さんを困らせない程度にしておきます」
ゆきがうっかり飲み込む言葉で時枝が気付く。
「苗字で呼んでるの?」
「はい、今は皆さんも目雲さんでした」
ゆきが笑うと、その横から疑問が飛んできた。
「最近付き合いだしたばっかりじゃないでしょ? 俺が聞いたの、二カ月くらい前だったと思うけど」
ゆきが少し頭の中で数えて答える。
「三、四カ月経ったかなってくらいです」
「へぇ、それ――」
「ゆきさん、どうぞ」
颯天の言葉を遮り目雲がゆきの前にお椀を置く。
「ありがとうございます」
もう一つ蓋の付いた陶器の器を並べて木のスプーンを箸置きに添える。
「熱いと思いますから、気を付けてください」
「お吸い物と茶碗蒸しですね。気を付けます」
言葉を遮られた颯天は怒りはしながったが、珍しい生き物でも見たような表情をしていた。
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