37
手を洗い終えてタオルで手を拭きながら再度はるきに尋ねた。
「ちょっと意味が分からない。心配かけてないのに心配?」
「僕は分かる気がします」
包丁を持ち切り身にしている目雲がはるきに同意してゆきは目を丸くした。
「え、目雲さんにも分かるんですか?」
頷きながらも目雲の手も止まらない。
代わりにはるきのテンションが何故か上がった。
「そうなんですね! いやぁお姉ちゃんいい人と付き合ってるよ」
「目雲さんがいい人なのは間違いないけど、私の疑問は何一つ解決してない」
スマホを手にしたままはるきが腕を組むので、作業している目雲は大丈夫なのかと心配になるが、見守るだけの父を横に目雲は躊躇うことなく包丁を動かしているので、もう難しいところは終わったんだと思った。
だから、はるきに話の真意を問いただした。
「詳細を求む」
「お姉ちゃんさ、高校受験の時も大学受験の時も大学卒業した後も凄いプレゼンかましたじゃん」
父もうんうんと頷いている。
唐突に振り返られた自分の過去に何を言い返すべきか考えるゆきだったので、先に目雲の方が反応した。
「プレゼンですか?」
目雲も手は確実に動かしながらも耳だけで会話に参加しているので、はるきが説明する。
「受験の時は自分がどうしてそこを希望するのか、志望と動機。金銭的な負担がこれくらいで、進学費用に貯めてもらっているお金を使わせてくださいってちゃんとお願いしてました。それだって大学の途中から自分で払う分増やしてたし、卒業後も就職はしないけど、仕事のことと生活の状態を通帳とかでみせてるから、親が口出す余地なかったじゃん」
大学時代から翻訳の仕事で稼ぎ始めていたゆきは悪いことはしないないはずだと思いながら、それを許してくれた存在を主張した。
「お父さんもお母さんも反対してくれないでいてくれたからでしょ」
リビングのテーブルの片づけを終えた母がキッチンにやって来て父の後ろを抜けてシンクに向かう。
その姿を目で追いながら、はるきがさらに反論を重ねる。
「あれで反対してたら、酷い親よ。というか、私の時にむしろ安心されたわ。学校の三者面談とかで高校とか大学の進路相談みたいのした時、これが普通よねって」
また父も目雲の横で頷いているのをゆきは首を捻る。
「そんなに変なことしてないと思うけど、友達の真似しただけなのに」
「お姉ちゃん友達いたの!」
はるきの驚きに、ゆきは母の謎の謝罪と、妹の反応とで増々困惑した。
「私の印象どうなってるの?」
誰に問うでもなく思わず言ってしまったゆきに、はるきがそれを拾う。
「お姉ちゃん昔から何考えてるか分かんなかったもん、必要なこと以外しゃべってなかったし」
「何も考えてないし、ちょっとは話してたって」
必要最低限だったとは、わざと言わなかった。それでもきちんと伝えるべきことは伝えてきたと、そこには胸を張れたから。
しかし、家族からの同意は一つもなかった。
「そんなわけないよ、それにさお母さんが倒れて何度も看病してたし、ご飯だってお父さんと交代で作ったりしてたよ。だから友達作る余裕ないんだと思ってたのに」
「たまにでしょ」
呆れているようなゆきだったが、そこに目雲の手元を見ているだけになっていた父が参加してきた。
「遊びに行きづらかっただろ」
ゆきはもう驚きを通りこして、呆然とし始めた。
「え、私そんな風に見えてたの? びっくりだよ」
「外出るのは図書館か本屋くらいだったろ」
図書館にも本屋にも通うほど行ってはいたが、その前後に友達と遊んだり、一緒に行ったりしていた。家に呼んだ経験はなかったかもしれないと、意図的でなかったが同時に証明することも難しいと子供の頃を振り返る。
「あとはお母さんの近くで本読んでたよ、友達できないのかなって」
寝込んでいる母の近くには確かにいたが、本を読んでいれば時間はいくらでも過ごすことはでき、日頃外に出ることも多かったからこそそんな時くらい一緒にいるのは当然という感覚だった。
はるきが追随するとゆきは反論を始める。
「結構遊んでた、友達もいたよ。秘密結社も作ったし、私幹部だったんだから」
思わぬ単語にはるきは目が点になり、父も首を傾げる。
「秘密結社?」
「そうそう、最初は三人だったんだけど、最後は三十人くらいになったみたい。自然消滅したけどね」
「そんなの知らないんだけど」
はるきがそんな声を漏らし唖然とする家族三人より、冷静に反応したのは目雲だった。
捌き終え、包丁を置き、調理用のゴム手袋を外しながらゆきに方を向く。
「秘密結社だから、ですね。どんな事してたんですか?」
手を拭くための濡れ布巾をゆきが渡しながら、具体的なことを披露する。
「暗号作ったり、マーク作ったり、バッチ作ったり、掟作ったり、作ってばっかりですね。それを全部秘密にするんです。分かるのは組織の人だけっていう」
「秘密にしすぎでしょ」
はるきの突っ込みに、ゆきは確かにと納得した。
「そっか、家では全くその話はしなかったかも。でもその後は探偵団もやった。探し物とか尾行とか」
秘密結社なのだから親に話すわけもないゆきだったが、その友人は親にばれて悪いことをしないならばと静観されていたし、お菓子の差し入れという親の偵察も何度もあったこともあり、完全な秘密になっていない認識だった。
それに飽き始めた初期メンバーが、そのうち探偵事務所なんて始め出したのを自分の事ながら微笑ましく思い出す。
「それも知らない」
はるきが呆然と呟く。
ゆきは当時の子供らしいその感覚に笑いながら、目雲が捌いたバッドに並んでいる鮭を一枚ずつラップに包んでいく。
父は漸く働き始め、包丁とまな板を洗い始め、その横で母が昼ごはんの準備を始めた。
ゆきは懐かしさに浸りながらもはたと思い出した。それは確実に両親が知っているはずの事実だった。
「でも、表彰されたりしたよ。迷子と熱中症のおじいさん助けたって二回」
「あった!」
はるきもゆきが引いたラップの上に箸で鮭を載せる役割を始めながら大きく頷いた。そして父はまな板を拭きながら振り返る。
「小学六年の時か、確かに一カ月のうち二回も凄いって話したな」
「あれは友達の友達のペットの鳥が逃げたのを探してた時に見つけたんだよ」
ゆきの横で目雲もラップで包み始めながら、聞き入っている。
父はそこまで深く関わっていたことは想像していなかったとその時のことを思い返す。
「ゆきはたまたま居合わせただけだと思ってた」
「そのあとなんと鳥も見つけたの、なかなかやるでしょ」
ゆきがキッチンに立つ父親に声だけで自慢を伝えるが、それを受けても父の疑念は続く。
「探偵してるって言わなかっただろ、秘密結社はなんとか分かるが、探偵は何で言わなかったんだ?」
「言った気がする。でもお父さんとお母さんは本の感想だと思ったみたいだったから、まあいっかって」
「まあいっかって」
はるきが呆れたように言うからゆきはきちんとどんな会話だったか振り返った。
「えっと、確か探偵団ってどんなことするのかなって聞いたら、本の中みたいな事件は現実にはなかなか起こらないからねって。変装とか七つ道具とかじゃないって助言してくれたよ。お父さんも子供の頃嵌まったなって言ってたし。ゆきは今ミステリーに嵌まってるんだなって何故か頭を撫でてくれたよね」
さもありなんと思ったのかゆきの父はつい言い訳をし始める。
「家でのゆきとのギャップがありすぎて、まさかゆきがやるとは思ってなかったんだ。学校の先生にも聞いたことなかったぞ、いつもしっかりしていて勉強も生活態度も何も問題ないって面談で言われてたからな」
その話はゆきにとって逆に良い証言となった。
「ほら、お友達が少なくてって言われてないってことは学校でもちゃんと友達と遊んでたからだよ」
母がハッとして頷く。
「確かにそうね」
「何も考えてないただの子供だったんだから」
あまり喋らなかったことだけは事実として受け止めているゆきだが、それ以外は至極真っ当な幸せな子供時代だったと何にも疑っていない。
これでそれが証明されて、母が謝るようなことは何一つないと理解してくれたかとほっと胸を撫でおろしていた。
鮭とエビを終えただけで、まだまだ冷蔵庫の食材は準備を必要としていたが、まずはすでに昼食の時間になっているために準備を始めることになった。
ホットプレートを出してきリビングでゆきと目雲でちゃんちゃん焼きを作る。
キッチンでは粕汁を作りながら鮭を焼く母の横で父が夜の仕込みのために野菜を切っている。はるきは冷蔵庫の整理だ。
それぞれが料理と準備をして、あっという間にリビングに食事の用意をしていく。
昼は捌いたばかりの鮭料理が並ぶ。
「夜はフライとムニエルと炊き込みご飯にしようかな」
母の案に、さっき剝いた存在がいないことにゆきが気付く。
「エビは?」
「そうだったわ、忘れるところだった」
「お肉もあるよ」
次ははるきだ。
「それも仕込まなくちゃ、半分はローストビーフね。もう半分は明日ステーキかしらね、おせちもあるしお雑煮も作らなくちゃ」
さらにはるきが言い募る。
「年越し前にお蕎麦も食べるんでしょ?」
「そうね、天ぷらの準備もね」
「ずっと食べることになりそう、でもあとでよっちゃんとヨシくんも来るから大丈夫かな」
はるきの楽天的な意見に、ゆきは苦笑するしかない。
「それにしても多いと思うけど」
「だらだら食べてたらあっという間よ」
みんなで座卓の周りに集まり、いただきますと食事が始める。
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